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「マジギレ司会者」米倉久邦氏を記者バトルに駆り立てた脳と心の関係

2018-05-27 15:20:10 | 芸能・スポーツ
「マジギレ司会者」米倉久邦氏を記者バトルに駆り立てた脳と心の関係



2018年5月27日 7時38分

iRONNA


 日本大アメリカンフットボール部の反則指示事件を受けて、大学教育のあり方が問われています。ただ、事態は内田正人前監督の反則指示をめぐる記者会見を経て、思わぬ方向に展開してしまいました。内田前監督の会見内容や大学当局の姿勢に、各界から厳しい批判が向けられただけではなく、司会の日大広報部顧問による報道陣への不遜な態度にも非難の声が集まっています。  司会を務めた米倉久邦氏は、会見から1時間半を回ったところから会見の打ち切りに入ったとされています。司会者は会場のタイムテーブルや登壇者の心身の安全に配慮する義務を持っています。会見内容はともあれ、内田前監督や井上奨(つとむ)前コーチの疲労やタイムマネジメントを考えれば、終了を企図することそのものは間違ったことではないでしょう。

 しかし、参加者が納得しない形で強制的に打ち切るとなると、話は別です。場が荒れないように配慮する義務も司会者にはあるからです。ところが米倉氏は、井上前コーチが「心の痛みはありませんか?」という質問に答えようと考えている最中に、突然「もうこれで終わりにしたいと思います」と切り出しました。

 まだまだ聴きたいことがある記者たちが乱暴な打ち切り方に納得するはずがありません。「会見を続ける、続けない」をめぐって双方が激しい舌戦となり、司会者自らが場を荒らすことになりました。

 「会見の主役は司会の米倉氏だった」と皮肉めいた評価も受けています。ここでは、「大学広報部のミッション」「大学風土」「人が不遜になる脳」をキーワードに、心理学的背景からこの問題について考えてみましょう。

 米倉氏は元共同通信社の記者で、在職中は経済部長やニュースセンター長、論説委員長といった要職も務めた経歴を持っています。定年退職後は、フリーのジャーナリストとして多くの著書もあります。どのような経緯で日大の職員になったかわかりませんが、「マスコミ対応のプロ」として採用されていると察することができます。

日本大アメリカンフットボール部の内田正人前監督の会見後、報道陣に囲まれる司会を務めた広報部の米倉久邦氏=2018年5月23日、東京都千代田区(松本健吾撮影)

 本来、大学の広報部は大学のブランドイメージを向上させることが任務です。果たして、米倉氏は日大の期待通り、マスコミ対応のプロとして日大のイメージを守ることができたのでしょうか。

 司会者は場で流れる情報をコントロールする役割です。米倉氏は日大広報部所属として司会をしたので、もちろん日大に不利な情報が流れそうな局面は避ける必要があります。あのまま会見を続けると、監督が日大のブランドイメージを大きく損ねる発言をしそうな状況だったら、打ち切りに向けて和やかに場を誘導することは間違ってはいないのです。これこそがまさに広報部の任務です。

 ですが、内田前監督も日大当局もすでに激しく批判されている状況です。しかも「心の痛みはありませんか?」という問いだったので、これ以上イメージを悪くする情報が流れるとは考えにくい場面でした。となると、広報部のミッションとして打ち切りに向かう必要があったとも考えにくいところです。

 大学のイメージを守るという意味で、米倉氏は「あなたの発言で日大のブランドが落ちるかもしれないんですよ」と心配する記者の声にも「落ちません!」と断言してしまいました。人は確信のある人間に引かれますが、日本は自信過剰な人間が嫌われる「謙遜の文化」です。

 したがって、米倉氏の発言は、大学の広報部職員として適切でない、大変リスキーのように思えます。つまり、強引な打ち切り方もその後の舌戦も「大学広報部におけるマスコミ対応のプロ」として戦略のある行動ではなかったと考えられます。  では、何が彼をこのような行動に駆り立てたのでしょうか。私には大学という風土と彼自身の個性が掛け合わされていたように見えます。

 まず、企業風土という観点から大学を考えると、一般的には「長期目標を持ち相対的に従業員の自由度が高い」「伝統や慣習に誇りを持って尊重する」という特徴があります。私はこのような風土を「仲良しクラブ型」と呼んでいます。

 変化が乏しく仕事にスピード感を求められないのでお互いを気にする余裕があり、仲良くしていないと居心地が悪くなるのです。特に誇り高い企業の場合は、視野も狭くなり「わが社には揺るぎない地位がある」という大企業病のようなマインドが漂うこともあります。

東京都千代田区にある日本大学=2018年5月23日(佐藤徳昭撮影)

 日大は数々の「時代への挑戦」を打ち出している大学なので企業不全病、いわゆる「大企業病」には陥っていないと思います。ただ、圧倒的な伝統と規模を誇る大学なだけに、病に陥りやすい要素があったかもしれません。

 日大全体としては健全だと思いますが、ここまで規模が大きいと、ごく一部には大企業病的なマインドが生まれていたのかもしれません。まさに企業風土の問題の表れだったのが、米倉氏の「落ちません!」発言ではないでしょうか。

 もう一つ気になるのが、彼が共同通信に在職中から「上から目線の発言をしてしまう」という評判が報じられています。私たちの脳と心の関係を動物に例えて表すと、自己中心的で快楽を好み我慢を嫌う「ワニの脳(脳幹)」、同じく自己中心的で好き嫌いが激しい「ウマの脳(大脳辺縁系)」、自分の立場や評価を気にする「サルの脳(内側前頭前野)」、課題達成や計画性を担う「ヒトの脳(外側前頭前野)」から成り立っています。

 立場をわきまえた発言や先を読んだ行動はサルの脳、ヒトの脳の役割です。ただ、人に気を使うのも(感情労働)、難しい課題を解くのも(頭脳労働)、長く続くと疲れますよね。

 米倉氏は記者として華々しい経歴と実績を持っているので、彼のサルの脳は大学広報部として記者を迎える立場を認識しながらも、一部では「自分はこの記者たちより上だ」という認識があったかもしれません。また、1時間半も決して穏やかでない会見が続くと疲れてもきます。

 感情労働の限界を迎えて、相対的に我慢を嫌うワニの脳が強くなり、自分を上位者と勘違いしたサルの脳と連動して、一連の不遜な態度になったように見えます。現役記者時代の評判を考えると、逆に1時間半もよく我慢できたといえるのかもしれません。

 この反則指示事件により、当事者の学生双方が将来に大きな傷を負いかねない事態に追い込まれました。彼らだけでなく、現役の日大生、卒業生も大きく誇りを損なわれた「被害者」といえます。

 日大にはその救済や補償を懸命に考えている誠意ある教職員もいるはずですが、悪いことほど面白く取り上げられるものです。この司会者が注目されるのも、こういった現象の一つでしょう。 まずは、監督や大学当局の責任を追及することが当事者を救うためには不可欠です。同時に、善良な学生や卒業生、そして誠実な教職員にもっと注目してもらえればと思います。

 理想論ですが、不遜な態度や慢心の居場所がない大学組織が作れれば、学生も卒業生ももっと幸せになれるでしょう。日本最大規模の日大がそのような大学になることは、きっと日本全体の幸せに貢献するはずです。

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