精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

『呼吸による癒し』

2008-09-16 09:06:58 | 瞑想
呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想

著者はハーバード大学などで社会心理学などを教えた博士で、クリシュナムルティ、ヴェーダンタ、禅、そしてヴィパッサナー瞑想を30年修行をしたという。

この本は「出息入息に関する気づきの経」(アーナーパーナサティ・スートラ)に基づいて教えるという形をとっている。

あれこれ迷いなが瞑想している今の私にとっては、とてもとても参考になる本だ。本当にことこまかに親切に手取り足取り瞑想を教えてくれている。しかも、たんなるノウハウの本ではない。瞑想を説くことがそのまま深い深い求道の精神と説くことにつながっている。あるいは、瞑想の在り方を説くことが、そのまま生き方へ洞察に繋がっている。

その珠玉の言葉をいくつか拾ってみよう。

「私たちは記憶やさまざまな理想から自分自身についての概念を創造し、そのイメージを保持しようとして疲れ果ててしまいます。最後にその理想のイメージを手放すことができたとき、それは大変な救いとなります。そして私たちはこれまでとは別なことをする豊かなエネルギーを得ます。」(P82)

「『……私以外の全員が集中できている。この心さえさ迷い出さなければ、修行できるのになあ』と自分を責め始めます。でも、そのさ迷ってしまった心を見るのが修行なのです。(中略)ですから優雅に戻ってくることを学ぶのがとても大切になります。格闘するのではなくて、舞うように」(P52)

「恐怖、恐怖から自由になりたいという熱望、心と身体、それらを観察している気づき、その気づきを増進させる意識的な呼吸。私たちはそれらのすべてと共に座ります。  恐怖のような強い感情に関しては、まず最初は自分がどうやって逃げ出そうしているかを観察するのがせいぜいでしょう。それも価値あることです。否認したり、抑圧したり、説明したり、逃げ出したり、空想している自分を観察するのです。これらのことを巻き込まれることなく繰り返し見つめているうちに、心の方が疲れてしまいます。やがてある日――無理にそうすることはできませんが――恐怖が生じても、注意がそれをサッと出迎えて、ひとつになり、恐怖がその花を開くに任せられるようになります。それこそが恐怖が長い間ずっと待ち望んでいたことだったのです。」(P106)

瞑想に迷う時、何回か読むことになるだろう、いや読みたいと思えるような本だ。

『さとりへの道』

2008-09-16 01:37:19 | 瞑想
さとりへの道―上座仏教の瞑想体験

鈴木氏は、天台宗で得度し僧籍をもつ人だが、上座仏教と出会い、激しい葛藤の中で、これまで学んだ大乗仏教、とくに法華経信仰を捨てて上座仏教に帰依していく。著書には、その過程、またヴィパッサナー瞑想で目覚めていく過程が、具体的にわかりやすく記述されていて、興味つきない。

瞑想には、止(サマタ瞑想)と観(ヴィパッサナー瞑想)があり、心をひとつのものに集中させ統一させるのがサマタ瞑想だ。たとえば呼吸や数を数えることや曼陀羅に集中したり、念仏に集中したりするのはサマタ瞑想だ。

これに対してヴィパッサナー瞑想は、今現在の自分の心に気づくというサティーの訓練が中心になる。この違いが、彼の修行体験を通して具体的に生き生きと語れており、すこぶる興味深い。段階的に非常に体系化されたヴィパッサナー瞑想の修行法がわかって面白い。その一段一段で、彼がどんな風に悩み、それを克服して行ったかが克明に記され、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の違いが自ずと浮き上がる。 

『呼吸による気づきの教え―パーリ原典「アーナーパーナサティ・スッタ」詳解』

2008-09-15 15:59:12 | 瞑想
呼吸による気づきの教え―パーリ原典「アーナーパーナサティ・スッタ」詳解

パーリ経典・中部に収められている「呼吸による気づきの教え」の解説書。精神分析や心理学、量子力学などの知識とも比較しながら解説することで、ブッダの教えの可能性を現代に甦らせたいとの意図があるという。随所に、心理療法的な視点も織り交ぜながら解説る。

テーラヴァーダ仏教やヴィパッサナー瞑想への入門書が少ないなか、この本は、テーラヴァーダ仏教の初歩的な解説にもなっていて、参考になる。ただ、随所に精神分析や心理療法の知見を参照しながらの論述は、どこまでがテーラヴァーダ仏教の伝統的な教えで、どこからが著者の見解かが、判断しにくいところもあった。テーラヴァーダ仏教やヴィパッサナー瞑想の正統的な考え方を学びたいのなら、不満が残るかもしれない。

生命観を問いなおす(森正博)

2008-09-15 14:42:32 | 科学と精神世界の接点
生命観を問いなおす―エコロジーから脳死まで (ちくま新書)(森正博)

ちくま新書の一冊。一読して、その問題提起の深さ、視野の広さに強い感銘を受けた。学ぶことが多かった。

環境の問題、生命の問題が問われている。しかしその問題は、近代的世界観や資本主義の論理という私たちの外部にある制度が引き起こしたというべきではない。問題は、私たちの外部にではなく内面にあるのではないか。私たちの内面、あるいは生きるという営みそのものに目を向けなければ、環境倫理学や生命倫理学に共通する限界を超えていくことはできないのではないか。それが著者の問題提起である。

環境や生命の問題を論じながら、ディープエコロジー、さらに精神世界やニューエイジ、ニューサイエンスといった、一時代を築いた潮流に触れつつ、その限界や問題点を明らかにしようとする。私もその潮流に深くかかわってきただけに大いに学ぶものがあった。

『なまけ者のさとり方』

2008-09-15 12:26:27 | さとり・覚醒
なまけ者のさとり方 PHP文庫 (PHP文庫)

題名からしてもっと軽い本かと思っていたが、実際は深く優れた本であった。ラマナ・マハルシ、クリシュナムルティ、エックハルト・トール、ガンガジ等々と根底に広がる世界は同じである。

ただ表現が違う。表現が違うということは、いろいろな仕方で、いろいろな角度から、私の魂を揺さぶってくれるということである。あるいは、この本の中の言葉が、変容へ向けての強力な引き金になるのかも知れない。

「一つひとつの生きものの基本的な営みは、拡張することと収縮することです。広がることと縮むことと、言ってもよいでしょう。拡張した生き物は『スペース』となって四方に浸透してゆきます。」

「地獄さえも愛することができるようになれば、あなたはもう、天国に住んでいるのです。」

『心理療法としての仏教』

2008-09-15 10:41:15 | 瞑想
心理療法としての仏教―禅・瞑想・仏教への心理学的アプローチ

仏教および瞑想、禅などを心理学や心理療法の観点から捉えなおすという試みは、欧米諸国では盛んになされ、私自身も深い関心をもってそうした視点から人間性心理学やトランスパーソナル心理学を学んできた。

この本は、理論面で新たな貢献がある分けではないが、日本の研究者によるその数少ない取り組みとして貴重であり、後半部で瞑想と心理療法を実践的な視点から比較し、両者の実践上の問題を議論する部分から学ぶところが多かった。

もちろん著者は、瞑想が通常の心理的な治療を超えた深さをもつゆえに適用を間違えば深刻な問題を引き起こす場合もあることを指摘する。その上で「瞑想的実践や現代心理療法に現代人の強い関心が集まっているのは、私たちが集合的規模でここの内面の探求を行い、それをただ自身の治癒に役立てようとするだでけではなく、訪れてきた大きな時代の波を乗り切り、その先の時代を歩むために心を成長させる必要性を強く感じているかからではないだろうか」というような広い視野からの考察も行っている。