精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

『補完代替医療入門』(上野圭一)

2010-12-10 18:43:36 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『補完代替医療入門 (岩波アクティブ新書)』(上野圭一、岩波書店、2003年)

本書の意図は、膨大なCAM(補完代替医療)の領域のなかから、おもなCAMに共通す る身体観・治癒観や、すべてのCAM利用の前提となる「セルフ・ヘルプ」「セルフ ケア」という条件などを紹介することだという。著者はCAMを、技法である前に生命観であり生きかたであるととらえ、その共通の地盤を描きだそうとする。 CAMは、治療法であると同時に「健康や医療のあたらしい思考法でもある」。だから、 現代医療に絶望し、CAMに真向かう過程で、「機械論的な身体観からエネルギー的な 身体観へ、二元的な人間観からホリスティックな人間観へ」と大きな変化が生じ、 健康観・疾病観・治療観などに一種のパラダイムシフトが起こる可能性は高い。

病気とは、生命が自らを維持するために必要な一種の安全弁であり、「症状」とは 心身が心身自身を癒そうとするプロセスである。病気を適切に経過し、まっとうす ることによってこそ、健康は維持されるのだ。 こうした病気観は、すでに紹介した福田-安保理論でもさかんに強調され、安保徹の 『免疫革命』でも繰り返し語られる。『免疫革命』(講談社イン ターナショナル)では、それが白血球の働きの具体的なメカニズムを明らかしつつ 詳細に説得力をもって語られ、そういう意味でも福田-安保理論は、CAMの病気・治療観の具体的な裏づけになるだろう。併せ読むことをおすすめしたい。

たしかに補完代替医療(CAM)の領域で、ゆっくりとしかし確実な流れができつつある。とくに欧米で、本書で語られるような大きな潮流になりつつあるとは驚きだ。 現在、欧米における中国伝統医療の研究と教育、および社会への普及は日本人の想像をはるかに超える。たとえば米国の鍼灸学校は、漢方薬の処方もみとめられた鍼灸師を1万人以上排出している。また、たとえば日本では「放任行為」に過ぎないカイロプラクティックだが、米国にはその専門大学がいくつもあり、その施術が社会的に認知され、医療保健の対象にもなっている。 さらに米国の医師が考案したオステオパシー(手技を通じて頭蓋骨をふくむ全身の 微小関節を調節することによって生体エネルギーの流れに介入し症状の緩和をもた らす骨調整療法)は、その専門教育を行う6年生の医科大学がいくつもあり、そこを卒業して取得した資格は、社会的にM・D(現代医学の医師)と同等とみなされている。
                      
こうした事例を数多く読むと、日本の遅れに今更ながらに驚く。医療制度とその背景にある近代科学主義の弊害が、日本の医療を蝕んでいる。代替医療が法的にも正統に認知され、社会的な評価も高まれば、それに伴って補完代替医療の背後にある世界観そのものが普及していくだろう。それは、病気とその治療を通して、私たち の生きかたそのものを変えて行くことにもつながるのだ。 「修理工ではなく庭師になろう」は、機械としての人体の故障を修理するのではな く、庭の草木を健康に美しく育てるアーティストたろうとする医師の側の自己変革 のメッセージだが、同時にそれは庭師の補助のもと、「庭である自己、自己である 庭」を管理する私たち一人ひとりの生きかたの変革にもつながる。 本書は、CAMの可能性を大きな視点から捉えつつ、CAMの現状を具体的に紹介して、 学ぶところが大きい。

《同著者の他の本のレビュー》
『代替医療』(上野圭一)
 
《同著者の本》
★『代替医療―オルタナティブ・メディスンの可能性 (角川oneテーマ21)
★『わたしが治る12の力―自然治癒力を主治医にする

『この世とあの世の風通し』(加藤清)

2010-12-09 11:57:00 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『この世とあの世の風通し―精神科医加藤清は語る』(加藤清、春秋社)

