縄奥ニュース・音楽まとめサイト

日々の面白いニュースやコラム、政治経済や事件事故のまとめの他に音楽や面白い動画をUPします。

はごろもフーズ 14年もツナ缶にハエ混入

2016-11-01 17:12:11 | ニュースまとめ・総合
はごろもフーズ 14年もツナ缶にハエ混入


2016年11月1日 15時17分

日テレNEWS24

 「はごろもフーズ」が静岡市の工場で製造したツナ缶にゴキブリが混入していたことが問題となっているが、2014年にも同じ工場で製造したツナ缶にハエが混入していたことがわかった。

 2014年に都内に住む購入者が撮影した写真には、ツナ缶の中にハエが入っている様子が写っている。

 2014年4月、東京・世田谷区のスーパーで「はごろもフーズ」の「シーチキンLフレーク」を購入し、自宅で開けたところ、体長7~8ミリのハエが入っていたという。「はごろもフーズ」は、ハエに加熱された形跡があったとして、ツナ缶の製造過程で混入したと認めた。

 この缶詰は、先週、ゴキブリの混入が発覚したツナ缶と同じ、静岡市の工場で製造されていた。

 日本テレビの取材に対し「はごろもフーズ」は、「回答を控える」としている。

“レコード大賞のドン”がバーニング1億円問題を謝罪 | スクープ速報

2016-11-01 17:10:43 | 芸能・スポーツ
“レコード大賞のドン”がバーニング1億円問題を謝罪 | スクープ速報


2016年11月1日 16時2分

週刊文春WEB

消費税だけで800万円

 三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE(以下、三代目)が受賞した昨年の「日本レコード大賞」の選考の裏で、三代目が所属する芸能事務所LDHに対し、大手芸能事務所バーニングプロダクション(社長・周防郁雄氏)が「年末のプロモーション業務委託費」という名目で1億円を請求していた問題を受け、同賞の最高責任者が「週刊文春」の直撃取材に、買収疑惑について謝罪の言葉を口にした。

「このような事態になったことは大変遺憾で、主催者として大変申し訳なく思っています。業界関係者の皆様、歌謡曲ファンの皆様に深くお詫び申し上げます」

 取材に答えたのは、日本作曲家協会会長の叶弦大氏(78)。同氏は小林旭の「昔の名前で出ています」をはじめ、作曲家として数々のヒット曲を手がけてきた。3年前、公益社団法人・日本作曲家協会の7代目会長に就任。同協会が主催するレコ大の最高責任者(制定委員長)であり、業界では“レコ大のドン”と呼ばれている。

 この問題を受け、バーニングやエイベックス、同賞の放送局であるTBSは沈黙しているが、いち早くHIRO(47)はLDH社長の退任を発表。叶氏の謝罪発言を受けて、各社の対応に注目が集まる。

三菱自、10万台リコール=ワイパー不具合

2016-11-01 17:09:32 | ニュースまとめ・総合
三菱自、10万台リコール=ワイパー不具合

2016年11月1日 16時34分

時事通信社
 三菱自動車は1日、ワイパーに不具合があったとして、「アウトランダー」「RVR」の2車種計10万797台(2005年9月~14年1月製造)のリコール(回収・無償修理)を国土交通省に届け出た。ワイパーが作動しなくなるなどのトラブルが10年2月以降に76件あったが、事故は起きていない。

 国交省によると、ワイパーの防水処理が不適切でモーターなどに雨が入り、部品が腐食して作動しなくなる恐れがある。設計不良が原因で部品を交換して対応する。

 米国や中国に輸出するなどした計約136万台も同様の措置を取るという。 

日本は確かに清潔だ・・・称賛の一方で「自分には厳格すぎた」=中国メディア

2016-11-01 15:30:02 | ニュースまとめ・総合
日本は確かに清潔だ・・・称賛の一方で「自分には厳格すぎた」=中国メディア



2016年11月1日 8時29分

サーチナ
歴史問題や領土をめぐる対立など、多くの中国人は日本に対して複雑な感情を抱いている。だが、それでも中国人の多くが口を揃えて絶賛するのが日本の清潔さだ。中国を訪れたことのある日本人ならば、日本がいかに清潔な国なのか知っているだろう。(イメージ写真提供:123RF)

