精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

フィンドホーンの花 (アイリーン・キャディ)

2010-06-07 20:15:26 | ニューエイジ
◆『フィンドホーンの花』(アイリーン・キャディ、日本教文社、1994年)

途中で止められなくなって夢中で読んでしまった。『フィンドホーンへのいざない―誰もが癒される不思議な場所がある』、『<フィンドホーンの魔法 (サンマーク文庫)』を読んで、フィンドホーンが「ニューエイジ」の拠点として世界的な注目を集めていく経緯はおおよそ知っていた。しかし、その中心人物の一人であるアイリーン・キャディの視点から、より深くそのいきさつを知ることができ、非常に興味深かった。

何よりも引かれるのは、すでに結婚し、5人の子供までもって平凡に暮らしてい たアイリーンが、ピーター・キャディと出会い、夫と子供を捨ててまでフィンドホ ーン共同体の実現に突き進んでいく過程に、「神」の意志と計画があまりにも明確に読みと取れることだ。いつかも書いたが私は、その「神」を一神教的な唯一の神とは思っていない。しかし高次の精神的な存在であるのは確かだ。  

二人の人生の軌跡にあまりに鮮やかに、「高次の存在」からの働きかけと意志とが浮かび上がってくることの不思議。フィンドホーンという不毛の砂地に信じられないような奇跡が次々と実現していくまぎれもない事実、そこに「神」の意図があったとしか、他に説明のしようがない。

と同時にこの本の魅力のひとつは、フィンドホーンに共同体の基礎がしっかりと出来上がったあとの、ピーターとアイリーンとの確執が赤裸々に誠実に書き記されていることだ。その過程で、それまで「神」やピーターに依存し、ある意味で「神」の意図実現の道具でしかないと思っていたアイリーンが、無条件の愛の実現に向かって急速に成長していく。  

ピーターが次々と若い女性に引かれ、アイリーンから離れていく部分を読んだときは、正直言って少しがっかりした。そこに「神」の計画の、いやその実行力の不完全さを見たように感じたのかも知れない。しかし、そのピーターを嫉妬し、憎みながらも、やがてそうした激情を克服し、自由な精神として飛翔していくアイリー ンの姿を追うことができて、ほっとした。この本の原題は、『自由への飛翔 ( FLIGHT INTO FREEDOM)』である。  

フィンドホーンの魔法(ポール・ホーケン)

2010-05-25 23:05:19 | ニューエイジ
◆『フィンドホーンの魔法』(ポール・ホーケン)

フィンドホーンへのいざない―誰もが癒される不思議な場所がある』の印象が強烈だったので、続けてぜひとも読みたくなった。出だしが少し退屈だが、あとは一気に夢中で読んだ。ポール・キャデ ィ、アイリーン・キャディ、ドロシー・マクリーンがどのようにして出会い、フィ ンドホーン湾キャラバンパークに導かれていったかが、小説的な手法を織り交ぜて 詳細に書き記され、興味深く読み進めることが出来る。

三人がたどり着いたのは、三方が海に囲まれた砂の傾斜地にある窪みの底で、隣はその地のゴミ捨て場だった。しかし、アイリーンが受け取ったガイダンスによれば、そこはやがて人間性と美と霊的な一体感を拡大し、「愛を通じて統合した完全な共同体」、「光の町」が形成される場所なのだった。そして、「神」のガイダンスは、その地・フィンドホーンに確実に実現しつつある。  

自分自身の意志を超え、時にはそれに反するような「大いなる意志」によって導かれ、この地上で何か大切な仕事をなすよう運命づけられた人々が確かに存在する。 私自身、そうとしか思えないような人生を歩んだ何人かの人々に出会ってきた。この本もまた、三人がそれぞれ全く別の人生を歩みながらも、やがて「ひとつの意志」に導かれてフィンドホーンにたどり着いたということを、はっきりと物語る。そうした「意志」の、きわめて強烈でスケールの大きい働きかけの結果をフィンドホーンに見る思いがする。 ただ、その「大いなる意志」が一神教的な唯一の「神」のものだとは私は思わない。おそらくこの世界には、様々なレベルでのスピリチュアルな存在からの働きか けがあるのだ。

フィンドホーンの菜園にとって、ドロシー・マクリーンがディーバ (ヒンズー語で「光の生命」を意味するという)たちから受けたガイダンスの役割は非常に大きかった。それは、ある特定のエンドウ豆やトマトの精霊であるかに見えたが、むしろ地上のあらゆる植物界を計画したり、形を作ったり、創造したりしている精霊であるという。これもまた「あるレベルの存在」のひつだろう。

ディーバの世界は、人間が地上の出来事を本来の流れに戻すために、ある一事を行わなければならないと力説したという。それは、「自分自身の内に『神』を発見し、自分が全体の一部であることを認識しなければならない」ということである。