加藤清は、日本の精神医学界に大きな影響を与えた精神科医だ。国立京都病院に精神科を設立し、その医長となり、精神病理・精神療法学会、芸術療法学会などの設立などにも貢献している。また、精神医学会の多くの指導者やセラピストを育てた。他に『癒しの森―心理療法と宗教』、『霊性の時代―これからの精神のかたち』などの著書がある。

この本は、翻訳家かつ鍼灸師である上野圭一が聞き手となって、加藤清の深遠な思想の一端を語ってもらうという試みだ。読み始めて思わず夢中になった。 内容は、「精神医学への道」と「魂の深層からの癒し」とに分かれ、医学者になるまでや治療の現場での様々なエピソードを中心に語られており、きわめて平易で興味深い。日本の精神医学界の指導的な立場にいる人物が、これほどに「この世とあの世の風通し」を持ち、しかも魂の真の癒しを求めて「あの世」に通じる精神を治療の根本にすえている事実は、感嘆にあたいする。

幼いころから「この世とあの世とがツーカーになっていた」という加藤清は、精神医学的な治療の現場でカルマの問題に突き当たると、信頼できる霊能者の協力すらえている。にもかかわらず、ターミナルケアについての次の言葉は示唆的だ。 「ターミナルケアに一番必要なのは、治療者が本当に落ち着くことだ。魂や、死後の世界ということは、あまり強調しなくてもいい。自分が深く深く落ち着いた状態 で、死んでいく人に向かえばいいのです。そうすると、人間というのはどこかでお互いに落ち着いていくことを求め合っているから、相手も安心する。」

すでに取り上げた『彼岸の時間』のあとにこの本を読んだのは偶然だが、取り上げられているトピックスにサイケデリックスや沖縄のシャーマンなど、重なりが多く興味深かった。 彼は、スイスの某社からLSDの効果研究を依頼されて治療研究だけでなく自分も 試している。自身のLSD体験や、LSDによる治療例が語られていて、これがまた興味深い。 サイケデリック心理療法が、いかに生と死という魂の根源からの治癒を促すかとい うことを認識させられた。また、そこで生と死の根源に触れている精神科医の援助がいかに大きな意味をもつかも、具体的な事例から知ることができた。 サイケデリックスは、人間の究極的関心である根源的リアリティーへの志向を活性化するとする点は、蛭川立の主張と同じだと思った。

★同じカテゴリーの本のレビューはこちらです。→「セラピー・ヒーリング・医療

『生きる意味の探究 』(グレン・ウィリストン)

2010-12-07 21:06:59 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『生きる意味の探究―退行催眠が解明した人生の仕組み 』グレン・ウィリストン(徳間書店、1999年)

これまでに読んだ退行催眠による過去生の探求や、いわゆる「前世療法」を扱 た本に比べると、実証的な姿勢がある点がよい。クライエントが語った過去生の記憶を実証的に確認した結果をある程度語っているのだ。ただ全訳ではないので、もっと実証的な部分は翻訳では省略されているかも知れない。少なくとも、いくつか挙げられた事例から判断して、実証的に確認できる事例を、著者がかなり持っているようだということは分かる。

一例を挙げよう。アメリカ人である女性が、アレックス・ヘンドリーという男性 として19世紀後半のスコットランドに暮らしていた人生を語った。アレックスは、肉体的なハンディキャップを克服し、エディンバラ大学で医学を修めた。その生き生きとした大学生活の描写は、証明可能な二つの事実を含んでい た。

ひとつは家族がハンプシャーに住んでいたこと。もうひとつは、彼が1878年に医学校を卒業したことだった。こうした100年以上前のスコットランドの一無名人の情報を、クライエントが入手できたはずはないが、勉強のたいへんさや、家族からのプレッシャーを語る彼女の描写は真実味が溢れていたという。著者はその後、エディンバラ大学に問い合わせて返事を受け取った。「アレクサンダー・ヘンドリー。スコットランド、バンプシャー郡カラン出身。1878年、医学士過程及び修士課程終了」

