キョロキョロ散歩の雑記帳

あちらこちらの里山や緑地公園・史跡を探訪しながらキョロキョロ歩き回って思いつくまま記します。

出雲の神社巡り その1

2012-08-04 11:38:06 | 旅行

暑くて頭の中はウニ状態。

昨日は、NPO会計の新会計基準に基づく計算書の指導を受けに栄まで出かける。

前日は、史跡の会8月例会へ参加。名所絵図の説明分を古文読み解き。加えて約1時間半、名東区の地質について、説明を受ける。

メンバーに地質学の専門家で、現在も東日本大地震の調査に出かけておられる方が講義してくださった。

興味深い話もあるが、ここでまとめてアップするには私の理解力からでは無理なので割愛する。

7月28日から31日まで島根県松江市 に3泊4日で宍道湖(しんじこ)周辺を徘徊してきた。

幸い、宍道湖畔に住む娘夫婦が車で案内してくれたので、多くの神社を参拝でき望外の旅行になった。

でも、暑さはむしろ松江の方が暑いくらいで驚き。

当初の目的は、娘たちが宍道湖畔のマンションベランダから眼前で花火大会を観賞できるので(28日29日)是非遊びにおいでよと誘われ、最近旅行もしていないのでと出かけた次第。

確かにマンションから目測で300m位先の宍道湖内に打ち上げ台が設けられ、マンションベランダから観賞でき、迫力満点のショウだった。

28日朝10時02分の新幹線で出発。岡山から特急出雲に乗り換えて、松江着15時37分。

名古屋からは飛行機も飛んでいないので電車だが、岡山からでも2時間半。遠い!

駅に出迎えてもらい、花火までの間八重垣神社へ向かうこととする。

有名な歌が石碑のように建っている。

しかし、後に???となることが出てくるが今は内緒。

境内にこんな案内碑があった。

素盞鳴尊(スサノオノミコト)・稲田姫命(イナダヒメノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し八重垣を作って、親の承諾を得られた正式結婚の道を開き、ご夫婦の宮居とされたことから、縁結びで有名な神社として参拝者が多く、このような碑も建てたようだ。

奥の森に鏡の池があり、稲田姫命がこの池の水を飲み、鏡にもしたという。

ここに和紙にを浮かべて縁占い。多くの女性で賑わう。

その上、古事記編纂1300年と平成25年に出雲大社が60年に1度の遷座祭を執り行う節目とあって「神話博しまね」が開催されていることから、是非行ってみようと、出かけた次第。

初日は八重垣神社参拝だけ。

マンションに戻り湖畔を散歩。

「平太とガタビシのながい一日」像が和ませる。(故園山俊二氏の漫画)

マンションの近くに、無料の温泉源泉がある。婿さん何回も往復して風呂へ運んでくれたそうだ。「命名 嫁が島温泉元湯」と書いてある。

 

水道のような形の先に管があり、ここから勝手に汲んでよいそうだ。

夕日がきれい。

初日は移動時間で疲れた。明日からしっかり神社巡り。

ところが、神社巡りが好きなものだから、行く先々で写真撮りまくり、加えてご朱印、神社案内書、パンフレットなどを大量に確保したため、整理がつかなくなってきた。

写真は200枚超え。

今日午前中、写真の整理とパンフのせいりがようやく完了。

しかし、一気にブログに掲載できるはずもなく、コツコツとアップするつもり。

乞うご期待。

出かける前に、中井貴一主演の「Rail Ways」をTUTAYAで借りてきて見てみた。

これは」松江しんじこ温泉駅と出雲市、出雲大社を結ぶ一畑電鉄が舞台の物語。

少しでも宍道湖周辺の雰囲気をと思い観賞。

明日一畑電鉄(地元ではバタデンというそうだ)に乗るつもり。

                                                          (つづく)

 

 