すでに紹介した寺山心一翁氏の『フィンドホーンへのいざない―誰もが癒される不思議な場所がある』と、この本の2冊全体から受ける印象は、フィンドホーンが非常に強力で、純粋な波動を発しているパワーセンターだということある。ディビッド・シュパングラーはフィンドホーン を「新しいバイブレーションから発するまったく新しいタイプのエネルギーをしっかりと大地に根付かせる」最初の共同体だと感じている。フィンドホーンは「生きた見本として、そこで習得され実践された教訓が、ほかの諸センターで応用されるための『マザー・センター』」なのかもしれない。

フィンドホーンへのいざない(寺山心一翁)

2010-05-14 23:13:15 | ニューエイジ
◆『フィンドホーンへのいざない―誰もが癒される不思議な場所がある』寺山心一翁、(サンマーク出版)

読み始めるやいなや、フィンドホーンの世界に魅せられたかのように夢中になっ た。アイリーン・キャディの本は読んだことがあるが、『フィンドホーンの魔法』 など、フィンドホーンそのものについて詳しく書かれた本はまだ読んでいなかった。 先日、著者の寺山氏にお会いし、そのエネルギッシュで生き生きとした姿に感銘を 受けたこともあり、ぜひ読みたいと思った。

フィンドホーンはイギリスのスコットランド北部の村。1962年、ピーター・キャ ディとその妻アイリーン、そして友人のドロシー・マクリーンが、フィンドホーン村 の外れ、海に面した荒地に一台のキャラバンカーとともに移り住んだ。その地でア イリーンは、「神」からのガイダンスを受け取り、ドロシーが自然の精霊と対話し、 ピーターがそれを実行に移すことで、次々と信じられないことが起こり始めた。 そこに彼らは自分たちの食料を作るために菜園を作る。ドロシーの聞く精霊たち の声に従って野菜をつくり始めると、味もよく生き生きとした野菜が育ち、荒涼と したハリエニシダしか咲かない砂地に18キロのキャベツや、27キロのブロッコリー が取れるようになった。その噂は広がり、農業の専門家も訪れて、そこに土壌学的 には不可能なはずの奇跡が起こっていることを確認する。この巨大な野菜の収穫は 数年で終わったが、フィンドホーンは有名になり、多くの人々が訪れ、やがてコミ ュニティーが作られるようになる。

寺山氏のこの本では、現在におけるフィンドホーンの姿が興味深く語られる。この地、このコミュニティーが持つ癒しの力。様々な国籍、文化、宗教の人々が訪れては去るコミュニティーの開かれた性格。そこでどのような活動が行われ、それがどのように人々を癒し、どのようにその人生を変えていくのか。エコビレッジなどの建設によりどのように環境問題に取り組んでいるか等々。日本人の体験者たちが、フィンドホーンでどのように変っていったが、実名によって語られることで、さらにその具体的な姿が伝わる。

ぜひ、フィンドホーンを訪れてみたい、そう思わせるような本だ。なぜ、そう感じるのか。おそらくきわめて霊的な波動の高いその地で、きわめて開かれた形で、そこに集う様々な人たちによって、様々な形で、本物の霊的な探求が行われ、全体が霊的な成長に向かっている場所、それがフィンドホーンだからだ。その強い霊的なエネ ルギーが、本から伝わってくるような気がするのだ。

特定の瞑想や、特定のセラピー、あるいはいくつかの瞑想やセラピーを組み合わ せて提供するところは、多いであろう。しかし、宗教や民族を超えて「内なる神」を探求する人々が、自然との調和を求めながら共同生活をし、ダンスや歌、フラワーエッセンスなど、様々な分野でそれぞれの才能を生かしながら、癒しと成長を分かち合う、世界各地からの多くの訪問者が、短い滞在期間のうちにも人生が大きく変化するような深い精神的な体験をする、そういう共同体はまれなのではないか。

もちろんそこにはきれいごとばかりがある分けではないだろう。寺山氏は、フィンドホーンがこれまでに何度も運営上の危機に見舞われたことを報告している。 96年に経営コンサルタント会社がフィンドホーンを調査したところ、メンバーの 多くが精神的に行き詰って、仕事に愛や喜びを感じていないという深刻な状態にあることが分かったという。そこで、新しいマネージメント・チームが結成されて、大きな改革に乗り出したという。 おそらくその内部に乗り越えるべき様々な問題があるにせよ、その地に噴出しているエネルギーは、それらを飲み込み浄化して前進していくだけの力をもっているように感じる。しかもそれは、特定の宗教や伝統や民族に限定されない、純粋でかつ強い放射力をもつエネルギーだ。 それこそ、フィンドホーンに強くいざなわれるような思いにさせる本だった。  

魂との対話―宇宙のしくみ 人生のしくみ (ゲーリー・ズーカフ)

2010-05-13 20:33:29 | ニューエイジ
◆『魂との対話―宇宙のしくみ 人生のしくみ』(ゲーリー・ズーカフ、サンマーク出版)

最初は、それほど興味をもてなかったが、次第に強く引かれるものを感じるよう になった。独特の、不思議な読後感があって、しかもその基本的なメッセージには共感し、胸にずしりと来た。「全米で300万部を超えたロング・ベストセラー」とい うのも、今は分からないでもない。それにしてもアメリカ人のおよそ100人に1人が 読んだとは!!

