暴行「豊田真由子」代議士 “いつか刺される”秘書が語った恐怖の車内
2017年6月29日 8時1分
デイリー新潮
■「豊田真由子」その女代議士、凶暴につき(1)
「この、ハゲーーーーーっ!」
夜9時、宵闇に包まれた街を、埼玉県の新座市から朝霞市を目指して走行する黒のホンダ「フィット」。後部座席に座っていた彼女は突如、目の前の運転席に座る男性に向かって耳をつんざく大絶叫を始めた。それは常軌を逸したとしか表現のしようがない、聞く者の心を抉(えぐ)るような、いや言葉そのもので運転席の男性をいたぶり、嬲(なぶ)り殺さんとするような、狂気の喚き声だった。
「ちーがーう(違う)だーろーーーっ!」
「違うだろーーーーーーっ!!」
さらなる狂乱の大絶叫が、ふたりだけの密室と化した車内に木霊(こだま)した次の瞬間、
〈ボコッ〉
豊田真由子代議士
重く鈍い音が響いた。明らかな打撲音だった。
「すいません、ちょっ、運転中でもあるので……」
殴られた男性は、必死に彼女を言葉で制止しようとする。しかし、彼女は運転中の相手に暴行を続けた。
〈ボコッ〉
再び腹にずしりと響く低音が轟いた。そして三度(みたび)、
「違うだろーーーーーーーっ!!!」
制御不能となった彼女の大絶叫が車内を支配した。
ICレコーダーに録音された生々しい衝撃の大絶叫暴行音声。この暴行の主の名を、豊田真由子(42)と言う。彼女は、国民の範たるべき、選良と呼ばれる現職の自民党代議士(6月22日に離党)だった――。
■断続的な暴行
「この音声は5月20日に録音したものです。後部座席にいた豊田代議士の拳骨(げんこつ)が私の頭、左のこめかみあたりに、計6、7回にわたって振り下ろされました。彼女に殴られた箇所は後(のち)に腫れ上がり、今でも顔面に違和感が残っています」
こう告発するのは、豊田氏による暴行の被害者で、彼女の事務所で政策秘書を務めていた男性(55)である。
「暴行後も、彼女は変わってくれるのではないかと一縷(いちる)の望みを持っていたのですが、私たち秘書をなじる姿勢に変化は見られなかった。そのため、途中で仕事を放りだしてはいけないと考えて勤務を続けたものの、区切りである通常国会会期末の6月18日付で私は秘書を辞しました。暴力を振るうことは誰であっても許されない犯罪行為です。ましてや、彼女は国会議員。暴行の事実を伏せたままでは、今も彼女の周りに残っている秘書たちが、今後、新たな被害者になる可能性もあると思い、今回、世間の人に真実を知ってもらうべきだとの考えに至りました」
看過し難い現職代議士による暴行。しかもそれは5月20日だけではなく、それに前後する19、21日と、3日間にわたって断続的に行われたものだった。つねる、殴る、蹴る、ハンガーで叩く。繰り返された暴力──。再三、暴行を受けた被害者であるこの政策秘書は、「顔面打撲傷」「左背部打撲傷」「左上腕挫傷」を負い、彼には同月23日付で診断書が出されている。
狂気の沙汰と言う以外にない暴挙を働いた豊田氏とは一体どんな人物なのか。
■「第二の田中真紀子」
「豊田さんは、2012年に安倍(晋三)総裁が率いて自民党が大勝した『政権再交代選挙』で初当選を果たした、いわゆる安倍チルドレンで、総裁派閥である細田派所属です」
と、大手紙の政治部デスクが解説する。
「女子御三家の桜蔭高校卒業後、東大法学部を経て厚生労働省にキャリア官僚として入省。ハーバード大の大学院にも留学経験があり、夫も国交省の官僚という超エリートで、自民党公募の落下傘候補として埼玉4区から出馬しました。15年10月から16年8月までの間、文部科学大臣政務官を務め(東京オリ・パラ大臣政務官、復興大臣政務官兼務)、順調に出世の階段を上がってきています」
誰もが羨(うらや)む非の打ちどころのない経歴を歩んできた豊田氏だが、一方で、その気性の荒さから、永田町では秘かに「第二の田中真紀子」などと囁(ささや)かれていた。
「実際、14年4月の園遊会に、本来は入れない母親を同伴し、制止する者を怒鳴り散らして、強引に入場したことが問題視されました。また同年、『週刊新潮』で、わずか当選1年半の間に秘書が20人以上辞めたと報じられたこともある。今に至るまで、計100人の秘書が彼女から遁走したとも言われています」(同)
■「鉄パイプで頭を…」
そんな豊田氏は現在当選2期目。「自民党・魔の2回生」と呼ばれる問題議員集団のひとりである。