写真拡大
 歴史問題や領土をめぐる対立など、多くの中国人は日本に対して複雑な感情を抱いている。だが、それでも中国人の多くが口を揃えて絶賛するのが日本の清潔さだ。中国を訪れたことのある日本人ならば、日本がいかに清潔な国なのか知っているだろう。

 中国メディアの環衛科技網はこのほど、日本の清潔さを称賛する記事を掲載し、その清潔さを実現しているのは「ゴミの分別」であると主張。「日本で生活したことがない中国人には、日本のゴミ分別やゴミ処理がいかに厳格かを理解するのは難しいだろう」と指摘する一方で、日本で一定期間住んだ感想として「日本のゴミ分別は厳格すぎた」と不満を吐露した。

 記事はまず、日本の家庭ごみは「透明」もしくは「半透明」の袋に、素材や材料に応じて分別して入れることが求められると紹介したほか、「指定された時間に、指定された場所に、指定されたゴミを出す必要がある」と紹介した。中国のマンションでは一般的にいつでもゴミを捨てることができる。そのため、中国人にとっては「指定された日に、指定された場所に、指定されたゴミを捨てること」が理解し難いようだ。

 さらに、日本のゴミをめぐるルールのうち、もっとも理解し難いこととして「粗大ごみ」の処理を挙げ、不要になった粗大ゴミを捨てることに費用がかかることや、引っ越しの際に自分の荷物をすべて撤去しなければならないことを挙げている。

 引っ越しにあたって不要な家具や家電をそのまま部屋に置いていくことができれば、「次の入居者はその家具や家電を使うことができて資源の節約になるではないか」と主張しているが、日本のゴミ処理をめぐるルールは非常に厳格であるため、結局は不要になった粗大ゴミをすべて処理することになったと伝えている。

 こうした厳格なゴミ処理のルールがすべての家庭に適用されるからこそ、日本はゴミが散乱したり、不要になった粗大ゴミが路上に放置されるようなこともないと言える。確かに日本のゴミをめぐるルールは厳しすぎるのかもしれないが、その厳しさによって日本では皆が気持ち良く暮らせているとも言えるだろう。

小倉智昭氏 高齢者の運転免許「毎年更新案」に猛反論

2016-11-01 14:42:24 | 芸能・スポーツ
小倉智昭氏 高齢者の運転免許「毎年更新案」に猛反論


2016年11月1日 11時33分

トピックニュース

1日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系)で、小倉智昭氏が高齢者の運転免許「毎年更新案」に対して、異議を唱えた。

番組では「小1男児ひかれ死亡 逮捕の87歳男『認知症』検査へ」と題して、10月28日午前に、集団登校中の小学生の列に軽トラックが突っ込んだ事故を取り上げた。運転していたのは87歳の男性で、現場まで「どうやって行ったか憶えていない」と供述したため、現在認知症のテストを受ける予定だという。

田中良幸アナウンサーは現在の免許更新の問題点を説明した。75歳以上は3年に一度免許更新が必要で、その際に認知機能検査を受けるが、「認知症の恐れ」があっても更新できてしまう。そして「認知症の恐れ」があった人が1年以内に信号無視や逆走の違反をした場合だけ、医師の診断を経て、免許取り消し・停止になる。

この法律は2015年に改正され、2017年3月以降は免許更新の時点で「認知症の恐れ」があったら、医師の判断を仰がなければいけないことになった。また、信号無視や逆走などの違反があると、臨時検査も行われるとのこと。さらに運転に不安がある人は、「自主返納」できる制度も紹介した。

すると、現在69歳の小倉氏が異論を唱え始める。小倉氏は中年男性向けの雑誌「ヘイルメリー」に原稿を書いており、その雑誌では毎号車やバイクの読み物が入るとか。小倉氏は「年配親父たちは、どうしても車好きなんですよね」と語り、免許返納にすんなり応じるか分からないと主張する。

そこで笠井アナが「更新を毎年すればいい」と提案すると、小倉氏は「簡単に言いますけどね、大変ですよ」と折れない。笠井アナが「自分の命を守ることにもなるから」、菊川怜も「他の人の命も」と続ける。

しかし小倉氏は笠井アナを指差しながら「それは運転しないから、そういうことを平気で言う」と語気を荒げ、「タバコ吸う人と吸わない人みたいな、考え方が違うところあるからね」「難しいところですよ」と異論を唱え続けた。

