海老蔵さんが全ての取材を受ける理由 テレ朝芸能デスクが語る
2017年6月26日 15時15分
AbemaTIMES
関東連合とイザコザ起こして父親がヤクザ使って丸く収まったこと、世間はもう忘れてしまったのかな~ そんな男の涙の一滴に何の価値があるんだろ・・
市川海老蔵さんの妻・小林麻央さんが、6月22日に乳がんのためなくなった。34歳という若さだった。最期の言葉は「愛してる」だったという。
会見で海老蔵さんは、「これは本当に不思議な話なんですけど、一言『愛してる』と言って旅立ちました」と麻央さんが息を引き取る直前の様子を明かし、「こんなに愛されていたのはよくわかっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことに何とも言えませんね。すいませんね、なんか。どうしてもね、昨日の今日で何も準備できていなくて」と涙ながらに語った。
記者の「どんな奥さんでしたか?」という質問に、「僕を変えた奥さんなんじゃないですか」と話す海老蔵さん。麻央さんとの結婚は2010年。2011年には長女・麗禾ちゃん、2013年には長男・勸玄くんが誕生し、父である海老蔵さんと一緒に舞台に立つまでに成長した。
海老蔵さんは子供たちの様子について、「麗禾は昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。勸玄はまだわかっているんですけど、わかっていないところもあって、きょうの朝も麻央の横になっているところに2人が麻央の顔を触ったり、足をさすったり。そういうところを見ると私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました。勸玄はまだわかってますけど、わかっていないと思います」と語った。
麻央さんが、がんであることを世間に公表したのは2016年6月。麻央さんはオフィシャルブログに、「乳がんであることが突然公になり環境はぐるぐる動き出しました」と告白し、同時にその闘いをブログに書き続けた。
そんな麻央さんのブログには、力強い言葉が綴られていた。「私は力強く人生を歩んだ女性でありたいから、子供たちにとって強い母でありたいからブログという手段で影に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」「私はステージ4だって治したいです!!遠慮している暇なんてありません!!」
そして病魔と闘い続ける麻央さんだったが、家族への気配りを忘れることはなかった。海老蔵さんは、「やはり言葉というか、麻耶さんが調子悪くなった時、例えば私が舞台で疲れている時も、彼女自身はもっと重い病にかかっている。そしてお母さんが看病で疲れている時も、麻央の方がもちろん大変なのに、やはり自分よりも相手のことを心配する優しさ。言葉ということはなくて」と麻央さんの周りに対する深い愛情を語った。
何より家族から愛され続けた麻央さん。ブログからも仲の良さが伺える。「今日は、朝、いきなり主人が病室にいて驚きました!早い時間からあたたかい野菜スープを届けてくれました」「昨夜は、足湯をしていたら息子がお湯をかけてなでてくれました。」
そして、「ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます。正確には、自分で絞る力がないので、母が起きてきて、絞ってくれるのを心待ちにしています」。この投稿が、1年にわたって綴られたブログの最後になった。23日の海老蔵さんのブログには、「人生で一番泣いた日です」との言葉が投稿された。愛する夫や子供たちに見守られながら、麻央さんは旅立った。
この訃報にイギリスのBBCもトップニュース扱いで報じた。そのBBCに麻央さんは、「私が今死んだら人はどう思うでしょうか。『まだ34歳の若さで、可哀想に』『小さな子供を残して、可哀想に』でしょうか?私はそんなふうには思われたくありません。愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです」と思いを綴っていた。
「海老蔵さんにとって麻央さんの存在とは?」という記者からの質問に、海老蔵さんは「私をどんな部分も、どこまでも愛していてくれたんで。私が役者として成長していく過程をずっと見守っていってもらいたかった存在です」と言葉を詰まらせながら話した。
テレビ朝日・芸能デスクの中島享兵氏は、麻央さんの容態の変化について、「一般的に在宅に切り替わると、やはり病院より最期は自宅という思いはどこでもあると思う。正直その(在宅)報道があった時には、『うーん』という感じはあった」と話す。
また、公演の合間に緊急会見が行われたことに、「実はその前の日の夜から(会見の)噂がずっとあった。金曜日になってとにかく自宅前にかなりの報道陣が押しかけて、それを抑えるには会見しかないということで、多分海老蔵さんは決められて、(公演の)合間だったが(会見を)やられた。少しでも自宅の周りの近所迷惑を避けたいという思いもあったと思う」との見方を示した。
会見の中で多く出てきた「愛」という言葉。これに中島氏は、「僕らにはそんなに見せていないが、ブログを見たり取材を受けた時の麻央さんに対する言葉とか、そういうものを見てると、やはり確実に変わったなというのは非常に感じる。取材もすごい積極的に受けるようになったし、そこで麻央さんの話のNGとかそういうのもなく、全て受けるというところは、もしかしたら麻央さんの影響が大きかったのかなと思う」と2人の愛の強さを語った。
麻央さんの訃報から一夜明けた6月24日、海老蔵さんはブログを計15回も更新した。その中で、「今日から少しずつですが、おにぎりつくり 40の手習い?今日からパパママもやります」と決意を綴っていた。
こうしてブログを更新し続ける姿を、中島氏は「ずっと変わらずブログを更新しているが、とにかく海老蔵さんは麻央さんの生前も自然体で変えない、と。何かを周りが察することができないように通常通りというのが’ずっとあったので、今後もこういうブログのパターンが続いていくと思う」と推測した。
葬儀の予定について、中島氏は「6月25日で昼公演が一旦終わるので、その後もしかしたら何かあるのかもしれない」としている。
2017年6月26日 15時15分
