2年後、センター試験廃止で大学入試は「カオスな世界」になる 医学部受験のプロが断言
2019年1月20日 11時0分
現代ビジネス
大学入試の一次試験として実施され、広く浸透している現行の「大学入試センター試験」は、2020年1月の実施(2021年度入学者向け入試)を最後に廃止されることが決まっている。センター試験の代わりとして、2021年からは、「大学入学共通テスト」(新テスト)が実施される。
photo by iStock
センター試験は、1月の成人式後の週末で定着しているが、「共通テスト」も、1月中旬の2日間で実施される予定だ。2018年度時点での高校1年生以下は、新テストを受検することになる。
なぜ、いま、センター試験を廃止し、新テスト=「共通テスト」を実施しなければならないのか。試験内容は何が変わるのか。
まず、背景から。文部科学省は、「グローバル化や第4次産業革命に対応しうる人材を育成するため、あたらしい学力評価制度・大学入試制度の設立が必要である」と考えた。いや、考えた、と言うより、そのように考える経済界と現政権の意向を受けて、このような入試改革が実行されることになった。
文科省「大学入学者選抜改革について」の説明によると、上記の人材育成のためには、「学力の3要素」①知識・技能、②思考力・判断力・表現力、③主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度、の3つを育成・評価することが重要であるという。
「判断力」、「表現力」、「主体性」など、能力やその達成度を共通の尺度で判定するのが極めて困難な項目も含まれている。
新テスト「記述式問題」の“大問題”
次に、試験内容は何が変わるのか。センター試験にはなくて、新テスト=共通テストに新たに導入されるものは2つある。1つ目が「記述式問題」の導入、2つ目が、「英語4技能評価」の導入である。どちらも、問題含みの大改革になる。
文科省は、記述式問題の導入により、「解答を選択肢の中から選ぶだけではなく、自らの力で考えをまとめたり、相手が理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力・判断力・表現力を評価する」ことができるようになると説明している。
また、記述式問題を導入することで、高校や中学でも、主体的・対話的で深い学びに向けた授業改善が促され、大学においては、高校で学んだ「思考力・判断力・表現力」を前提とした質の高い教育が期待できるようになる、としている。
しかし、全国で一律に実施される「共通テスト」に、記述式の設問を導入するのには、大きな困難が伴う。すでに新テストの試行テストが実施されたが、教育界では、ほとんど誰も支持する者がいないほど、批判ばかりが噴出している。
全国の教育界から批判が勃発
東北大学が出した声明は、とくに明快だ。「思考力や表現力(を測ること)は重要だが、大学の個別試験や推薦入試において、すでに、これから「共通テスト」で実施される記述式試験より高度な問題が出題されている。だから思考力や表現力はすでに十分よく評価できている」と。
これに返す言葉はないだろう。そもそも、全国一律で記述式問題を取り入れる意義が不明瞭なのだから。
採点、および採点基準の公平性という点でも、大きな問題がある。現行のセンター試験と同じスケジュールで共通テストを実施するとなると、実施後2週間で採点を完了させなければならない。
しかも、採点ミスは許されない。50万枚にも上るといわれる国語の答案を見るのに、どれだけの人数の採点員が必要か、考えただけでも恐ろしい。大学教員も、大学院生・大学生、高校教員、政府職員、みな忙しい時期である。いったい、どうやって採点員を確保するのか。採点力の「レベル」をそろえることにも無理がある。
自己採点ができない?