大金持ちが大豪邸を「手放す理由」~庶民には分からない苦悩がある

2016-11-01 14:40:47 | ニュースまとめ・総合
大金持ちが大豪邸を「手放す理由」~庶民には分からない苦悩がある 豪邸生活の「知られざる真実」


2016年11月1日 11時0分

現代ビジネス


●自動温水プールにパルテノン神殿風の柱、シャンデリアだけで1000万円
●庭にテニスコート、室内にはジャグジー、仲間とホームパーティの日々
しかし……
●掃除が大変すぎる、屋内プールのカビ対策に苦労
●電気代月25万円、維持管理と税金で年間1000万円以上かかる
●高級外車に錦鯉、リッチな暮らしをし尽くした男は「贅沢に飽きた」
●はやく小ぶりなマンションに引っ越したい!

数億円から十数億円という超高額物件。そんな豪邸を売りに出した人たちを訪ねて、どんな人生を送ってきたのか、なぜ売るのかを聞いて回った。大金持ちが明かした豪邸生活の「知られざる真実」。
■「住んで3日で嫌になった」

六本木、赤坂、表参道、白金……。高級ブティックや一流レストランが立ち並び、億ションから目が飛び出るような額の邸宅がひしめく。別名、日本で最も多くの金持ちが住む街――。

そんな港区内でも屈指の超高級住宅エリアに大豪邸を建てた増井由美子氏(仮名、50代)は、「もともとは、お城のような家を建てることが棺桶に入るまでに絶対に叶えたい夢だった」と言う。

「私はお金持ちの家に生まれたわけではなく、田舎の普通のサラリーマン家庭に育ちました。だから、小さい頃からずっと、いつかは映画に出てくるような豪邸に住みたいと憧れてきました。

おかげさまで20代のときに始めた医療機器の会社が軌道に乗ってくると、そんな夢を叶えるための金銭的な余裕ができた。そこで10年前に一念発起して、これまでの夢をすべて詰め込んだ大豪邸を建てようと決めたんです。

まず、絶対にやりたかったのがプールです。それも私の場合、屋外プールだと冬には入れないのが嫌だったので、屋内に自動温水プールを作りました。プール部屋だけで、100m2くらいの広さがありますよ。

あと、屋内のインテリアはヨーロッパの城のようにしたいと憧れていましたから、リビングの床は大理石貼りにして、柱はパルテノン神殿のものを模した特注品をあつらえました。リビングには巨大なシャンデリアを吊るしたかったので、フランス製の1000万円くらいのものをかけました」

そんな増井氏の豪邸は建物面積にして、優に500m2を超える。豪奢な石張りの巨大外壁は、企業経営者、芸能人などが多く住むこの一帯でも群を抜いて目を引く。

内装も凝りに凝っていて、リビングダイニングは10mを超える高さで吹き抜けている。階段も特注の石材で作られたらせん階段で、空間をラグジュアリーに演出する。

建築家と1年くらい相談しながら、設計図を仔細に詰めていくのは至福の時だった。

「だけど、実際に住んでみたら3日目にはもう嫌になりました」と増井氏は言う。

「作る前からわからなかったのかと言われればその通りなのですが、まずなにより掃除が大変なわけですよ。建物面積で500m2以上はありますから、もちろん自分一人では無理。浴室は2つ、トイレだけでも5つもあるので、ほぼ毎日業者が来て掃除をしてもらっているような状況でした。もともとお金持ちの家に生まれて、そういうことが当然と思えればよかったのでしょうが、私にはそれが次第にストレスになっていったんです。

温水プールについては、実は24時間フィルターを通して循環するので掃除は不要。水の交換は年に1回で数万円と低コストでした。ただ、プールに入らない時に湿気を防ぐためにフタを被せるのですが、とにかくカビが凄いんです。それに冬場にプールを温めるために地下暖房を使うのですが、そのガス代がバカにならない。それでも最初はもったいないと思って使っていましたが、結局は2年くらい経ったらプールの水を抜いたまま使わなくなりました」