この本でも改めて確認したのは、クライエントが過去生で死ぬ場面を語る描写が、 臨死体験者の報告とほとんど同じだということだ。これは驚嘆に値する。体外離脱、上から自分の肉体を見る、愛を発散する光に包まれる等々。これも具体例を示そう。

「自分の遺体が見えます。自分の体を、見下ろしているんです。暴徒たちは、その遺体に覆いかぶさるように立っています。ひとりの男が、足で私の遺体をひっくり返して、何かぶつぶつほかの人たちに話しかけています。遺体を運び去ろうとしているんです。もう、自分の肉体にとどまりたいとは思いません。自由になったんです。そして光が‥‥‥とっても感じのいい光です。安らかな気持ちにさせてくれます‥‥‥恐怖も苦痛も消えました。私は自由になったんです。」

もちろんこれは退行催眠で過去生での死とそれに続く場面を思い出しているのだが、臨死体験についてある程度知る人なら誰でも、両者の驚くほどの類似性を認め るだろう。

著者は言う、「退行したクライアントがどんな宗教を信じていようと、過去生での死の体験は、みな驚くほどそっくりである。死とは移行の瞬間であり、平和と美と自由の瞬間である。着古してくたびれた衣装を脱ぎ捨てて、新しくもあり、またふるさとのように馴染みある世界へと、踏み込んでいく瞬間なのである。」

多くのクライアントが繰り返し語る死の特徴は、「身の軽さ、浮遊感、自由さ」だというが、これはまた、多くの臨死体験者が繰り返し語る特徴でもあるのだ。

臨死体験の報告と一つだけ相違する部分があるとすれば、退行催眠ではトンネル体験を語るものは、ほとんどいないらしいということだ。

それにしてもきわめて高い共通性があるのは確かで、今後しっかりとした統計的な比較研究をする必要があると思う。これほど臨死体験が知れ渡っている以上、ほとんどのクライエントはその内容を知っているだろうから、たんに共通性が高いだけでは、あまり意味をなさない。細部に渡る比較研究のなかで、この共通性が積極的な主張につながるかどうかを検討しなければならない。

クライエントが語る「中間生」、時空のない世界の描写にも、臨死体験の報告と高い共通性がある。「宇宙を満たす感触、すべての生物を包み込む感触、見えるのも見えないものも含めたすべてのものの真髄に触れる感触、あらゆる知識に同化して文化の制限を超えた真実に目覚める感触、それが、中間生である。」

悟りにも似た精神変容を遂げる臨死体験者も、同様の世界に触れた体験を語ることは、『臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』の読者なら、容易に理解してくれるだろう。

中間生の描写は、別項で取り上げた『魂との対話―宇宙のしくみ 人生のしくみ』での「魂」のあり方とも非常によく似ている。「魂」は、それ自体、時間による制限を受けず、時間の外側に存在している。「魂」の視野は広大で、その知覚はパーソナリティー(個々の人生を生きる自己)のもつ限界を超越している。パーソナリティーは、愛や明晰さ、理解、 思いやりなどに自身を同調させることで「魂」に近づく。  

退行催眠は、クライアントが療法家の世界観の影響を無意識に受けやすいという面があるかも知れない。そうした点に充分慎重である必要はあるが、著者が豊富な 臨床例から解明した「人生の仕組み」を参考にして見る価値は充分にあると思った。 人生という名の学校で、私たちは、繰り返し学び続けているのだという「仕組み」 を。


自己変容の炎(ジョーン ボリセンコ)

2010-09-15 20:47:52 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『自己変容の炎―愛・癒し・覚醒 (ヒーリング・ライブラリー)』(ジョーン ボリセンコ)

世界の魂は、飢餓や公害や憎悪の炎の中におり、傷ついている。その傷の炎を意識的に使って、癒しの炎に変え、世界を変えていかないと、炎は私たちを燃やし尽くしてしまうと著者は言う。そして逆説的ながら、痛みや虐待やトラウマのおかげで、文字どおり光を見て、個人的な癒しや社会の癒しに熱意をもってとりくむ人が増えているという。

