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織田家第18代当主 織田家の400年の伝統を破り、息子の名に「信」をつけず

2014-11-16 14:36:20 | 珍事件・事故・その他・コラム
織田家第18代当主 織田家の400年の伝統を破り、息子の名に「信」をつけず

2014年11月16日 7時0分

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 日本一有名な武将・織田信長。代々子孫の名前には“信”の文字が使われてきたが、次世代の当主でその伝統が途切れるという。いったいなぜ「信」を使わなかったのか。その理由を織田家第18代当主・織田信孝(のぶたか)氏が明かす。

*  *  *
 1986年に父が亡くなり、織田家の当主になりました。当主としてお参りするのは、信長がまつられている京都市北区・船岡山の建勲(けんくん)神社です。毎年10月19日の大祭に参列しています。ここは明治天皇が「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」と考えて建てたそうです。

 信長のお墓は本能寺など全国各地に10カ所以上ありますが、その一つが船岡山を下ったところにある大徳寺総見院(京都市北区)です。本能寺の変の後で秀吉が信長の葬儀をしたお寺ですが、普段は入れない。それが10月のその時期はちょうど公開しているので、建勲神社の大祭とあわせてお参りしています。

 柏原(かいばら)藩に移った6代・信休(のぶやす)から14代・信民(のぶたみ)までの藩主とその夫人のお墓は、兵庫県丹波市の柏原町にあります。織田家は、明治維新のときに東京へ移り住み、今は柏原に屋敷はありません。ただ、お墓がある廟所(びょうしょ)は織田家の所有になっていて、ときどきお参りしています。廟所はテニスコートくらいの広さがありますが、これが最近の悩みの種。

 というのも、廟所を囲む土塀の傷みがひどくなったから。取り壊すだけでも数百万円かかる。歴史のある家ならではの悩みでしょう。

 僕が結婚したのは、父が亡くなって9年後でした。披露宴は東京でしたが、結婚式を挙げたのは、福井県の織田(おた)町(現在は越前町織田)というところです。もともと織田氏はこの地から出たと言われています。織田町には剣(つるぎ)神社という大きな神社がありますが、織田氏は代々ここの神官をしていたらしい。やがて、越前の守護・斯波(しば)氏に見いだされ、家臣として尾張に送り込まれたそうです。剣神社は、信長が氏神としていた神社でもあります。

 自分の家のルーツを知りたい気持ちもあって、妻と2人だけで行って、剣神社で結婚式を挙げました。

 僕ら夫婦には、男の子が2人います。でも、名前には2人とも「信」の字を入れていません。信長よりも前の世代から、うちでは代々、男の子に信がついています。僕は400年以上の伝統を破ったことになる(笑)。

 子どもの名前を決めるときに面白かったのは、家族からはほとんど反対されなかったのに、友人や知人のなかには「なんでそんなことするの」と反対する人が多かったこと。でも母に、「父が生きていたら反対したかな」ときいてみたら、「あの人は絶対にそんなことに反対しない」と言いましたね。父は外資系企業の重役だった人で、考え方は非常に合理的でしたから。

 名字が織田で、名前に信がついていれば、信長の血筋だということは察しがついてしまうでしょう。僕は子どものころから、それがたまらなく嫌でした。

 初対面の人が僕の出自を知ると、「すごいですね」とよく言います。ぜんぜんすごくないですよ。すごいのは信長で、僕が天下統一のお手伝いをしたわけじゃない(笑)。自分が、本質ではなく、血筋や出身校などの属性で判断されてしまうのは悲しい。そんなこともあって、自分の子どもは個人として生きやすくしてあげたかったのです。

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