キョロキョロ散歩の雑記帳

あちらこちらの里山や緑地公園・史跡を探訪しながらキョロキョロ歩き回って思いつくまま記します。

名古屋の原点堀川を探る

2015-06-28 16:40:13 | 知識

このところ堀川に関する講座や堀川を中心に勉強するグループに参加している。

まだ緒に就いたばかりで聞くもの見るものみんな新鮮。

新しい発見も多く楽しんでいる。

今年の2月頃に熱田の周辺の歴史講座に参加したとき「地図と写真から見たー熱田駅・熱田運河・常滑線の今昔ー」副題「熱田伝馬町の旧東海道を歩く」という冊子を手に入れた。結構熱田の近代化について詳しく書かれているのですらーと読み飛ばせない。ゆっくり読むことにする。

著者は野村眞平氏、発行が2013年3月。

この冊子がきっかけで、堀川・新堀川を知りたいと思うようになってきた。

堀川にかかわる多くの団体がそれぞれ独自の活動を続けながら、時に連携しながら堀川再生に取り組んでいる。

堀川まちづくりの会発行の「ワカリホ」という機関誌もある。(逆ら読めばホリカワ)

裏には堀川まちづくり会の会員紹介が載っていて助かる。

先日は名駅前に家内と出かけた折、折角だからと思い納屋橋まで足を延ばして、納屋橋の東にある加藤商会ビルにある堀川ギャラリーに立ち寄ってきた。

館内には堀川関係の資料のほか写真なども展示。そこで「納屋橋とっておき通信」を手に入れた。07号まで出ているようだが、01・05号は残りなし。

02号は面白く表に納屋橋のレジャーけん引人“青山眞吾さん”の写真が載り,下にプールの写真。タイトルに納屋橋にナンジャこれ!な、幻の巨大プール!!!とある。読むと昭和28年から数年名古屋初のアイススケート場「名古屋アイスパレス」を開業、夏にはプールとして夏の顔にしたそうだ。

  

通信の2~3ページには青山氏の話が載っていて、黒白写真の上は黒山の人がスケートしている。そのすぐ下の写真は押し寄せた客の列が広小路まで伸びている風景。右端の白黒写真はダンスホールの様子だ。どちらもすごい入りだ。

名古屋市緑政土木局河川計画課発行の「納屋橋百年歴史紐解きマップ」を発行。副題に「時代の交差点納屋橋が見守った堀川ものがたりを探る」となっている。納屋橋の歴史が簡略に描かれている。

裏には、みどころポイントに昔の写真が掲載され興味深い。

写真は、大正2年の改築された納屋橋の渡り初め、左上から4番目は明治30年の御園座、その下が明治28年木造洋館の名古屋ホテル、右側上から2つ目は江川用水路、その下は昭和10年名古屋宝塚劇場開館後の名宝開館、その下が旧加藤商会ビル、その下二葉はカブトビール名古屋支店。

講座の中では熱田ぐるりマップをもらった。中に熱田台地の説明イラストが大変わかりやすく助かる。

中でも熱田台地がゾウの鼻といわれるのがよくわかるイラストがいい。

 

また古代の海岸線をを黒い太線で表示されその縁に沿って堀川が掘られていることがよくわかる。

名古屋城よりいち早く堀川が開削され、、堀川と五条川を利用する舟運があって、清州越しといわれる名古屋の街づくりがいち早く進められたと考えられる。大八車や人力だけでは早期まちつくりは到底無理。

 最近見聞きした資料だけなのでまだまだこれから多くの資料を集めるつもり。

今朝の朝日新聞朝刊の日曜版“+C”は「堀川と暮らす」という特集を組んでいる。

今後どんな発見があるか楽しみ。

 


サボった付けは大きい

2015-06-21 16:36:48 | 雑記

すっかりブログ投稿御無沙汰。

この間各種講座の受講とJR・地下鉄ウオーキング参加で一杯一杯。

写真は溜る一方で整理が追い付かず。

年とともに、作業領域が一段と限られてきたとつくづく思い知らされる。

取り敢えず、撮りためたスナップ写真だけでも投稿しようとまとめたところ。

JR塩津~蒲郡を歩いた時のスナップ。

蒲郡駅前のアメリカズカップに使われたヨット。この艇を最後に日本は参加していないモニュメント的展示。蒲郡は一時2020年の東京オリンピックヨット会場の候補地になったが残念ながら落選。

