精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

『補完代替医療入門』(上野圭一)

2010-12-10 18:43:36 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『補完代替医療入門 (岩波アクティブ新書)』(上野圭一、岩波書店、2003年)

本書の意図は、膨大なCAM(補完代替医療)の領域のなかから、おもなCAMに共通す る身体観・治癒観や、すべてのCAM利用の前提となる「セルフ・ヘルプ」「セルフ ケア」という条件などを紹介することだという。著者はCAMを、技法である前に生命観であり生きかたであるととらえ、その共通の地盤を描きだそうとする。 CAMは、治療法であると同時に「健康や医療のあたらしい思考法でもある」。だから、 現代医療に絶望し、CAMに真向かう過程で、「機械論的な身体観からエネルギー的な 身体観へ、二元的な人間観からホリスティックな人間観へ」と大きな変化が生じ、 健康観・疾病観・治療観などに一種のパラダイムシフトが起こる可能性は高い。

病気とは、生命が自らを維持するために必要な一種の安全弁であり、「症状」とは 心身が心身自身を癒そうとするプロセスである。病気を適切に経過し、まっとうす ることによってこそ、健康は維持されるのだ。 こうした病気観は、すでに紹介した福田-安保理論でもさかんに強調され、安保徹の 『免疫革命』でも繰り返し語られる。『免疫革命』(講談社イン ターナショナル)では、それが白血球の働きの具体的なメカニズムを明らかしつつ 詳細に説得力をもって語られ、そういう意味でも福田-安保理論は、CAMの病気・治療観の具体的な裏づけになるだろう。併せ読むことをおすすめしたい。

たしかに補完代替医療(CAM)の領域で、ゆっくりとしかし確実な流れができつつある。とくに欧米で、本書で語られるような大きな潮流になりつつあるとは驚きだ。 現在、欧米における中国伝統医療の研究と教育、および社会への普及は日本人の想像をはるかに超える。たとえば米国の鍼灸学校は、漢方薬の処方もみとめられた鍼灸師を1万人以上排出している。また、たとえば日本では「放任行為」に過ぎないカイロプラクティックだが、米国にはその専門大学がいくつもあり、その施術が社会的に認知され、医療保健の対象にもなっている。 さらに米国の医師が考案したオステオパシー(手技を通じて頭蓋骨をふくむ全身の 微小関節を調節することによって生体エネルギーの流れに介入し症状の緩和をもた らす骨調整療法)は、その専門教育を行う6年生の医科大学がいくつもあり、そこを卒業して取得した資格は、社会的にM・D(現代医学の医師)と同等とみなされている。
                      
こうした事例を数多く読むと、日本の遅れに今更ながらに驚く。医療制度とその背景にある近代科学主義の弊害が、日本の医療を蝕んでいる。代替医療が法的にも正統に認知され、社会的な評価も高まれば、それに伴って補完代替医療の背後にある世界観そのものが普及していくだろう。それは、病気とその治療を通して、私たち の生きかたそのものを変えて行くことにもつながるのだ。 「修理工ではなく庭師になろう」は、機械としての人体の故障を修理するのではな く、庭の草木を健康に美しく育てるアーティストたろうとする医師の側の自己変革 のメッセージだが、同時にそれは庭師の補助のもと、「庭である自己、自己である 庭」を管理する私たち一人ひとりの生きかたの変革にもつながる。 本書は、CAMの可能性を大きな視点から捉えつつ、CAMの現状を具体的に紹介して、 学ぶところが大きい。

《同著者の他の本のレビュー》
『代替医療』(上野圭一)
 
《同著者の本》
★『代替医療―オルタナティブ・メディスンの可能性 (角川oneテーマ21)
★『わたしが治る12の力―自然治癒力を主治医にする

『この世とあの世の風通し』(加藤清)

2010-12-09 11:57:00 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『この世とあの世の風通し―精神科医加藤清は語る』(加藤清、春秋社)

加藤清は、日本の精神医学界に大きな影響を与えた精神科医だ。国立京都病院に精神科を設立し、その医長となり、精神病理・精神療法学会、芸術療法学会などの設立などにも貢献している。また、精神医学会の多くの指導者やセラピストを育てた。他に『癒しの森―心理療法と宗教』、『霊性の時代―これからの精神のかたち』などの著書がある。

この本は、翻訳家かつ鍼灸師である上野圭一が聞き手となって、加藤清の深遠な思想の一端を語ってもらうという試みだ。読み始めて思わず夢中になった。 内容は、「精神医学への道」と「魂の深層からの癒し」とに分かれ、医学者になるまでや治療の現場での様々なエピソードを中心に語られており、きわめて平易で興味深い。日本の精神医学界の指導的な立場にいる人物が、これほどに「この世とあの世の風通し」を持ち、しかも魂の真の癒しを求めて「あの世」に通じる精神を治療の根本にすえている事実は、感嘆にあたいする。

幼いころから「この世とあの世とがツーカーになっていた」という加藤清は、精神医学的な治療の現場でカルマの問題に突き当たると、信頼できる霊能者の協力すらえている。にもかかわらず、ターミナルケアについての次の言葉は示唆的だ。 「ターミナルケアに一番必要なのは、治療者が本当に落ち着くことだ。魂や、死後の世界ということは、あまり強調しなくてもいい。自分が深く深く落ち着いた状態 で、死んでいく人に向かえばいいのです。そうすると、人間というのはどこかでお互いに落ち着いていくことを求め合っているから、相手も安心する。」