闇に閉ざされたときにこそ、変容をうながす本物のメッセージが到来するときだというのが、この本のひとつのテーマだ。人生の危機に直面したときに、自分自身と宇宙に対する根本的な信念が、魂の闇夜とどうつき合うかを決定する。「何で私が?」というギリギリの問いこそが、自分がほんとうに信じていることに対面させてくれる。不幸の原因について自分を責めるだけの無力なペシミストなのか、人生の難題に挑戦することが心理的・霊的成長の一過程だと信じるオプティミストなのか。

40代はじめのレスリーという女性は、3年前に夫を亡くした。二人の娘をかかえる彼女は銀行勤めをはじめたが、やがて自分自身が、右の乳房に悪性の腫瘍があることを知る。「何でこの私が、と最初は考えました。でもそのあと思ったんです、私がこうなっちゃおかしい理由もないって。だって何が起きるかなんて、私たちにわかるわけないんですもの。‥‥‥ひとつだけわかることは、胸の奥のどこかではっきりわかることは、こういうつらいことが、最後の最後には私のためになるんだってことなんです。なんでそうなるのかはわかりません。死ぬまでわからないかもしれませんが‥‥」

著者によれば、自分の病気や不幸に意味を見出すことができた人は、自分の置かれた状況をより大きな自由と幸福を手に入れるためのチャンスとして活用し、それによって人生の責任をとろうとした人たちだという。レスリーも、今の不幸に愛ある目的が込められていることが、いつの日か明らかになると信じ、自分の人生に責任をとる努力を惜しまない。しかもその信念は、硬直したドグマではなく、柔軟で開かれている。

魂の闇夜は多くの場合、新しい存在の仕方へのイニシエーション(通過儀礼)だと考える人が、心の健康の専門家のなかにもあらわれているという。病気は、肯定的な移行であり、「恵み」でさえあり、たとえばうつ病は、究極的には自分を心理的・霊的に強めるようなイニシエーションであるという。

人は、無力なものでも、縛られているものでも、役立たずでもない。苦しむだけの価値がじゅうぶんにある浄化に向かって、炎のなかをくぐり抜けているのだ。苦しむことの価値は、それがもっとも神聖なものの探求をうながすところにあるのだ。

知的な興奮を覚えるような新しいメッセージの本ではない。やや冗漫な感じももった。しかし読んでいて魂が気づかぬうちに影響を受けている、そんな印象をもっ た。

免疫革命(安保徹)

2010-08-30 11:17:45 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『免疫革命』(講談社インターナショナル、2003年)

この本の価値は、これまでそのしくみが充分に解明されぬままに謳われていた「自己治癒力」「自然治癒力」ということを、自律神経・免疫系のしくみから明らかに したことであろう。ストレスによる自律神経系の乱れ、それと様々な心身症との関 係について語られることは多いが、それを顆粒球、リンパ球の増減という精妙なメ カニズムにまで踏み込んで明らかにしたのは、画期的だ。

自律神経は、交感神経と副交感神経のバランスで成り立っている。精神的・肉体的 ストレスがかかると、そのバランスが交感神経優位へと大きくふれ、それが白血球のバランスを崩して顆粒球が過剰となり、免疫力を低下させる。安保氏は、自律神経により白血球がコントロールされる姿を明らかにすることで、免疫システムの全体像をつかみ、病気の本体が見えようになったという。 こういう根本のメカニズムが分かっていなかったのかと驚くと同時に、病気と健康 を統合的に把握する重要な理論が出現したのだという感銘を受ける。

自律神経と免疫システムの関係を理解すれば、身体を消耗させる間違った近代医療ではなく、もっ と自然に治癒に向かう医療を選ぶ選択肢があるのだという、その主張の根拠が納得できるのだ。

東洋医学や補完代替医療は、免疫力を高めるといわれるが、それがどのようなメカニズムによるのか分からなかった。これまで補完・代替医療は、その治療効果につ いて経験則に頼るほかなく、いわば手探りで治療をすすめていた。それが、自律神経による白血球の支配という理論によってその一部の過程が裏付けられるようになった。福田-安保理論は、東洋医学や補完代替医療の治癒のしくみを明らかにするための非常に重要な足がかりとなっていくであろう。