JR塩津という駅は全く知らなかったが、ホームは狭く危ない。改札は跨線橋上にあり、線路を見ると名鉄の駅が隣り合っている。駅員に聞くと塩津駅は蒲郡競艇用に作られたもの。そもそも無理やり作ったようだ。名鉄の駅名は蒲郡競艇場前駅。

  

この日は平地歩きと思っていたところなんと峠越えが7か所ほど会って一番高いところは形原温泉。アジサイまつりが開かれていた。

形原へ入る前の峠で三河地震の断層がはっきりわかる土地を見学する。木の下が浮き上がっているように見えるところは断層。この地震は昭和20年1月にあり、広く国民に知らせないよう隠ぺいされ詳細は不明。経験者はすごかったと今でも語り草。

中津川を歩いた時は、天空の城「苗木城」へ登る。下から見たときはそれほどと思わなかったがコース案内で予想された通りきつかった。

登り口の看板で少し急だなとは思ったが 登ってみると眼下に木曽川の雄大な流れ。城郭の縄張りが天空の城といわれるのもなるほど。

   

登り口の四十八曲がりという案内板と登り口の勾配から覚悟。ようやく展望台に立って雄大な木曽川の流れと、巨岩を取り込んだ城郭の造りに感嘆。

  

  

城跡へ登る前に恵那鉄道の廃線跡が風情を感じさせる。

中津川はクリ菓子のメッカ。クリ畑も多い。

最後の峠を登ると平坦地に出る。なんとこんな山の上に温室。そばに行ってみるとちょうど担当者がいたので作物は何?と聞く。カイワレ温室。栽培面積は1haあり2階建で全部で8棟あり。向かい側のタンクにサラダ農園と書いてあったが何ともでかい。

この温室を過ぎると中津川へ一気に下り。平坦地に出てすぐに本町公園。公園内にSLが展示されていた。D51だ。キチット金網で囲い管理されているようだ。昭和48年も出運行。

  

実は昭和40年ころに乗ったのを思い出した。しっかり手入れされいつでも動きそう。

話は変わって名古屋市役所見学会に抽選通る。30人ほどの参加者。2班に分かれ案内される。本庁には入る機会もほとんどない。家内も一緒。

  

 

1階から上階を見る。

1階のガラスは懐かしいべこべこ。

時計台へ。年寄りにはきついのぼりが続き大変。

時計コントロール室は庁舎の向かい側西庁舎の地下室で機械コントロールしている。時計は4面に設置。外から市民が見たときどの方角からでもわかるようにしている。特にバスなどの時間確認に狂っていてはいけない。

  

時計台の窓から見た名古屋城と屋上に出てみた時計台。

  

この後市長室や議事堂ほか貴賓室なども見学。

  

最後に昔の庁内の郵便物投函ボックス。上の階から投函するとこのボックスに集められまとめて投函できる。

庁舎は映画・ドラマの撮影場所にも貸し出している。

   

5月には広島行ってきた。2泊3日だが広島市内で国宝不動院講堂。安国寺 恵瓊 (あんこくじえけい)がここに移設したようだ。広島市内唯一の国宝とか。

原爆記念館および記念公園。

   

鞆の浦としまなみ海道。

錦帯橋と宮島厳島神社参拝。

  

神社では結婚式が挙行されていた。

この旅行で気がついたこと。

外国人の観光客が大変多いがお隣の国々の人は全く合わず。

厳島神社へ渡る船で鳥居が見えると船縁にどっと外国人観光客集まるのは壮観。

平和記念公園で出会った外国人はインド団体、一般欧米人。印象に残った風景は原爆記念館で説明文を泣きながら見ていた女性(写真の赤いバッグの人)と、欧米人の若者が多いこと。

もう一つ印象深かったのは、記念館の入ってすぐに展示されている写真。長細写真だが、投下直後爆心地から6キロほど南西に位置する金輪島で新聞記者が撮影した1枚。左下に小さく人が移っているが原爆雲が高すぎて人が判然としないほど。

反対にしゃれた路面電車。

  

最後にトピックス。

平和公園芝生広場で結婚式。みんなの公園で?最近はこんなことも許可されるのかな?家族ずれが遊んでいる中で。?

    

東山の東山工業高校の跡地にようやく学校が建設され始めた。

  

愛知県の工業県としての人材育成に、愛知工業高校と東山工業高校を統合し総合工科高等学校を設置。当初26年中には完成するはずのところ、入札不調で遅れに遅れようやく着工。写真の通り28年3月完成なので、入学を期待していた生徒にとって大変残念な事態。

今日はここまで、これからはなるべく早く投稿するよう心がけるつもり。