金峯山寺蔵王権現参拝

2012-06-03 14:09:55 | 旅行

6月2日吉野 金峯山寺参拝。

何しろ名古屋から遠いので、昼までに吉野到着目指して自宅を出発。

当初は、特急は使わずにと思っていたが、片道4時間以上かかるので、結局特急を使う。

自宅8時に出て、吉野着12時。

吉野駅を出てロープウエー乗り場へ。

このロープウエーは昭和3年に作られたもの。駅に箱の緩衝装置がないため、乗降のたびに、揺れてしまう。

一応係りの女性が箱を抑えているものの、乗客の乗り降りで揺れが大きくなり、極めて危ない。今まで事故なかったのかな

普通なら吉野駅から蔵王堂まで軽い登山するが、今の体調では無理なのでロープウエーを利用した。

ロープウエーを降りて、蔵王堂へ向かう。

途中、黒門に出る。この黒門は金峯山寺の総門でかつ吉野一山の総門。

 

参道に入ると、葛の看板。

さすがに吉野葛と言われるほどだからな。

間もなく銅の鳥居に出る。

 

この鳥居の説明はANAのホームページから。

「金峯山寺銅鳥居(きんぷせんじ かねのとりい)は高さ7.6mで、創立年代ははっきりしませんが、聖武天皇が奈良の大仏を鋳られた銅の残りで建立されたと伝えられています。
また、金峯山入峯の1番目の門で、「発心門(ほっしんもん)」とも呼ばれます。
この門が菩提の心を発する門で、ここから南を弥陀の浄土と見立てた修験者は、この門で俗界を離れて修行の意欲づけをします。
また、安芸宮島の朱塗りの木の鳥居、大阪四天王寺の石の鳥居と並んで、日本三鳥居の一つとされています。」

いよいよ蔵王堂山門。

 

 山門は国宝。この国宝の改修勧進のため、本堂秘仏を開帳している。

金峯山寺は金峯山修験本宗という宗派。以下の説明は金峯山寺のホームページより。

明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。

本堂も大きく堂々としている。さすが国宝。

入館料1000円。こんな高いのは初めて。だが本堂に入るところで袋渡される。

靴を入れるための袋で返還しなくてよいと。同時にお守りも。

 

秘仏は、青い蔵王権現で色彩豊か。中央が大きく、両脇にやや小さい蔵王が並んでおられる。

内陣に入れたので、より迫力満点。

秘仏なのでここに画像アップできないので、金峯山寺のホームページを紹介。

http://www.kinpusen.or.jp/guide/guide_2.htm

大満足の拝観。写真はご朱印。

本堂前に方形に囲まれた敷地があり、四隅に桜。これを四本桜と呼んでいる。

これは歴史的敷地で、南朝の大塔宮護良親王おおとうにみやもりよししんのうが北条勢にせめられ、吉野落城を覚悟し最後の酒宴を催された場所とか。

外に出て本堂西側にある南朝妙法殿へ。途中に休憩にちょうど良いベンチあり。ここで昼食。

南朝妙法殿に向かう。手前に幟。

この敷地内に妙法殿。本尊釈迦如来。

この後、坂を下ればまだまだ参拝所あるものの、帰りの上りを考えると体力的にきついので、引き上げることとする。

金峯山寺を出て、時間もあるので、葛菓子でも食べようと立ち寄るも、2時間待ちと言われガックリ。

葛饅頭を買って帰る。それでもあきらめられず、途中他の店により、くずもち、くずきり食べる。

まるで非なるもの。あきれる。吉野の恥。

駅に向かう。和紙専門店に立ち寄り、はがきを買う。店の向かいに旅館あり。その横に下に向かう深い階段。この下はどうなっているのか尋ねると、ここは“吉野建”てと言って、崖に沿って家を建てているとのこと。この旅館も道路沿いの入り口は4階に相当するとのこと。

降りて行かるので、下まで行ってみる。写真は階段と旅館を下から。

 

帰りもロープウエー。吉野から名古屋まで特急利用。名古屋着17時52分。

距離が遠かったためだろう。疲れた。しかし、思いでに残る旅行であった。