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宦官を拒否した日本(2)

2017-02-16 13:11:40 | 日本の文化
◆「日本文化の選択原理」(小松左京)(『英語で話す「日本の文化」 (講談社バイリンガル・ブックス)』)(この論考は、もともとは1985年に講談社から出版された『私の日本文化論』シリーズ3冊のうちの一冊に収録されたものらしいが、今はすべて絶版で、そのかわり上の本に収録されている。)

日本は、かつては中国文明に、近代以降は西洋文明に強く影響を受け、その文明の多くを取り入れながら、文明の根幹となっているいくつかの要素は、不思議に拒んでいる。中国文明でいえば、宦官や、儒教の同姓不婚という原則、西洋文明でいえばキリスト教などだ。小松左京はその背後に「日本文化の選択原理」があるといい、「それまでの日本人の、ごく自然に形成されてきた感覚と合わないものは、上手に外してしまう、という余裕があった」から、そういう選択原理を働かせることが可能だったと主張するのだ。

ただ、その「日本人の、ごく自然に形成されてきた感覚」がどんなものだったかまでは小松左京は説明していない。以下でこの点を論じるが、これまでこのブログで触れてきたことと重複する部分もあることをご了承願いたい。

まずは、「日本文化のユニークさ8項目」の第2・3番目に関係する点である。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

中国文明を本格的に受容するときに、日本人の「ごく自然に形成された感覚」が選択原理として働いていたとすれば、それは縄文時代から日本列島に住んでいた人々によって形成された感覚に違いない。だからこそ縄文時代に注目する必要があるのだ。

旧石器文化を人類史の第一段階とするなら、農業の開始とともに始まる新石器文化はその第2段階をなす。縄文文化は、土器を制作し定住していたという、明らかに旧石器文化にはない特徴をもっている。それでいながら新石器文化の本質をなすはずの本格的な農業を伴わないのだ。縄文時代の土器の制作量は、本格的な農耕をともなわない社会としては、世界のどの地域にくらべてもきわだって多いという。

しかも縄文土器は、大陸で発見された土器と用途の面で大きな違いがある。大陸での土器使用は、四大文明にも共通してみられるように、農耕によって得られた食物の貯蔵と盛りつけ、あるいは捧げもの用であった。これに対して縄文土器は、もっぱら食物の煮炊き用としてはじまっている。縄文文化が同時代の世界において特異であった理由のひとつが土器の使用の違いにあったのである。

新石器文化が農耕・牧畜の開始によって始まったことは、特定の食物を選択したうえで効率的に増産することだった。しかし同じ作物を集中的に栽培すれば増産は可能だが、天候不順などによるリスクは高くなる。これに対して縄文時代の人々は、自然界の多様なものを食べることによって食糧事情の安定化を図った。煮炊き用の土器が、自然界で食べられるものの範囲を大幅に広げたのである。煮炊き用の土器で、本格的な農耕が伴わなかったにもかかわらず食糧事情が安定し、その結果、定住が可能となったともいえる

縄文時代は、新石器文化の定住段階に入っても本格的な農耕をもたず、自然との深い共生の関係を1万数千年もの長期にわたって保ち続け、しかも表現力豊かな土器を伴う充実した社会を築いていたのだ。それは、中国文明流入以後の日本の歴史時代に比べ10倍近くも長い、世界史上でもユニークな時代である。縄文時代は、弥生時代から現代にいたる2500年間に比べても4倍から5倍も長い。あのエジプト文明でさえせいぜい5千年の長さだったのに比べると、これは人類史上まれなことである。

以上のように縄文時代は、人類史上でもきわめて特異な位置にある。その特異さ、その独特の生活形態と自然観、自然との関係の仕方は、その後の日本人にとっては消し難い「文化の祖形」となったのである。とすれば、その後に圧倒的な中国文明に接して影響を受けたとしても、縄文時代、さらに弥生時代へと受け継がれた「ごく自然に形成された感覚」がフィルターとなり、強烈な「選択原理」として働いたとして不思議はない。次にその「選択原理」をもう少し具体的に見ていこう。

旧大陸のほとんどの地域が農耕社会にはいり、イスラエルとその周辺地域から、ユダヤ教を中心に父性原理的な一神教が広がっていくなか、日本列島に住む人々は1万年の長きに渡って、豊饒な大地と森の恵み、豊かな海の幸に依存する高度な自然採集社会を営んだ。その宗教生活は、「母なる自然」を信じ祈る、きわめて母性的な色彩の濃いものであった。

旧大陸に比し、日本列島に生きた人々が古来、本格的な牧畜を知らなかったことは、日本文化のユニークさを特徴づける大きな要素になっていると思う。縄文人が牧畜を取り込まなかったのか、弥生人が牧畜を持ち込まなかったのか。いずれにせよ牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。

一方、大陸の、チグリス・ユーフラテス、ナイル、インダスなどの、大河流域には農耕民が生活していたが、気候の乾燥化によって遊牧民が移動して農耕民と融合し、文明を生み出していったという。遊牧民は、移動を繰り返しさまざまな民族に接するので、民族宗教を超えた普遍的な統合原理を求める傾向がが強くなる。

さらに彼らのリーダーは、最初は家畜の群れを統率する存在であったが、それが人の群れを統率する王の出現につながっていく。また、移動中につねに敵に襲われる危険性があるから、金属の武器を作る必要に迫れれた。こうした要素が、農耕民の社会と融合することによって、古代文明が発展していったという。これはまた、母性原理の社会から父性原理の社会へと移行していく過程でもあった。

牧畜を行う地域では、人間と家畜との間に明確な区別を行うことで、家畜を育て、やがて解体してそれを食糧にするという事実の合理化を行う傾向がある。人間と、他の生物・無生物との境界を強化するところでは、縄文人がもっていたようなアニミズム的な心性は存続できないのだ。

牧畜を行わず、稲作・魚介型の文明を育んできた日本は、ユーラシアの文明に対し次のような特徴を持った。

①牧畜による森林破壊を免れ、森に根ざす母性原理の文化が存続したこと。
②家畜の去勢技術、その技術と関連する宦官の制度や奴隷制度が成立しなかったこと。
③遊牧や牧畜と密接にかかわる宗教であるキリスト教がほとんど浸透しなかったこと。
④遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育んだ。

今に至るまで生き続ける縄文時代の記憶。そのひとつは、豊かな「自然との共生」を基盤とする宗教的な心性である。たとえば、現代の日本人がもっている「人為」と「無為」についての感じ方をみよう。現代でも日本人は傾向として、意識的・作為的に何かを「する」ことよりも、計らいはよくない、自然のまま、あるがままの方がよい、という価値観をかなり普遍的に共有していないだろうか。また上の④に見られるような、人間と他生物を峻別しない生命観もあいまって、人工的に家畜を管理する去勢技術が流入しなかった理由の一つかもしれない。


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《関連図書》
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)


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