結婚をして子供ができた直後に離婚。女手一つで事業を興し、子供の運動会に行かないで取引先とゴルフをしたほど、必死に働いてきた。

そんな努力の結晶としてやっとのことで手に入れた豪邸を「手放す」と決めたのは、2011年の東日本大震災がきっかけだったという。

「もちろんガス代、掃除代などにストレスがどんどん溜まっていったのも大きかったですが、私が家を売ると決意したのはあの大震災があったからです。あの時は東京都内もかなり揺れましたが、うちは内装をこだわるために建物は主にコンクリートを使っていたため、ビルや木造のようにグラグラとしなるような揺れ方と違い、直接ズドーンと来たんです。

私はリビングにいたのですが、頭上で巨大なシャンデリアがいつまでもグルグルと回っていた。シャンデリアが落ちてくるのではないかと恐怖に震えていた時にふと、『私にはそもそも、こんな豪邸は必要なかったんじゃないのか』と悟ったんです。

豪邸というのは住んでみないとわからないことが多くて、生まれが貧乏だった私みたいな人間には、はなから向いていなかった。近所にはお金持ちが多く住んでいますが、生まれつきのお金持ちほど地味に目立たないようにして、豪邸=ステータスという風に見せびらかしたりしません。そもそも、『キャベツが300円以上したら買うのをよそう』なんて考えている私に、なにがパルテノン神殿かって。身の程を知らなかったんです」
■「ゲーテッドシティ」の現実

そんな増井氏は豪邸を売ってできた数億円を元手にして、近所に断震性能の優れた「こぢんまりとした家」を建て、いまはそこに暮らしている。

「私も年をとったせいかもしれませんが、何百m2もある豪邸より4畳半ですべてに手が届くほうが快適で暮らしやすい。おカネが貯まってまた家を建てるなら、もっと小さい家にしようかと思っているくらいです」

周囲からは一見優雅なように見える豪邸の暮らしも、実はそうとは限らない。豪邸に住んだために初めて背負うことになる苦悩に耐えきれず、せっかくの城を手放す人は少なくない。

田辺雄一氏(仮名、60代)もそんな一人である。

田辺氏の豪邸は、東京近郊の「選ばれし街」に建つ。もともと富裕層向けに開発されたエリアで、街区に入るには管理門を通過する必要があるゲーテッドシティだ。

そんな日本には珍しい超富裕層向け住宅街だけあって、プール付きの豪邸があちこちに立ち並ぶ。田辺氏の豪邸はその中でもひときわ大きく、建物面積は700m2ほど。敷地の周りには緑が高く整備されていて、森の中の別荘のようだ。

「私は経営コンサルタントとして仕事三昧の人生を送ってきましたが、この土地は一目見ただけで気に入りました。なんといっても、ここに住むのは経営者や弁護士、医者など本物の一流ばかり。各界の一線で活躍する彼らは本気でビジネスに取り組むし、プライベートも本気で遊ぶ人たちです。こうした人たちに囲まれて過ごすのは最高だと思って、迷わずにここに家を建てました。

実際、私はこれまで多くのビジネスの仲間たちを呼んでパーティを開きましたが、みんな喜んでくれます。庭にはテニスコートがあるので一汗かけるし、家族連れでバーベキューだってできます。子どもたちは遊んでいて暑くなったら素っ裸になって、庭のプールで泳ぐ。そうしてみんなが楽しむ姿を見るのがなにより嬉しいし、仕事の励みにもなりました」

リビングだけでも50畳近い広さがあるから、何十人が集まるパーティも開ける。ジャグジーバスにサウナも完備されているから、テニスで疲れた身体も休められる。まさに家全体がラグジュアリーホテルのようだ。

ではなぜ、田辺氏はそんな優雅な生活を手放すことにしたのだろうか。

「私は20代からずっとコンサルタント業界の第一線で働いてきた自負がありますが、そろそろ仕事に一区切りをつけたくなったんです。毎年3000万~4000万円を納税するほどに稼いできましたが、隠居をすれば収入は大きく減るので、この生活は維持できないと思って決めました。

もちろん、これまで稼いだ蓄えがたくさんあるではないかとは言われますが、実はここまでの家を建ててしまうと、ランニングコストがバカにならないんです。たとえば電気代だけでも、1ヵ月で約25万円はかかる。そこに光熱費、プールやテニスコートの維持費から庭の手入れ費などを入れれば、少なくとも月々70万円からの額がのしかかってきます」