しかし、もちろんこれだけでは充分ではない。あくまでも従来の科学の範囲内で語りうる仕組みが明らかになったというに過ぎない。従来の科学では認められない、 たとえば「気」との関係などについては、福田-安保理論は何も触れていない。それは当然とも言えるが、われわれにとっての課題は、明らかになった自律神経・免 疫系の働きと「気」の研究とをどのように結びつけていくかだろう。

それにしても、ガン、アトピー、その他さまざまな慢性病など、現代医療が不得意とする病気について、現代医療の対症療法がいかに根本的に間違っていたかが、いやというほど分かる。対症療法そのものが、治癒どころか生体を痛めつけ、病気を悪化させていた。治癒のために必要な、自己治癒力、つまり自律神経や免疫系の機 能を痛めつける方向に働いていたのだ。たとえば、ストレスの連続がもとで起こっ た発ガンなのに、抗がん剤投与でさらなる消耗を加える治療の愚かさ。

この本や、先に紹介した補完代替医療関係の本などを読むと、現代医療や、その背景となる近代科学的な世界観がいかに多くの問題をかかえているかが再認識される。 そして健康や病気という日常的に切実な問題へのかかわりを通して、われわれ一人一人の生きかたを深めるチャンスが与えられているのだとを感じる。

代替医療(上野圭一)

2010-08-27 12:47:21 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『代替医療―オルタナティブ・メディスンの可能性 (角川oneテーマ21)』上野圭一 (角川書店、2002年)
 
まず、1960年代半ばから1970年代に北アメリカを中心に起こったカウンター・カルチャ ー(対抗文化)から説き起こし、代替医療の成立を解説している。

対抗文化は、大量採取、大量生産、大量消費、大量廃棄に支えられた現代文明を批判し、よりエコロジカルな文明を提起した。その中でつぎつぎ具体化された各種の代案に共通する思想が「オルタナティブ」といわれた。

医療・健康の分野では、還元主義的な現代医学や心理学にたいするオルタナティブとして、ホリスティック医学運動がさかんになり、代替医療も、ありうべき代替文明の一翼を担うも のとして、その中から生まれてきた。

生体にとってそれなりの理由があって表面に出ている症状(適応プロセス)を、現代医学 は無理やり抑圧し、さらに健康な組織や細胞にもダメージを与えてしまう。これに対し代替医療の多くは生命エネルギー場の歪みそのものに働きかけ、それを正すことによって結果的に症状を取り去る。それゆれ代替医療に真剣に取り組むことは、「いのち」そのものに真剣とりくみ、自己や森羅万象とのつながりに取り組むことになるという。

そんな広い視野から代替医療を振り返ったのが本書だ。

最後に紹介されている柳原和子氏の『がん患者学』の内容にはとくに印象に残った。ノン フィクション作家が卵巣がんの宣告を受けた後、現代医学の治療を受けながらも代替医療を 徹底的に取り入れ、みごとに生還をとげた話だ。 がんを生んでしまったこれまでの暮らしとは「反対の暮らし」に徹し、「徹底して自分の体内に蓄積したであろう化学物質を排泄し、全身の機能をいかに高めるか」をテーマにしたという。食生活の根本的な改変。イメージ療法。郭林気功、樹林気功、登山、祈り等々。

その結果は、驚きと発見に充ちたものだったようだ。数十センチの便が一日四回も出たと うすさまじい便通の変化。肥満、肩凝り、偏頭痛などの解消。心理面では、日常的にあった 苛立ちが一切消えたこと。自然やいのち、周囲の人々への敬意と感謝。 たとえ、健康な人間であろうと食生活を含めた生活のあり方の改変がいかに大切かとこうことを感じた。

やさしいフォーカシング(アン・アイザー・コーネル)