記述式問題の導入よって、大学入試センターから各大学への成績送付は、1週間ほど遅くなるとも言われている。
センター試験は、全問マーク式(客観式)のテストであったので、受験生の自己採点が可能であった。受験生は、各予備校などが出す解答や、翌朝の新聞に掲載される解答を見ながら自己採点を行い、その合計点数で受かりそうな大学に出願を行なう。
新テストに、採点基準の曖昧な記述式の設問が紛れこむことで、こういった一連の出願プロセスが一気に変わることになる。自己採点の過大評価や過小評価により、不本意な大学に出願してしまうケースも出てくるだろう。
国語のテストは、試行テストを経て、記述式の採点基準は緩和され、段階式評価になった。大規模での採点作業で、記述式問題を点数化することに無理が生じたからである。
そこで、段階式評価となったのだが、段階式評価のものを、各大学が点数化するのである。これでは、段階評価の意味がない。また、段階評価を無理やり点数化すると、もとの学力評価が大きく歪んでしまう。
国語に関して言えば、設問は、およそ日本語力を測るものとは思われないほど簡単な「キーワード探し」の低レベルな問題だ。詳細の分析は割愛させていただくが、興味のある読者諸兄は、公表されている問題を覗いてみるとよい。
センター試験の国語にも批判は多かったが、新テストは、その水準を大きく下回っており、おおよそ、「思考力や表現力」を測るものとは成り得ていない。
貧富の差=学力差となる恐れアリ
新テストの改革におけるもう1つの目玉は、英語の「4技能評価」に民間の検定試験を導入する計画である。
「英語4技能評価」とは、従来のセンター試験などで実施されていた「読む」「聞く」テストに、「書く」「話す」技能の評価を加えたものである。現在、「書く」「話す」テストの開発は、民間の検定試験実施会社のノウハウが進んでいるので、それを利用しようというものだ。
貧富の差=学力差に
急速なグローバル化で、教養型の英語教育から、コミュニケーション重視の英語教育へ、という理念にも大きな問題があるが、それを、全国一律で、共通に評価しようというのである。
そこで、現在、すでに民間の事業者によって実施されていて、評価が定着している検定試験を活用しようというのは、目的はともあれ、方法論としては、ありうる選択肢だ。
しかし、どの検定試験を採用するかについては、文科省は1社に絞ることはできず、結局、ケンブリッジ英語検定、TOEFL iBT、IELTS(IELTS Australia)、TOEIC(L&R・S&W)、GTEC、TEAP、実用英語技能検定(英検)、IELTS(British Counsil)が、共通テストの「英語」の試験として、成績提供システムに参加することとなった。
受験を希望する者は、高校3年生以降の4月~12月の間に受検した2回までの検定試験の結果が、共通テストの成績として、大学に提供されるが、どれを受験するか、そして、各テストの傾向を調べ、「受験慣れ」しておくことが、高成績をとるポイントとなる。
上記のような検定試験は、評価レベルを安定化させるために、同じ問題形式を繰り返し実施している。したがって、巷間で言われているように、受験回数を重ねれば重ねるほど、成績はアップしていく。
こうなると、中学くらいから何度も試験にチャレンジできる財力をもった、都市部に住む受験生が圧倒的に有利になる。田舎に行けば行くほど、受験料や受験会場までの交通費がかさむため、試験対策のための経済的負担が大きくなる。
金持ちの家庭の子は、高い検定試験を何度も受けて、自分にあった検定を見つけて、最高の点数を大学に提出する。一方で、お金のない家庭の受験生などは、本番の受験のチャンスすら奪われかねない。かくして、民間の検定試験を導入することで、貧富の差は拡大し、その貧富の差がそのまま学力差となってしまう。
他にもある。すべてを挙げられないが、決定的な問題として、各検定間で異なる点数を、どうやって標準化するかという問題が重大だ。
文科省は、各検定試験の点数・レベルの対照表を作っている。しかし、たとえば、英検の2級が、TOEICやTOEFLで何点に相当するか、というのは、科学的・実証的には決定し得ない。
英語の専門家であろうが、英語学の権威であろうが、この作業には、レベル判定者の主観が入らざるを得ない。ということは、標準化し得ない、各検定間で異なる点数を、ばらばらに各大学が処理することになる。これでは、「共通テスト」ではない。
カオスと化す2021年以後の入試
かのような、メチャクチャな制度改革は、如何にして進められてきたのか。おそらくは、現場を知らない財界人や政治家による諮問会議で決められた方針を、官僚が忖度して原案とし、動員された学者や教育者らの実務メンバーは、嫌々ながら、やっつけ仕事で、「試験問題」や「対照表」を作成したのだろう。