〔PHOTO〕gettyimages
■大理石、彫刻、暖炉、サウナ

それだけではなく、固定資産税は年間数百万円。結局、維持・管理のためにもろもろ合わせて年間1000万円近い巨額が消えていく計算になる。

「だから、売ると決めた後にもなかなか買い手はつきませんでした。内覧には来るのですが、年間1000万円近い維持費がかかるとわかると、『ちょっと家が広すぎる』とか言い出して、成約に至らないんです。私はすでに別の場所に家を建てて引っ越していましたが、売れない間はこの家の維持費を支払い続けなければいけなくなったので、その間は仕事を続ける羽目になりました。

買い手が見つかったのは、売り出してから1年ほどが経った最近のことです。豪邸を手放すのは、豪邸を手に入れるよりも大変だと痛感しました。その覚悟と能力があってこそ、豪邸に住む資格があるということなのかもしれませんね」

実際、今回本誌は数多くの売りに出されている豪邸を訪ねたが、何年も売れ残っている物件にたくさん出くわした。ある豪邸は入り口の門が外され、侵入禁止の札がかかっていたし、また別の豪邸では玄関前の植木鉢が枯れ、もう掃除すらされていなかった。売れ残っている物件の主に取材をさせて欲しいと告げると、「失礼だ」と怒鳴られたこともあった。

大迫智也氏(仮名、60代)も数年前から杉並の豪邸を売りに出しているが、買い手がつかない。ただ、それで頭を抱えているという風ではなく、どこか飄々としている。

「どうぞ、中に入ってみて。週刊現代で宣伝してくださいよ」

そう冗談を言う大迫氏に招き入れてもらった豪邸は、別格。まず玄関からして大理石が敷き詰められ、美術館のように幾体もの彫刻作品が来客を出迎える。大理石の床が続くリビングでは、吹き抜けの天井に巨大シャンデリアが輝き、特注暖炉をソファが囲む。バルコニーに出ればまた彫刻に出迎えられ、まるでヨーロッパの宮殿のようだ。

さらに部屋を進むと一転、今度は巨大な和室が広がる。畳が広く敷かれた室内には天然の桜材がふんだんに使われ、深みのある漆喰の囲炉裏まで備え付けられている。こちらは高級日本旅館の風情そのものだ。あまりの豪華さに驚く本誌記者に、大迫氏は「どう? 最高でしょう」と語り出した。

「まあ、ここに座ってください。このソファは400万円くらいだったかな。そこに飾ってある絵画も、18世紀の有名な画家で、ボストン美術館にも飾られているような人が描いたものです。この家を買いたいという人が出てくれば、調度品や装飾品もプレゼントするつもりですが、最初に頼んだ大手不動産会社の動きが悪すぎて、内覧に人が来なかった。

いまは業者を変えたから、内覧者は増えてきました。こないだ来た内覧者はランボルギーニで来て、ちゃんと車が停められるか確かめていましたよ。大きい外車でも2台は余裕で入るガレージなんだけどね」

大迫氏はもともと信金職員だったが、40代のときに「一発勝負」をかけて独立。'90年代のバブル崩壊後に銀行が貸し出しを渋る中、生来の物怖じしない性格から積極融資姿勢で突き進み、稼ぎに稼ぎまくった。

「信金時代からクソ真面目な銀行員なんてやってられないから、お金持ちのお客さんたちと飲み歩いていたんです。その時の人脈が独立してから活きて、がっぽり儲けた。だから当時から、周りのお金持ちがやっていることは私も同じようにやってきました。何百万円もする錦鯉を飼ったり、血統書つきの大型犬を飼ったりね。

この家でも仲間を呼んで、一流シェフに料理を作ってもらって、派手にパーティを開いたもんです。リビングの特注のバーカウンターだって、格好いいでしょう。おネエちゃんを呼んでここでカクテル作ってやれば、そりゃあモテますよ」
■「巣鴨に引っ越したい」

大迫氏は金融業のかたわら不動産業にも進出したところ、この土地が割安で売りに出ているのを見つけ、すぐに購入した。

「杉並のこのあたりは、六本木ヒルズなどの都心の中心部でビジネスをやっている成功者たちにとって仕事を忘れて休める『別荘地』のようなエリアで、そうした金持ちに人気が高いんです。周りは閑静な住宅街で、緑もあって静かだから過ごしやすい。それで私もここに家を建てることにしたわけです」