すでに取り上げた『彼岸の時間』のあとにこの本を読んだのは偶然だが、取り上げられているトピックスにサイケデリックスや沖縄のシャーマンなど、重なりが多く興味深かった。 彼は、スイスの某社からLSDの効果研究を依頼されて治療研究だけでなく自分も 試している。自身のLSD体験や、LSDによる治療例が語られていて、これがまた興味深い。 サイケデリック心理療法が、いかに生と死という魂の根源からの治癒を促すかとい うことを認識させられた。また、そこで生と死の根源に触れている精神科医の援助がいかに大きな意味をもつかも、具体的な事例から知ることができた。 サイケデリックスは、人間の究極的関心である根源的リアリティーへの志向を活性化するとする点は、蛭川立の主張と同じだと思った。

★同じカテゴリーの本のレビューはこちらです。→「セラピー・ヒーリング・医療

『生きる意味の探究 』(グレン・ウィリストン)

2010-12-07 21:06:59 | セラピー・ヒーリング・医療
◆『生きる意味の探究―退行催眠が解明した人生の仕組み 』グレン・ウィリストン(徳間書店、1999年)

これまでに読んだ退行催眠による過去生の探求や、いわゆる「前世療法」を扱 た本に比べると、実証的な姿勢がある点がよい。クライエントが語った過去生の記憶を実証的に確認した結果をある程度語っているのだ。ただ全訳ではないので、もっと実証的な部分は翻訳では省略されているかも知れない。少なくとも、いくつか挙げられた事例から判断して、実証的に確認できる事例を、著者がかなり持っているようだということは分かる。

一例を挙げよう。アメリカ人である女性が、アレックス・ヘンドリーという男性 として19世紀後半のスコットランドに暮らしていた人生を語った。アレックスは、肉体的なハンディキャップを克服し、エディンバラ大学で医学を修めた。その生き生きとした大学生活の描写は、証明可能な二つの事実を含んでい た。

ひとつは家族がハンプシャーに住んでいたこと。もうひとつは、彼が1878年に医学校を卒業したことだった。こうした100年以上前のスコットランドの一無名人の情報を、クライエントが入手できたはずはないが、勉強のたいへんさや、家族からのプレッシャーを語る彼女の描写は真実味が溢れていたという。著者はその後、エディンバラ大学に問い合わせて返事を受け取った。「アレクサンダー・ヘンドリー。スコットランド、バンプシャー郡カラン出身。1878年、医学士過程及び修士課程終了」

この本でも改めて確認したのは、クライエントが過去生で死ぬ場面を語る描写が、 臨死体験者の報告とほとんど同じだということだ。これは驚嘆に値する。体外離脱、上から自分の肉体を見る、愛を発散する光に包まれる等々。これも具体例を示そう。

「自分の遺体が見えます。自分の体を、見下ろしているんです。暴徒たちは、その遺体に覆いかぶさるように立っています。ひとりの男が、足で私の遺体をひっくり返して、何かぶつぶつほかの人たちに話しかけています。遺体を運び去ろうとしているんです。もう、自分の肉体にとどまりたいとは思いません。自由になったんです。そして光が‥‥‥とっても感じのいい光です。安らかな気持ちにさせてくれます‥‥‥恐怖も苦痛も消えました。私は自由になったんです。」

もちろんこれは退行催眠で過去生での死とそれに続く場面を思い出しているのだが、臨死体験についてある程度知る人なら誰でも、両者の驚くほどの類似性を認め るだろう。

著者は言う、「退行したクライアントがどんな宗教を信じていようと、過去生での死の体験は、みな驚くほどそっくりである。死とは移行の瞬間であり、平和と美と自由の瞬間である。着古してくたびれた衣装を脱ぎ捨てて、新しくもあり、またふるさとのように馴染みある世界へと、踏み込んでいく瞬間なのである。」

多くのクライアントが繰り返し語る死の特徴は、「身の軽さ、浮遊感、自由さ」だというが、これはまた、多くの臨死体験者が繰り返し語る特徴でもあるのだ。

臨死体験の報告と一つだけ相違する部分があるとすれば、退行催眠ではトンネル体験を語るものは、ほとんどいないらしいということだ。

それにしてもきわめて高い共通性があるのは確かで、今後しっかりとした統計的な比較研究をする必要があると思う。これほど臨死体験が知れ渡っている以上、ほとんどのクライエントはその内容を知っているだろうから、たんに共通性が高いだけでは、あまり意味をなさない。細部に渡る比較研究のなかで、この共通性が積極的な主張につながるかどうかを検討しなければならない。

クライエントが語る「中間生」、時空のない世界の描写にも、臨死体験の報告と高い共通性がある。「宇宙を満たす感触、すべての生物を包み込む感触、見えるのも見えないものも含めたすべてのものの真髄に触れる感触、あらゆる知識に同化して文化の制限を超えた真実に目覚める感触、それが、中間生である。」

悟りにも似た精神変容を遂げる臨死体験者も、同様の世界に触れた体験を語ることは、『臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』の読者なら、容易に理解してくれるだろう。

中間生の描写は、別項で取り上げた『魂との対話―宇宙のしくみ 人生のしくみ』での「魂」のあり方とも非常によく似ている。「魂」は、それ自体、時間による制限を受けず、時間の外側に存在している。「魂」の視野は広大で、その知覚はパーソナリティー(個々の人生を生きる自己)のもつ限界を超越している。パーソナリティーは、愛や明晰さ、理解、 思いやりなどに自身を同調させることで「魂」に近づく。  

退行催眠は、クライアントが療法家の世界観の影響を無意識に受けやすいという面があるかも知れない。そうした点に充分慎重である必要はあるが、著者が豊富な 臨床例から解明した「人生の仕組み」を参考にして見る価値は充分にあると思った。 人生という名の学校で、私たちは、繰り返し学び続けているのだという「仕組み」 を。