東京大学は、英語の外部試験(検定)を利用しないと明言したが、同じような態度を取る大学は、高偏差値のブランド大学や難関医学部を中心に、大勢が、新テスト=共通テストの点数を無視するか、2次個別試験に対する配点を極小化する動きになるだろう。
なにせ、「思考力や表現力」どころか、従来型の学力すら、判定できない試験なのだから。
このような状態は数年続き、また、同じようなセンター試験型の入試が復活するか、あるいは、各大学の個別試験だけが入学試験として残ることになるだろう。
私としては、後者であることを望む。政府や財界人も、多様化や国際化を叫ぶなら、もう、国全体で共通のテストを実施することなど諦めて、各大学の「多様性」と「国際性」をもっと尊重し、大学の自主的な入試作成をどんどん認めてはどうだろうか。
2019年1月20日 11時0分
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大学入試の一次試験として実施され、広く浸透している現行の「大学入試センター試験」は、2020年1月の実施(2021年度入学者向け入試)を最後に廃止されることが決まっている。センター試験の代わりとして、2021年からは、「大学入学共通テスト」(新テスト)が実施される。
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センター試験は、1月の成人式後の週末で定着しているが、「共通テスト」も、1月中旬の2日間で実施される予定だ。2018年度時点での高校1年生以下は、新テストを受検することになる。
なぜ、いま、センター試験を廃止し、新テスト=「共通テスト」を実施しなければならないのか。試験内容は何が変わるのか。
まず、背景から。文部科学省は、「グローバル化や第4次産業革命に対応しうる人材を育成するため、あたらしい学力評価制度・大学入試制度の設立が必要である」と考えた。いや、考えた、と言うより、そのように考える経済界と現政権の意向を受けて、このような入試改革が実行されることになった。
文科省「大学入学者選抜改革について」の説明によると、上記の人材育成のためには、「学力の3要素」①知識・技能、②思考力・判断力・表現力、③主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度、の3つを育成・評価することが重要であるという。
「判断力」、「表現力」、「主体性」など、能力やその達成度を共通の尺度で判定するのが極めて困難な項目も含まれている。
新テスト「記述式問題」の“大問題”
次に、試験内容は何が変わるのか。センター試験にはなくて、新テスト=共通テストに新たに導入されるものは2つある。1つ目が「記述式問題」の導入、2つ目が、「英語4技能評価」の導入である。どちらも、問題含みの大改革になる。
文科省は、記述式問題の導入により、「解答を選択肢の中から選ぶだけではなく、自らの力で考えをまとめたり、相手が理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力・判断力・表現力を評価する」ことができるようになると説明している。
また、記述式問題を導入することで、高校や中学でも、主体的・対話的で深い学びに向けた授業改善が促され、大学においては、高校で学んだ「思考力・判断力・表現力」を前提とした質の高い教育が期待できるようになる、としている。
しかし、全国で一律に実施される「共通テスト」に、記述式の設問を導入するのには、大きな困難が伴う。すでに新テストの試行テストが実施されたが、教育界では、ほとんど誰も支持する者がいないほど、批判ばかりが噴出している。
全国の教育界から批判が勃発
東北大学が出した声明は、とくに明快だ。「思考力や表現力(を測ること)は重要だが、大学の個別試験や推薦入試において、すでに、これから「共通テスト」で実施される記述式試験より高度な問題が出題されている。だから思考力や表現力はすでに十分よく評価できている」と。
これに返す言葉はないだろう。そもそも、全国一律で記述式問題を取り入れる意義が不明瞭なのだから。
採点、および採点基準の公平性という点でも、大きな問題がある。現行のセンター試験と同じスケジュールで共通テストを実施するとなると、実施後2週間で採点を完了させなければならない。
しかも、採点ミスは許されない。50万枚にも上るといわれる国語の答案を見るのに、どれだけの人数の採点員が必要か、考えただけでも恐ろしい。大学教員も、大学院生・大学生、高校教員、政府職員、みな忙しい時期である。いったい、どうやって採点員を確保するのか。採点力の「レベル」をそろえることにも無理がある。
自己採点ができない?