そんな誰もがうらやむような住環境なのだから、ずっと住みたいとは思わないのか。なぜ売る必要があるのか――。

本誌記者がそう尋ねると、大迫氏は「私はもう豪華さに飽きたんです」と言い出した。

「これまでさんざん遊びや贅沢をしてきましたが、いよいよ60代後半になってきて豪邸だとか贅沢だとかいうものに魅力を感じなくなってきたんです。毎日、豪華なメシを食うくらいのおカネはあるけれど、とにかく豪華なメシっていうのは飽きる。それは豪邸も同じだと気が付いたわけです。

だから、いま最も切実なのが日々の食事ですよ。サバの味噌煮とか、うまい味噌汁にご飯に漬物って組み合わせが欲しいのに、このあたりにはそうした定食屋がない。駅前に行っても似たり寄ったりの味気ないチェーン店ばかり。だからこの家はさっさと売り払って、浅草か日暮里、それか巣鴨に引っ越すと決めたんです。あのエリアは、美味しい定食屋がいっぱいあるでしょう。早く家が売れて欲しいし、早く引っ越したい」

カネを稼いで、豪邸に住んではみたけれど、ある日まったく違った形の幸せが欲しくなる。だから、豪邸を手放すことにはむしろ喜びすら感じる――。そんな胸の内を語る豪邸の主は少なくない。

芸能人が多く住む都内屈指の人気住宅街にあって、有名建築家が設計した豪邸に住む大井聡氏(仮名、70代)も、「この家を売ることを決めてから清々しい気持ちになっている」と言う。

「私は自営業をやっていましたが、今年3月に仕事の区切りができました。一般企業でいうところの定年です。これまでは自宅を事務所としても使っていて、スタッフも数名いましたが、彼らがいなくなったら急に家がガランとして寂しく感じるようになってね。私には子供がいないので、夫婦2人で住むにはこの家は広すぎます。

それに、庭の手入れや掃除に年3回ほど業者を呼んでいるのですが、こうしたメンテナンスに労力がかかることも、今後の年金生活を考えると負担に感じてきた」

大井氏は華やかな広告業界に身を置き、業界が最も沸いたバブル時代を先端で駆け抜けていた最中、この豪邸を建てた。

「もちろん、これからも仕事を完全にやめるわけではなく、海外での仕事などはやるつもりです。しかし、家にはスタッフがいないので、妻だけを残すとなると不安なんです。妻から『夜が心配』と言うのを聞いたこともまた、家を売る決め手になりました。大きな家ほど、防犯上のリスクは大きくなりますからね。

今後は小ぶりで便利なマンションに移り住む予定で、この年齢でまた新しい生活が始まると思うと気分が軽くなるし、ワクワクします。これまではこの豪邸を維持するプレッシャーを意識せずとも感じていたのだと思います。これからはそこから解放されて、気楽に老後を楽しんでいきたい」

豪邸の主たちが語る「手放す理由」を聞くと、それぞれの生き様や人生哲学が透けて見えてくるから、おもしろい。

「豪邸は子どもの教育上あまり良くない」

そんな意外な理由で豪邸を売りに出したのは、長岡眞氏(仮名、70代)である。
■相続をどうするかが大問題

東京西部の主要線沿いに建つその豪邸は、不動産業を営む長岡氏が競売で手に入れ、約7000万円をかけてリフォームしたもの。室内を見せてもらうと、目を引くのは漆仕上げの特注階段。海外職人のハンドメイドで巨木から切り出して作ったもので、金額は「4ケタ万円は超える」という。

4つある洋室はどれも10畳超のゆとりある造りで、トレーニング専用の部屋もある。過去には、「ドラマのロケで使わせてほしい」とオファーされたほどの豪邸だ。

「ちょうど息子が高校生になる頃にこの家を建てて、いまも息子家族と2世帯で暮らしていますから、子どもは物心ついたときからずっとこの家に住んでいることになります。私は不動産業をやっていて、一時は9000万円くらい納税していた時期もありましたから、家族におカネで苦労をかけた記憶はない。以前は自分がちゃんと働いて家族を支えてきたという自負がありましたが、最近はあまりに息子を甘やかし過ぎたかなと反省しているんです。