宇宙が語りかけてくる声が聞こえるようになり、それを紹介しているという。そしてその主張の根拠は一切説明していない。しかし基本的な主張としては、深くその通りだと感じる。霊的な成長やカルマについては、スピリチャリズムやニューエ イジ系の主張と重なる部分が多い。ただ、独特だが明快な言葉遣いの表現や、非常にシンプルで分かりやすいメッセージに、ある力強さがあって、不思議な感じは、そんなところからも来ているのだろうか。

「私たちの魂は永遠であり、それが私たちの本質である」が、見えるものしか信 じない「五感型人間」には、それが分からない。私たちは今、五感型人間から、直感を有効に活用する「多感覚型人間」へと霊的に成長し、進化しつつあるという。

「魂は存在する。そしてそれは、始まりもなければ終わりもなく、つねに調和に向かって流れている。パーソナリティーは、魂が物理的な世界のなかで活躍するためにもちいるエネルギー装置である。」

パーソナリティー(個々の人生を生きる自己)は、その魂が体験する無数の人生のうちのひとつであるという。魂は、時間の外側に存在している。魂の視野は広大で、その知覚はパーソナリティーのもつ限界を超越している。

「パーソナリティーが魂から独立して活動することはない。そしてパーソナリティーは、それ自身が魂に近づけば近づくほど癒されることになる。」

また、魂はそれ自体、時間による制限を受けないから、魂の観点からすれば、それが体験する人生は、すべて同時に存在するという。そして、ひとつの人生が終わると魂は、それ自身の本質である不滅で時間のない状態に戻っていくという。

時間の制限を受けない非物理的な魂と、物理的な世界で個々の人生を生きるパーソナリティーとの関係の捉え方は、私には新鮮で、しかも確かにそうかもしれないと思わせる明快さがある。

さらに「私たちは真のパワーに向けた旅の途中にいる。真のパワーで満たされることは、進化のプロセスのゴールであり、私たちが存在していることの目的である」、 「私たち人類はいま、外側のパワーを追求する種から、真のパワーを追求する種へと進化しつつある」と言われる。

真のパワーと外側のパワーという表現も独特で、パワーという言葉は一見誤解を招くかに見えるが、文脈を追えばその意味するところは一目瞭然だ。  

教育、社会的地位、名声、人を支配したり利用したりしようとする力、そして魅力的な肉体や財産などの様々な所有物、それら私たちが失うことを恐れる一切のも のは、外側のパワーのシンボルである。外側のパワーには、怒りや敵意、恨みなどの衝動が付着する。

パーソナリティーは、愛や明晰さ、理解、思いやりなどに自身を同調させることで真のパワーを獲得し、否定的な衝動は消失する。パーソナリティーは、このように意識的な決断を行うたびに一歩一歩、真のパワーを獲得していくのである。

 パーソナリティーは、われわれが「自我」と言っているものにだいたい対応して いるようだ。多くは物理的世界での外的なパワーの獲得に執着し、外的なパワーへ の依存症に陥っている。  パーソナリティーは、そうした執着から自由になればなるほど、魂に近づく。魂 は、いわば「悟りの意識」のようなものであるが、個別的なあり方を保ち、様々な パーソナリティーとして物理的な世界に現われる輪廻の主体である。

「もしもパーソナリティーが、それ自身の魂のエネルギーに充分に奉仕できるようになったとしたら、そのときこそが、パーソナリティーにとって、真のパワーで 満たされるときである。そして、そうなることこそが、私たちがかかわっている進化のプロセスのゴールであり、そこに行き着くことこそが、私たちがいまここに存在している理由である。」

この本を読む用意が出来た人には、その明快な言葉のひとつひとつが、魂に強く 働きかけて、「真のパワー」への道を歩もうと、思いを新たにするだろう。

ソース(マイク・マクナマス)

2010-05-11 20:50:47 | ニューエイジ
◆『ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。』マイク・マクナマス(ヴォイス社)

読み初めて、そのシンプルな力強い主張にたちまち引き込まれてた。いやな仕事に耐える人生よりは自分がワクワクすることをすべて率先してやりつつ生きる人生の方がどんなに生き生きしていることか。  

自分が興味のあるワクワクすることを夢中でやっているときの内から湧き上がるような活力は誰もが体験するだろう。

耐えて生きる人生より夢中でワクワク生きる人生の方がいいに決まっている。自然であるに決まっている。 喜びのエネルギーに満ちてやっているときの方が、いやいやながらやっているときより、物事がはるかにうまく運んでいくだろうというのも道理にかなっている。

問題は、耐える仕事から熱中できる仕事は転換する勇気がもてるかどうかだが、少なくとも第一歩を踏み出すことはすぐにでも出来る。

もちろん、このワクワクはバシャールのワクワクにぴったりと重なる。バシャールの誤解されやすさについて書いたことがあるが、『ソース』の視点からもう一度見直すことも必要だと思った。