同党の看板を掲げればほぼ誰でも当選できたこの魔の2回生をザッと列挙すると、本誌(「週刊新潮」)報道で議員失格ぶりが明るみに出ただけでも、「重婚」およびストーカー行為で辞任した中川俊直前経産大臣政務官。「路チュー」議員で、故・中川昭一元財務相の未亡人である中川郁子(ゆうこ)元農水大臣政務官と、そのキスのお相手の門博文代議士。他にも、「ゲス不倫」で議員辞職した宮崎謙介元代議士ら、「錚々(そうそう)たる」面子が豊田氏の当選同期に名を連ねている。
その魔の2回生の歴史に、この度(たび)、彼女は新しい「負の一頁」を刻んだわけだ。
政策秘書が続ける。
「私は地元担当で、彼女の運転随行をすることも多かったのですが、暴行はいずれも私が彼女を後部座席に乗せていて、抗(あらが)いようもない状況で行われました。最初に暴力を振るわれた5月19日、私は彼女から、『鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!』『お前の娘にも危害が及ぶ』とも告げられていました。言い知れぬ恐怖を覚え、翌日から、万が一に備えて車内の様子をICレコーダーで録音することにしたのです。彼女が持っていたペンで、いつか本当に刺されるのではないかと怯(おび)えていました」
政策秘書に、刺される危険さえ感じさせていた「豊田運転随行」。政策秘書が経緯を説明する。
「支持者に送ったバースデーカードのうちの47枚分に関して、宛先とカードの名前表記が異なっていたことが5月18日に発覚し、支持者宅をお詫び行脚して、カードを配り直さなければいけない状況が生じていました。恒常的に秘書が入れ替わるため、指示が行き渡らなかったゆえのケアレスミスとはいえ、事務所の落ち度であり、申し訳ないと思っています。しかし、お詫びに回るといっても、私は運転随行していますし、秘書の数も足りない。そこで、時々来てくださるスタッフに手伝ってもらおうとすると、豊田代議士は、そのスタッフをタダ働きさせるのかと激怒。スタッフには、私たちのポケットマネーでなにがしかの対価を払うことになっていたのですが、彼女は『さっき、ボランティアで働いてもらうと言っただろ』と揚げ足を取り、そして……」
2017年6月29日 8時1分
デイリー新潮
■「豊田真由子」その女代議士、凶暴につき(1)
「この、ハゲーーーーーっ!」
夜9時、宵闇に包まれた街を、埼玉県の新座市から朝霞市を目指して走行する黒のホンダ「フィット」。後部座席に座っていた彼女は突如、目の前の運転席に座る男性に向かって耳をつんざく大絶叫を始めた。それは常軌を逸したとしか表現のしようがない、聞く者の心を抉(えぐ)るような、いや言葉そのもので運転席の男性をいたぶり、嬲(なぶ)り殺さんとするような、狂気の喚き声だった。
「ちーがーう(違う)だーろーーーっ!」
「違うだろーーーーーーっ!!」
さらなる狂乱の大絶叫が、ふたりだけの密室と化した車内に木霊(こだま)した次の瞬間、
〈ボコッ〉
豊田真由子代議士
重く鈍い音が響いた。明らかな打撲音だった。
「すいません、ちょっ、運転中でもあるので……」
殴られた男性は、必死に彼女を言葉で制止しようとする。しかし、彼女は運転中の相手に暴行を続けた。
〈ボコッ〉
再び腹にずしりと響く低音が轟いた。そして三度(みたび)、
「違うだろーーーーーーーっ!!!」
制御不能となった彼女の大絶叫が車内を支配した。
ICレコーダーに録音された生々しい衝撃の大絶叫暴行音声。この暴行の主の名を、豊田真由子(42)と言う。彼女は、国民の範たるべき、選良と呼ばれる現職の自民党代議士(6月22日に離党)だった――。
■断続的な暴行
「この音声は5月20日に録音したものです。後部座席にいた豊田代議士の拳骨(げんこつ)が私の頭、左のこめかみあたりに、計6、7回にわたって振り下ろされました。彼女に殴られた箇所は後(のち)に腫れ上がり、今でも顔面に違和感が残っています」
こう告発するのは、豊田氏による暴行の被害者で、彼女の事務所で政策秘書を務めていた男性(55)である。
「暴行後も、彼女は変わってくれるのではないかと一縷(いちる)の望みを持っていたのですが、私たち秘書をなじる姿勢に変化は見られなかった。そのため、途中で仕事を放りだしてはいけないと考えて勤務を続けたものの、区切りである通常国会会期末の6月18日付で私は秘書を辞しました。暴力を振るうことは誰であっても許されない犯罪行為です。ましてや、彼女は国会議員。暴行の事実を伏せたままでは、今も彼女の周りに残っている秘書たちが、今後、新たな被害者になる可能性もあると思い、今回、世間の人に真実を知ってもらうべきだとの考えに至りました」