というのも、この家に2世帯で住むと決めた時、息子夫婦には『庭の管理をすべてやる』という条件をつけたんです。それなのに、いざ住み始めたら、『こんなに大変なのをすべて見切れない』とサジを投げてきた。それで雑草や芝がどんどん伸びてきてしまうので、この前は泣く泣くコンクリートで固めたところもあるほどです。

息子からすれば、放っておけばそのうち親父がやるだろうくらいにしか考えていないんでしょう。カネの苦労も知らず、大きな家で甘やかして育てたのでこんなことになってしまったのではないかと痛感してね」

長岡氏はこの一件を機に、いまからでも遅くないから息子に苦労をさせようと思い立ち、「自分で住む家くらい自分で見つけてこい」という意味を込めて、豪邸を売りに出すことを決めたと言う。

「私は死ぬ時にはなにも残しておきたくないと考えているので、財産を残すつもりはないんです。ただ、すべてを生前に処分できるわけではないので、残るものは残ってしまう。息子にはそれを期待しながら生きて欲しくはないんです。

だから、この家を売りに出したのは息子夫婦へプレッシャーをかける意味が大きくて、本当に売る気はあまりない。相場よりかなり高めで売り出しているのもそのためで、内覧に来る人はいますが成約しません。ある日突然、『小さいマンションだけど、住む家を見つけたよ』と息子夫婦が言ってくる。私はそんな日が来るのを待っているというわけです」

そんな長岡氏とは打って変わって、「子どもに財産を残すための相続対策」を理由に豪邸を売りに出す人も多くいる。

有名病院や名門校が集まる都内の一流住宅街。その一角に建つ建築面積500m2超の豪邸を売った永田伸二郎氏(仮名、70代)が言う。

「私はこの家を親から相続しましたが、さらに自分の子どもに残そうという気持ちはありませんでした。そこで無理をして相続で苦労するより、現実的に家族がみんなずっと幸せに生きることを考えれば、いま売る以外に選択肢はなかった。

実際、子どもへの相続を考えた時、大きな戸建ては処分がとても難しい。それよりもマンションで相続したほうが、よっぽど融通がききます。この家には私と子どもの2世帯で住んでいたので、家を手放して新しく2つのマンションに住み替えることにしました」
■「持ち家はもういらない」

豪邸ともなれば莫大な相続税がかかり、対策を誤れば家ごと失うリスクも出てくる。実際、故田中角栄元首相は相続税額が50億円以上もの巨額となったため、遺族は「目白邸」の敷地の一部を物納し、母屋は取り壊された。「日本一のお金持ち」と言われるソフトバンクグループの孫正義社長ですら、数年前に麻布の大豪邸を妻名義にしているほどである。

永田氏は言う。

「もちろん家を売ると少なくない額のおカネにはなるのですが、まずここからたっぷり税金を取られます。さらに、残った分で新居を買って、もろもろの手数料などを支払えばそれで終わりです。相続対策で家を売ってもまったく儲かるわけではない」

あまりにリアルな「豪邸相続」の現実だ。

見てきたように、豪邸の主たちは、一般人には推し量れない悩みを抱えている。有名企業創業者の真野徹氏(仮名、40代)も「豪邸の弊害」に気がつき、外国大使館などが点在する都心一等地の豪邸を売りに出した。

「これからのグローバル時代には世界を飛び回るのが当たり前で、居心地のいい豪邸なんて建ててしまったら、外に出るのが億劫になってしまうかもしれない。子どもの将来を考えたらそれではいけないと思い、家を売ることにしました」

真野氏は20代の時にたった一人で興した事業が急成長を遂げ、いまや国内外にビジネスを展開。そんな成功の証である豪邸を建てたのはほんの数年前だが、この家を早々に手放すことにためらいはなかったと言う。

「実はすでに下の子と妻をともなってシンガポールへ住居を移しているんです。高校生の子もアメリカに留学させました。将来日本に帰ってきたら家は借りればいいだけです。グローバルに仕事をするようになって痛感してきたのは、そもそも持ち家なんて必要ないということです。もう、家にステータスを求めるような時代ではない」