2010-08-26 11:03:55 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方』 アン・アイザー・コーネル著 (コスモス・ライブラリー、1999年)

フォーカシングとは、「からだを使って、自分の気づきを促し、こころを癒していく」現 代心理療法のエッセンスを凝縮した方法だという。 ジェンドリンが、カウンセリングの成功例を研究しているときに、成功事例にはクライエントの側にある共通の特徴があることを発見した。それはクライエントが、面接のどこかで 「話し方がゆっくりになって、言葉の歯切れが悪くなり、その時に感じていることを言い表す言葉を探し始め」るということ。自分の内側の「心とも身体ともつかない曖昧な漠然とした感じ」を確かめるように話していたのである。 この「内面の曖昧な感じに触れる」という内的な体験のプロセスをジェンドリンは、フォーカシングと名づけた。

先に紹介した『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』の著者、トールは、 「自分 の感情を知るのが難しいなら、からだの内面にあるエネルギー場に、意識を集中させてみましょう。からだを内面から感じるのです。これで自分の感情を感じることができるはずです」 といっている。

トールも、からだの内への気づきを重視しているのだが、フォーカシングは、それを誰もがいつでもできる取り組みやすい技法(わざ)として方法を確立した。心理療法から生まれでたこうした細やかに洗練された方法を利用しない手はない。

「フォーカシングは、からだとの信頼関係を結んで、からだの気づきを通して、この自分 自身の豊かな部分が伝えてくれる智恵に耳を傾けられるようにしてくれます。フォーカシングは、からだが大声で叫び出す前に、ささやいているうちに、そのささやきを聴けるようにしてくれます。フォーカシングは、内なる正しさの感覚にかなうよう、人生を変えていきます。」  

その変化は、おだやかでゆっくりしたものであるようだ。  

ヴィパッサナー瞑想も一瞬一瞬の体内感覚への気づきを重視するが、あわせてフォーカシ ングを学ぶことは、体験を深めるのに役立つのではないかと思う。  

自分のからだを観察して、何か感じをつかんだら、その感じをただそのままそこに置いて おく。自分で判断を下したり、自分の感情を回避したり、なぜそう感じるのかを突きとめようとしても、結局同じところにとどまるか、もっと嫌な気分になるかだろう。  

「あなたの感情をあるがままに置いておくことができたなら、その時こそ、感じが変わる のです。変えようとすると、変わらないのです。」  

誰がやってもそれを感じ取り、意識の光にもたらす、つまりあるがままに置いておくことができるよう、ひとつひとつステップを踏んで進んでいけるよう、工夫されている。 私も、自分ひとりでいつでもどこでもできるフォーカシングの方法を学び、深めていきたい。文章はやさしく、説明はかゆいところに手が届くような細やかさだ。

いのちの輝き(ロバート・フルフォード)

2010-08-24 15:46:15 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『いのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力』 ロバート・フルフォード(翔泳社、1997年)

吉本ばななの「私はこの本を何回読み返しただろう?何人にすすめただろう?」と いう言葉に引かれて読む気になった。オステオパシーの名医・フルフォード博士の語り口から感じられる患者や人間への愛、本来の命がもつ力・生命エネルギーへの確かな実感と信頼、地に足のついた医療への態度、そうしたものが伝わってきて、 なるほど、この感じが吉本ばななにあのように語らしめたのかと思った。

オステオパシーとは、手技を通じて全身の微小関節を調節することによって生体エネルギーの流れに介入し症状の緩和をもたらす骨調整療法であり、アメリカの代表 的な代替医療のひとつだが、この生体エネルギーは、明らかに「気」といってよいものである。 1980年代の後半、19世紀の薬剤信仰を嫌っていたアメリカの医師・スティル博士は、 からだに本来そなわっているはずの自然治癒力を最優先する治療法を研究していた。 観察を続けるうちに彼は、「どんな病気の患者にもかならず筋骨格系の異常があることに気づき、循環系と神経系のアンバランスが症状を起こしている」と考え始め た。

