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北島三郎と「兄弟の盃」を交わした――暴力団幹部が長年の交際を暴露

2018-04-09 12:20:22 | ニュースまとめ・総合
北島三郎と「兄弟の盃」を交わした――暴力団幹部が長年の交際を暴露



2018年4月9日 8時0分

デイリー新潮


 憂き世にしがらみはつきもの。まして芸能人ともなれば“付き合い”もさまざまだろう。今回ご紹介するのは、その一端が図らずも露わになったケースである。大御所・北島三郎(81)が裁判を起こされ、挙げ句、元暴力団幹部との長年の交際が暴露されてしまったのだ。

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 北島は昨年、めでたくデビュー55周年を迎えた。換言すれば、それだけのしがらみを抱えてきた証左でもある。昭和から平成へと絶えず一線で活躍しながらも、栄華と引き換えに人知れず艱難を背負ってきたのは、想像するに余りある。

 そんな彼のもとに、東京地裁から「訴状」が届いたのは2年前の春だった。司法担当記者が言う。
北島三郎

「2016年3月、都内の金融業者が北島を相手取り、8000万円の求償債権(他人の債務を弁済した者が、その他人に弁済額の返還を求める権利)を請求する訴訟を起こしたのです」

 ことの始まりは十数年前にさかのぼる。02年12月、北海道函館市に、市制施行80周年記念事業のひとつとして「北島三郎記念館」がオープンした。建設主は、創業者が北島と昵懇であった大阪の製造小売業者「エクセルヒューマン」(以下・EH)である。

 訴状や法廷での原告の主張によれば、その建設にあたり、EHは地銀から23億円の融資を受けた。その際、あるブローカーの仲介があったとのことで、融資が実現した暁には、EH側がそのブローカーに手数料として融資額の5%を支払うとの約定書を交わしたという。

「ところが、その支払いが一向になされずブローカーが激怒し、山口組系の暴力団関係者を頼ったというのです。その関係者は、施設が『北島』の名を冠していることから、北島と旧知の間柄だった別の山口組系暴力団幹部に話を持ち込み、支払いを促そうとした。これを知った北島は支払いについての交渉をその幹部に委任し、1億円の手数料は自ら支払うと確約。7年前には一部にあたる2000万円が支払われたものの、残りの8000万円が未払いだと、原告側は主張しています」(同)

 北島と旧知で、数年前に引退したというその元「幹部」(青山氏・仮名)は、相手側の暴力団関係者から度々返済を迫られており、2000万円返済の直後、今回の原告である男性に相談。残金8000万円分を借り入れ、相手方に支払ったことで“本職同士”のトラブルは止んだという。

 が、回り回って債権を肩代わりしてしまった格好の男性には全く返済されず、よって一面識もない北島を相手に提訴に踏み切ったという次第なのだ。
「北島と兄弟分の盃を交わした」

 先の記者が続ける。

「訴訟のポイントは、実際にEHとブローカーとの間に5%支払うとの約束があったか否かという部分。これについては双方の主張が真向から対立していますが、そもそも、その際に取り交わされたとされる『約定書』も、法廷には提出されていません。記念館の直接の建設主ではないこともあり、北島側はあくまで『当方に支払い義務はない』との主張を貫いてきました」

 が、その争点以上に法廷で注目されたのは、北島と青山氏との知られざる交際史であった。

「裁判では原告に協力する形でしばしば登場するこの男性(青山氏)は、自身と北島との関係を、赤裸々に明かしています。彼が法廷に提出した陳述書などでは、北島の交渉役を引き受けた経緯について“1964年夏、岸和田市で行われた北島三郎ショーの後、市内の料亭で行われた打ち上げの席で、親分衆の見届ける中、北島と兄弟分の盃を正式に交わした”“この兄弟分の契りをテーマにして出来上がったのが星野哲郎作詞の『兄弟仁義』だ”などと主張しているのです」(同)

 青山氏によれば、北島と交わした“契り”とは、

〈終生何があっても、お互いに助け合い、心労の限りを尽くし合おう〉(陳述書・以下同)

 というもので、具体的に、

〈北島の芸能活動を裏面から補助し(略)ヤクザを含めて北島の活動を妨げる者が現れた場合には、命懸けでこれを裏面から徹底的に排除する〉

〈兄弟分となったことが世間に知られると北島の芸能活動に支障がでるので、私はあくまで黒子に徹する〉

〈その代わり、北島は、私の生涯を通じて、生活の面倒を見るものとし、私のなす経済的活動については、必要に応じて協力する〉

 などと綴られている。実際に、北島のピンチを助けたエピソードとしては、

〈知り合った当時、北島は新栄プロダクションに所属していましたが(略)独立したいと頼んだところ社長が激怒し、北島のマネージャーでもある実弟を監禁した事件がおきたのです。この事件で、私は命懸けで実弟を開(ママ)放しました〉

 その反対に、

「北島が彼を助けた事例として、67年に逮捕され、名古屋刑務所に服役して仮出所した74年から1年ほど、当時中野にあった北島の自宅に住まわせてもらったなどと明かしているのです」(同)

 そうした濃密な関係があったからこそ、今般の金銭トラブルにおいても、身を挺して北島を守ったというのだ。実際に彼の「上申書」には、こう記されている。

〈(北島が)「同じ山口組の兄弟が、何としても抑えてくれ。スキャンダルは致命傷になるので、それだけは、回避するように頼んでおく」と私の手を取って懇願したのです〉

〈平成23年5月、(北島側から受け取った)2000万円を山口組の者に払い、残金8000万円は6月に原告から用立ててもらい、借用して山口組に払い解決しました。私は北島のケツ持ちとして山口組と敵対したが、ケツ持ちの立場責任とは(略)その命を削ってでも、それを果さなければいけないのです〉
北島側は反論

 一方、北島の長男で「北島音楽事務所」の大野龍社長の陳述書では、この青山氏について、

〈何故か父を「兄貴」と一方的に慕っており「兄弟分の契り」を交わしたなどと主張していますが、そのような事実はありません〉

〈父が青山氏に対して何かを依頼する、またはその見返りとしての金員を支払うなどの合意をしたことは一度もありません〉

 面識があると認めつつも、その“間柄”について異を唱えている。

「被告側はヒット曲『兄弟仁義』の誕生した経緯として、亡くなった星野哲郎さんの著作や記事などを証拠提出しています。そこには“仁侠の歌ではなく、コロムビアから独立してクラウンレコードを立ち上げた時の、北島らとの誓いの歌だ”と書かれていました」(前出記者)

 が、社長の陳述書には、以下のくだりもある。

〈今から20年ほど前のことだと思いますが、青山氏及び親族と称する人達が事業としてディズニーランドに卸す商品と称して、その製作費用の融資を求めてきたことがあり、父がそのお金を工面してあげたりしたことはあったようです〉

 名目はさておき、当時現役幹部だった青山氏を援助していたわけである。

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