AbemaTIMES
関東連合とイザコザ起こして父親がヤクザ使って丸く収まったこと、世間はもう忘れてしまったのかな~ そんな男の涙の一滴に何の価値があるんだろ・・
市川海老蔵さんの妻・小林麻央さんが、6月22日に乳がんのためなくなった。34歳という若さだった。最期の言葉は「愛してる」だったという。
会見で海老蔵さんは、「これは本当に不思議な話なんですけど、一言『愛してる』と言って旅立ちました」と麻央さんが息を引き取る直前の様子を明かし、「こんなに愛されていたのはよくわかっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことに何とも言えませんね。すいませんね、なんか。どうしてもね、昨日の今日で何も準備できていなくて」と涙ながらに語った。
記者の「どんな奥さんでしたか?」という質問に、「僕を変えた奥さんなんじゃないですか」と話す海老蔵さん。麻央さんとの結婚は2010年。2011年には長女・麗禾ちゃん、2013年には長男・勸玄くんが誕生し、父である海老蔵さんと一緒に舞台に立つまでに成長した。
海老蔵さんは子供たちの様子について、「麗禾は昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。勸玄はまだわかっているんですけど、わかっていないところもあって、きょうの朝も麻央の横になっているところに2人が麻央の顔を触ったり、足をさすったり。そういうところを見ると私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました。勸玄はまだわかってますけど、わかっていないと思います」と語った。
麻央さんが、がんであることを世間に公表したのは2016年6月。麻央さんはオフィシャルブログに、「乳がんであることが突然公になり環境はぐるぐる動き出しました」と告白し、同時にその闘いをブログに書き続けた。
そんな麻央さんのブログには、力強い言葉が綴られていた。「私は力強く人生を歩んだ女性でありたいから、子供たちにとって強い母でありたいからブログという手段で影に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」「私はステージ4だって治したいです!!遠慮している暇なんてありません!!」
そして病魔と闘い続ける麻央さんだったが、家族への気配りを忘れることはなかった。海老蔵さんは、「やはり言葉というか、麻耶さんが調子悪くなった時、例えば私が舞台で疲れている時も、彼女自身はもっと重い病にかかっている。そしてお母さんが看病で疲れている時も、麻央の方がもちろん大変なのに、やはり自分よりも相手のことを心配する優しさ。言葉ということはなくて」と麻央さんの周りに対する深い愛情を語った。
何より家族から愛され続けた麻央さん。ブログからも仲の良さが伺える。「今日は、朝、いきなり主人が病室にいて驚きました!早い時間からあたたかい野菜スープを届けてくれました」「昨夜は、足湯をしていたら息子がお湯をかけてなでてくれました。」
そして、「ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます。正確には、自分で絞る力がないので、母が起きてきて、絞ってくれるのを心待ちにしています」。この投稿が、1年にわたって綴られたブログの最後になった。23日の海老蔵さんのブログには、「人生で一番泣いた日です」との言葉が投稿された。愛する夫や子供たちに見守られながら、麻央さんは旅立った。
この訃報にイギリスのBBCもトップニュース扱いで報じた。そのBBCに麻央さんは、「私が今死んだら人はどう思うでしょうか。『まだ34歳の若さで、可哀想に』『小さな子供を残して、可哀想に』でしょうか?私はそんなふうには思われたくありません。愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです」と思いを綴っていた。
「海老蔵さんにとって麻央さんの存在とは?」という記者からの質問に、海老蔵さんは「私をどんな部分も、どこまでも愛していてくれたんで。私が役者として成長していく過程をずっと見守っていってもらいたかった存在です」と言葉を詰まらせながら話した。
テレビ朝日・芸能デスクの中島享兵氏は、麻央さんの容態の変化について、「一般的に在宅に切り替わると、やはり病院より最期は自宅という思いはどこでもあると思う。正直その(在宅)報道があった時には、『うーん』という感じはあった」と話す。
また、公演の合間に緊急会見が行われたことに、「実はその前の日の夜から(会見の)噂がずっとあった。金曜日になってとにかく自宅前にかなりの報道陣が押しかけて、それを抑えるには会見しかないということで、多分海老蔵さんは決められて、(公演の)合間だったが(会見を)やられた。少しでも自宅の周りの近所迷惑を避けたいという思いもあったと思う」との見方を示した。
会見の中で多く出てきた「愛」という言葉。これに中島氏は、「僕らにはそんなに見せていないが、ブログを見たり取材を受けた時の麻央さんに対する言葉とか、そういうものを見てると、やはり確実に変わったなというのは非常に感じる。取材もすごい積極的に受けるようになったし、そこで麻央さんの話のNGとかそういうのもなく、全て受けるというところは、もしかしたら麻央さんの影響が大きかったのかなと思う」と2人の愛の強さを語った。
麻央さんの訃報から一夜明けた6月24日、海老蔵さんはブログを計15回も更新した。その中で、「今日から少しずつですが、おにぎりつくり 40の手習い?今日からパパママもやります」と決意を綴っていた。
こうしてブログを更新し続ける姿を、中島氏は「ずっと変わらずブログを更新しているが、とにかく海老蔵さんは麻央さんの生前も自然体で変えない、と。何かを周りが察することができないように通常通りというのが’ずっとあったので、今後もこういうブログのパターンが続いていくと思う」と推測した。
葬儀の予定について、中島氏は「6月25日で昼公演が一旦終わるので、その後もしかしたら何かあるのかもしれない」としている。
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