記述式問題の導入よって、大学入試センターから各大学への成績送付は、1週間ほど遅くなるとも言われている。
センター試験は、全問マーク式(客観式)のテストであったので、受験生の自己採点が可能であった。受験生は、各予備校などが出す解答や、翌朝の新聞に掲載される解答を見ながら自己採点を行い、その合計点数で受かりそうな大学に出願を行なう。
新テストに、採点基準の曖昧な記述式の設問が紛れこむことで、こういった一連の出願プロセスが一気に変わることになる。自己採点の過大評価や過小評価により、不本意な大学に出願してしまうケースも出てくるだろう。
国語のテストは、試行テストを経て、記述式の採点基準は緩和され、段階式評価になった。大規模での採点作業で、記述式問題を点数化することに無理が生じたからである。
そこで、段階式評価となったのだが、段階式評価のものを、各大学が点数化するのである。これでは、段階評価の意味がない。また、段階評価を無理やり点数化すると、もとの学力評価が大きく歪んでしまう。
国語に関して言えば、設問は、およそ日本語力を測るものとは思われないほど簡単な「キーワード探し」の低レベルな問題だ。詳細の分析は割愛させていただくが、興味のある読者諸兄は、公表されている問題を覗いてみるとよい。
センター試験の国語にも批判は多かったが、新テストは、その水準を大きく下回っており、おおよそ、「思考力や表現力」を測るものとは成り得ていない。
貧富の差=学力差となる恐れアリ
新テストの改革におけるもう1つの目玉は、英語の「4技能評価」に民間の検定試験を導入する計画である。
「英語4技能評価」とは、従来のセンター試験などで実施されていた「読む」「聞く」テストに、「書く」「話す」技能の評価を加えたものである。現在、「書く」「話す」テストの開発は、民間の検定試験実施会社のノウハウが進んでいるので、それを利用しようというものだ。
貧富の差=学力差に
急速なグローバル化で、教養型の英語教育から、コミュニケーション重視の英語教育へ、という理念にも大きな問題があるが、それを、全国一律で、共通に評価しようというのである。
そこで、現在、すでに民間の事業者によって実施されていて、評価が定着している検定試験を活用しようというのは、目的はともあれ、方法論としては、ありうる選択肢だ。
しかし、どの検定試験を採用するかについては、文科省は1社に絞ることはできず、結局、ケンブリッジ英語検定、TOEFL iBT、IELTS(IELTS Australia)、TOEIC(L&R・S&W)、GTEC、TEAP、実用英語技能検定(英検)、IELTS(British Counsil)が、共通テストの「英語」の試験として、成績提供システムに参加することとなった。
受験を希望する者は、高校3年生以降の4月~12月の間に受検した2回までの検定試験の結果が、共通テストの成績として、大学に提供されるが、どれを受験するか、そして、各テストの傾向を調べ、「受験慣れ」しておくことが、高成績をとるポイントとなる。
上記のような検定試験は、評価レベルを安定化させるために、同じ問題形式を繰り返し実施している。したがって、巷間で言われているように、受験回数を重ねれば重ねるほど、成績はアップしていく。
こうなると、中学くらいから何度も試験にチャレンジできる財力をもった、都市部に住む受験生が圧倒的に有利になる。田舎に行けば行くほど、受験料や受験会場までの交通費がかさむため、試験対策のための経済的負担が大きくなる。
金持ちの家庭の子は、高い検定試験を何度も受けて、自分にあった検定を見つけて、最高の点数を大学に提出する。一方で、お金のない家庭の受験生などは、本番の受験のチャンスすら奪われかねない。かくして、民間の検定試験を導入することで、貧富の差は拡大し、その貧富の差がそのまま学力差となってしまう。
他にもある。すべてを挙げられないが、決定的な問題として、各検定間で異なる点数を、どうやって標準化するかという問題が重大だ。
文科省は、各検定試験の点数・レベルの対照表を作っている。しかし、たとえば、英検の2級が、TOEICやTOEFLで何点に相当するか、というのは、科学的・実証的には決定し得ない。
英語の専門家であろうが、英語学の権威であろうが、この作業には、レベル判定者の主観が入らざるを得ない。ということは、標準化し得ない、各検定間で異なる点数を、ばらばらに各大学が処理することになる。これでは、「共通テスト」ではない。
カオスと化す2021年以後の入試
かのような、メチャクチャな制度改革は、如何にして進められてきたのか。おそらくは、現場を知らない財界人や政治家による諮問会議で決められた方針を、官僚が忖度して原案とし、動員された学者や教育者らの実務メンバーは、嫌々ながら、やっつけ仕事で、「試験問題」や「対照表」を作成したのだろう。
東京大学は、英語の外部試験(検定)を利用しないと明言したが、同じような態度を取る大学は、高偏差値のブランド大学や難関医学部を中心に、大勢が、新テスト=共通テストの点数を無視するか、2次個別試験に対する配点を極小化する動きになるだろう。
なにせ、「思考力や表現力」どころか、従来型の学力すら、判定できない試験なのだから。
このような状態は数年続き、また、同じようなセンター試験型の入試が復活するか、あるいは、各大学の個別試験だけが入学試験として残ることになるだろう。
私としては、後者であることを望む。政府や財界人も、多様化や国際化を叫ぶなら、もう、国全体で共通のテストを実施することなど諦めて、各大学の「多様性」と「国際性」をもっと尊重し、大学の自主的な入試作成をどんどん認めてはどうだろうか。
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