それを解決するには、手技によって問題の関節を調節することで循環をとりもどすことだとするのがオステオパシーの考え方だ。フルフォード博士は、その正統な後継者のひとりだ。からだには、活発に動くエネルギーの流れが存在し、その流れがブロックされたり圧迫されたりすると、心身が本来もつしなやかさや流動性を失う。 そこから病気の症状が現われる。それゆえ手技によってエネルギーのブロックを解除することが必要になるという。

オステオパシーの治療の一例を挙げよう。からだがだるく大儀で仕事もできずに、死ぬことばかり考えているという50代はじめの男性。何人の医師が検査しても原因 が発見できず、膀胱に原因があるのでは、というある医師のすすめで膀胱を切除したが、病状はますます悪くなった。 衰弱し切った患者の診察をしたフルフォード博士は、昔の事故のことを質問した。 肋骨あたりに過去の骨折の痕跡が感じられたという。男は驚いて17年前に対向車と衝突した事故のことを語った。その事故のショックがからだの中に残り、生命力が ブロックされて、徐々に衰弱していたのだという。10分ほどの手技治療の直後、男は強烈なエネルギーがからだじゅうを駆け巡るのを感じる。数分後には自力で治 療台からおき上がり、30分もたたないうちに、男は全身に生命力をみなぎらせて、気持ちよさそうに立ち上がった。

これと同じような事例が数多く紹介され説得力があった。説得力が あったという意味は、オステオパシーが手技をつかって特定の関節の調節をすることでエネルギーの流れを取り戻すという点だ。治療のプロセスとその効果が具体的で、確かな印象を残すのかもしれない。 『免疫革命』は病気の背景にある共通の問題として自律神経系や免疫系の乱れを挙 げていたが、実際には、気=生命エネルギーの乱れもまた深く関係しているらしいということ、それが治療の過程で具体的な説得力をもって見えてくるのがオステオ パシーの興味深いところだ。 それにしても、病気とその治癒ということを深く追求していくと、現代文明(現代 の科学)そのものが持っている根本的な欠陥までもがあらわになってくる。病気と 治療ということを通して学ぶべきことはきわめて多い。

クォンタムタッチ( リチャード・ゴードン)

2010-04-09 11:59:11 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『クォンタムタッチ―奇跡のヒーリング技法』(ヴォイス)

クォンタムタッチは、ハンズ・オン・ヒーリング(手技療法)の一種だ。気による療法の一つだと言ってよい。原理は共鳴エネルギーである。施術者はただ、非常に調和したエネルギーを維持するだけで、クライエントのエネルギーがその波動に同調する。あとは、そのエネルギーを受け取った肉体の内なる知性がヒーリングを起こすのに必要な作業をするというのだ。

具体的には、呼吸と瞑想のテクニックによって高次の周波数を維持しながら、患部を両手で包みこむようにする。すると患部の波動が、施術者の波動と共鳴し、その共鳴した波動が、ヒーリングに必要な働きを起こすということだ。

「施術はただ、非常に強く調和したエネルギーを維持するだけで、クライアントのエネルギーがその波動に同調していきます。あとは、そのエネルギーを受け取った肉体の内なる知性がヒーリングを起こすために必要な作業をしてくれるのです。」p27

施術者は、ワークを行うことによって自らも癒されていくというのは、さもありなんと思う。呼吸と瞑想テクニックを併用することで、エネルギーが整い、パワーが何倍にも高まるというが、それは同時に施術者が癒されるプロセスでもあるだろう。

施術中は、心が非常にリラックスした状態で集中することが最善のアプローチだという。自分自身を100パーセントその中に注ぎ込む。いかなる想念も手放して自分のすべてを与える。呼吸に集中して、それを両手の感覚につぐなげる。時空の感覚さえ忘れるほどに没頭する。自分を完全に与えると、そのプロセスに溶け込んで自分が消えていくように感じるという。これは、ヒーリングが瞑想そのものになっている瞬間だろう。

読後にヒーリングや癒しにとっての根っこにあたる大切なものが語られているという印象が残った。さらい探求していきたい。