看過し難い現職代議士による暴行。しかもそれは5月20日だけではなく、それに前後する19、21日と、3日間にわたって断続的に行われたものだった。つねる、殴る、蹴る、ハンガーで叩く。繰り返された暴力──。再三、暴行を受けた被害者であるこの政策秘書は、「顔面打撲傷」「左背部打撲傷」「左上腕挫傷」を負い、彼には同月23日付で診断書が出されている。
狂気の沙汰と言う以外にない暴挙を働いた豊田氏とは一体どんな人物なのか。
■「第二の田中真紀子」
「豊田さんは、2012年に安倍(晋三)総裁が率いて自民党が大勝した『政権再交代選挙』で初当選を果たした、いわゆる安倍チルドレンで、総裁派閥である細田派所属です」
と、大手紙の政治部デスクが解説する。
「女子御三家の桜蔭高校卒業後、東大法学部を経て厚生労働省にキャリア官僚として入省。ハーバード大の大学院にも留学経験があり、夫も国交省の官僚という超エリートで、自民党公募の落下傘候補として埼玉4区から出馬しました。15年10月から16年8月までの間、文部科学大臣政務官を務め(東京オリ・パラ大臣政務官、復興大臣政務官兼務)、順調に出世の階段を上がってきています」
誰もが羨(うらや)む非の打ちどころのない経歴を歩んできた豊田氏だが、一方で、その気性の荒さから、永田町では秘かに「第二の田中真紀子」などと囁(ささや)かれていた。
「実際、14年4月の園遊会に、本来は入れない母親を同伴し、制止する者を怒鳴り散らして、強引に入場したことが問題視されました。また同年、『週刊新潮』で、わずか当選1年半の間に秘書が20人以上辞めたと報じられたこともある。今に至るまで、計100人の秘書が彼女から遁走したとも言われています」(同)
■「鉄パイプで頭を…」
そんな豊田氏は現在当選2期目。「自民党・魔の2回生」と呼ばれる問題議員集団のひとりである。
同党の看板を掲げればほぼ誰でも当選できたこの魔の2回生をザッと列挙すると、本誌(「週刊新潮」)報道で議員失格ぶりが明るみに出ただけでも、「重婚」およびストーカー行為で辞任した中川俊直前経産大臣政務官。「路チュー」議員で、故・中川昭一元財務相の未亡人である中川郁子(ゆうこ)元農水大臣政務官と、そのキスのお相手の門博文代議士。他にも、「ゲス不倫」で議員辞職した宮崎謙介元代議士ら、「錚々(そうそう)たる」面子が豊田氏の当選同期に名を連ねている。
その魔の2回生の歴史に、この度(たび)、彼女は新しい「負の一頁」を刻んだわけだ。
政策秘書が続ける。
「私は地元担当で、彼女の運転随行をすることも多かったのですが、暴行はいずれも私が彼女を後部座席に乗せていて、抗(あらが)いようもない状況で行われました。最初に暴力を振るわれた5月19日、私は彼女から、『鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!』『お前の娘にも危害が及ぶ』とも告げられていました。言い知れぬ恐怖を覚え、翌日から、万が一に備えて車内の様子をICレコーダーで録音することにしたのです。彼女が持っていたペンで、いつか本当に刺されるのではないかと怯(おび)えていました」
政策秘書に、刺される危険さえ感じさせていた「豊田運転随行」。政策秘書が経緯を説明する。
「支持者に送ったバースデーカードのうちの47枚分に関して、宛先とカードの名前表記が異なっていたことが5月18日に発覚し、支持者宅をお詫び行脚して、カードを配り直さなければいけない状況が生じていました。恒常的に秘書が入れ替わるため、指示が行き渡らなかったゆえのケアレスミスとはいえ、事務所の落ち度であり、申し訳ないと思っています。しかし、お詫びに回るといっても、私は運転随行していますし、秘書の数も足りない。そこで、時々来てくださるスタッフに手伝ってもらおうとすると、豊田代議士は、そのスタッフをタダ働きさせるのかと激怒。スタッフには、私たちのポケットマネーでなにがしかの対価を払うことになっていたのですが、彼女は『さっき、ボランティアで働いてもらうと言っただろ』と揚げ足を取り、そして……」
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