精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

軸のない日本文化の不思議と利点

2017-02-10 11:13:12 | 日本の文化
◆『日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか 』(呉善花、wワック株式会社)

著者の呉善花は、韓国・済州島出身の韓国人だが、日本に長く住み、今は帰化している。その過程で、それこそ韓国人としての自分やその先入見を一切殺す思いで、日本への理解を深めていく。そのためだろう、著者の日本への洞察力はきまめて鋭く深い。また私たち日本人が、韓国人の考え方を理解する上でも、教えられるところが多い。ここでは、本の冒頭近くで触れている「軸のない日本文化」という捉えかを例にあげてみよう。


著者は、日本社会の軸となる考え方や価値観が容易につかめず曖昧なことが、外国人にとって日本がわかりにくいことの大きな理由となっているという。つまり、日本の社会や文化は、宗教、イデオロギー、文化を統合する絶対的な理念という観点から見ると、他の世界の国々に比べて、これといった軸のない、きわめて相対主義的な特徴をもっているといえるのだ。欧米諸国ならキリスト教、中東諸国ならイスラム教というように、その社会の中心となる軸がはっきりしている。韓国や中国も、社会生活の面では儒教が軸になっているのは間違いないだろう。

それに対して日本の社会はどうか。儒教が軸になっているとも言えないし、かといって「武士道精神」、「仏教」、「神道」、それらのいづれか一つとも言えない。「仏教、神道、儒教、武士道精神などが融合したもの」といったところで、日本人もピンとこないし、外国人にはますますわからないだろう。それでいながら、日本の社会や文化は、その固有の伝統を失わずに存続し、現代もなお、他の国や社会にない調和と秩序を保ち、その新旧の文化の魅力を世界に発信し続けている。

著者によると、たくさんの軸があってそのどれも中心軸とは言えないということ自体が、韓国人や中国人から見ると不安でならないという。韓国人に言わせると「これだけわけのわからない神々を信じている国が、これだけ近代化されている」ということが不思議で不気味に見えるらしい。そして韓国人の反日教育の中に、日本人は文化的に未開で野蛮な人々だという教え方があるという。彼らにとっては、八百万の神々を信じるような自然信仰的な宗教性こそ、非文明的なのだ。一方、韓国は、李氏朝鮮時代に朱子学以外のあらゆる思想を排除し、朱子学一本を軸として作られた国なのだ。そうした伝統的価値観は、現代の韓国人の中にも生きており、日本人を見下す意識の背景となっているようだ。

しかし、一般的な韓国人にはもちえないような全く別の視点から見れば、日本人が、その社会を束ねる軸となるような中心的な理念を持つ必要がなかったのは、その幸運な地理的、歴史的条件によるものとも言える。それは、私が追求している「日本文化のユニークさ8項目」で言えば、(4)(5)あたりにいちばん深く関係するだろう。「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配」や「文化を統合する絶対的な理念」によって人々をまとめあげ、侵略してくる他民族と対抗する必要はなかったし、協力な絶対的な理念の軸がなくとも、島国のなかで自ずとひとつのまとまりあり社会が保たれたのだ。

翻って現代社会を見ると、宗教的な理念やイデオロギーの対立がどれだけ人々を不幸にしているか。頻発するテロや、難民流入にともなう摩擦の背景にも、社会や文化をまとめる軸相互のぶつかりあいが背景にある。日本人が、そうした宗教的な理念の軸を相対化して見ることができるということ、それでいてこれだけの近代社会を形成しえたということ。この事実は、こらからの世界のあり方に重要なヒントを与えるかも知れないのだ。

ここでは、著者の考察の触りだけを例として取り上げたが、彼女の鋭い洞察は、今深まっている日本と韓国の摩擦の、いちばん根元の部分に何があるかを理解する上でも、十分に意味があるだろう。


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