強制不妊手術拒む家族を侮蔑 旧優生保護法下の開示文書
1/26(金) 11:30配信
京都新聞
1971年6月30日に決裁された滋賀県の公文書。娘に対する強制不妊手術を防ごうとする親との対話を打ち切る方針を固めたことが分かる
疾患や障害を理由に断種の適否を決めた優生保護審査会の公文書は、強制不妊手術の実態が分かる貴重な記録だが、保存期限が切れて全国で廃棄が進む。滋賀県の開示文書からは、手術を拒む女性の家族を「無知と盲愛」と侮蔑(ぶべつ)し、本人の意思に反して生殖能力を奪おうとした旧優生保護法や行政の暗部が垣間見える。
1971年2月2日。小児科内科の医師が県優生保護審査会に、草津保健所管内で暮らす20代未婚女性への優生手術の審査を申請した。健康診断書によると病名は「先天性精神薄弱」、申請理由は「遺伝因子を除去するため」。法的には必要ないが、「調査勧奨」に応じたとする親の承諾書も添えられていた。
県は審査会を開くことなく持ち回りの審査で、「優生手術を適当と認める」(同21日付)と決定した。審査委員は県厚生部長、大津地検次席検事、県医師会長、病院理事長、病院長、県産婦人科医会長、県社会福祉協議会長の7人が務め、全員が押印した。
5日後、県は女性や親宛てに「遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要」として指定の病院で3月20日までに手術を受けるよう通知した。草津保健所長に対しても「手術が期限内に必ず完了」するよう指導を求めた。だが、女性は期限内に病院を訪れなかった。県の文書には「保護義務者の無知と盲愛のため、関係者(草津保健所、町)の説得にもかかわらず拒絶し続け」とある。
審査を申請した医師は3月16日、審査会長宛てに異例の優生手術中止届を出した。県の開示文書が黒塗りのため内容は判読できない。草津保健所も県厚生部長に「手術中止の申し出がありましたのでよろしくお取計らい願います」との文書を送っている。
旧優生保護法には優生手術を中止する規定はない。本人が拒否した場合、国は身体の拘束や麻酔の使用、だまして手術することも認めていたが、県は審査会の決定を実現すべく「努力」を続けた。親は「農繁期が終われば受ける」と約束したが、再び拒否の姿勢に転じたり、「10月頃にしてほしい」と話したりするなど、娘を思う気持ちと行政の圧力の間で揺れ動いた。
県は6月30日、「期日を延ばすことにより、結局は手術を受けることをのがれようとしている。保護義務者の言うままにしていても時間を徒過するだけ」と結論付け、女性に7月31日までに「必ず受療するよう」通知することを決めた。
女性は不妊手術を強いられたのか。県健康寿命推進課は「開示した文書以外は残っておらず、優生手術台帳のような資料もないので分からない」としている。
■旧優生保護法
「不良な子孫の出生を防止する」との優生思想に基づき1948年に施行された。ナチス・ドイツの「断種法」の考えを取り入れた国民優生法が前身。知的障害や精神疾患、遺伝性とされた疾患などを理由に不妊手術や人工妊娠中絶を認めた。医師が必要と判断すれば、本人の同意がなくても都道府県の「優生保護審査会」の決定で不妊手術を行うことが可能で、53年の国の通知は身体拘束や麻酔使用、だました上での手術も容認していた。96年、障害者差別や強制不妊手術に関する条文を削除し、母体保護法に改定された。
<おことわり>
開示された公文書には現在使われていない不適切な疾患名や表現がありますが、記録性を重視し、かぎかっこに入れ表記しました。