ただ、真野氏の家は約10億円とあまりの高額のためか、まだ買い手はついていない――。

維持するのにカネがかかるし、税金問題に頭を悩まされるし、売ろうと思ってもなかなか売れない。誰もが憧れる豪邸生活は、意外と「苦労だらけ」なのであった。

政治塾、丸川珠代五輪相「自民党もやってます」 小池百合子都知事の「希望の塾」に対抗心

2016-11-01 14:38:45 | ニュースまとめ・総合
【東京五輪】政治塾、丸川珠代五輪相「自民党もやってます」 小池百合子都知事の「希望の塾」に対抗心



2016年11月1日 11時48分

産経新聞


 丸川珠代五輪相は1日午前の記者会見で、10月30日に開塾式を行った東京都の小池百合子知事による政治塾「希望の塾」について、「政治を志す方、政治に関わりたいと思う方が都知事を通じて参加してくださることは、政治全体の活性化にとって、とても良いことだ」と歓迎した。

 一方、自民党も都連をはじめとして大半の都道府県連がそれぞれ地方政治学校という形の政治塾を設けており、東京都選出の国会議員である丸川氏は、「自民党もやってます、と宣伝だけして、『ウエルカム』と言いたい」と付け加え、対抗心をのぞかせた。

高樹沙耶容疑者 本誌に語っていた“逆ハーレム生活”の夢

2016-11-01 13:20:13 | ニュースまとめ・総合
高樹沙耶容疑者 本誌に語っていた“逆ハーレム生活”の夢



2016年11月1日 0時0分

女性自身


「やってるんじゃないか、持っているんじゃないかという噂はありました。それが本当だったなんて」(近所の住人)

10月25日、大麻所持の疑いで沖縄・石垣島で逮捕された高樹沙耶容疑者(53)。4年前に千葉から石垣島に移住してきた高樹容疑者は、3人の男性と同居していた。大麻研究家で“パートナー”と高樹本人も公言する存在の森山繁成容疑者(58)。世界放浪から石垣島にたどり着いた小見祐貴容疑者(26)。そして元国会議員のH氏だ。

高樹容疑者に大麻の手ほどきをしたのが森山容疑者だった。彼は、東京で土木会社を営んでいた設計士でもあった。森山は高樹に土木作業を教え、施設作りを主導した。

「高樹さんは石垣空港から車で20分ほどのジャングルだった1,500坪を全財産はたいて購入。彼女自身もナタで切り拓き、土木作業機で建築物の土台も造っていました」(別の近所の住人)

男女4人の“奇妙な共同生活”。そのなかでも、際立つのが高樹と森山の関係だ。

「森山さんは彼女のことを『イクピョン』と呼んでいました。本名が育江ですから。彼女は『シゲちゃん』で、周りに『私のパートナーです』と紹介していました。自宅の母屋に一緒に寝泊まりしていましたし、当然男女の関係なんでしょう」(前出・別の近所の住人)

昨年には4人で“手作り”した、バリ島のリゾート風の宿泊施設『虹の豆 浮世離れ』をオープン。水道は沢の水を引き、ガスも通っていない自給自足生活を送ってきた。

「自給自足には、男手が必要。男に対する尊敬も生まれる。だから仲間が必要。血のつながった家族が同じ意見でなければ、暮らすのは別に他人だっていいわけです。それぞれが役割分担をして、楽しいと思った暮らしをすればいいだけのこと。そうすれば、年をとっても寂しくないと思う」

08年3月の本誌取材にこう話していた高樹容疑者。今回の逮捕を受けて、彼女の男性遍歴を知る芸能関係者は、「彼女は付き合う男性から強く影響を受けるタイプ。男性に合わせて自分の生き方をコロコロと変えてきたんです」と語る。彼女自身も男性についての“独特な考え”を本誌のインタビューでもこう語っていた。

「ステディはいませんけど、ボーイフレンドはいっぱい。1人のひとにブス~ッとならないで、いろんな人と適当に仲良くしてます」

自給自足を目指しながら、夢見ていた“逆ハーレム”生活。同志と一から作り上げた“理想郷”は、しかし、「虚飾の楽園」だった。

米大統領選「隠れトランプ支持者」がカギ?

2016-11-01 13:18:19 | ニュースまとめ・総合
米大統領選「隠れトランプ支持者」がカギ?



2016年11月1日 12時27分

日テレNEWS24

 アメリカの大統領選挙で、共和党・トランプ候補の支持率が再び民主党・クリントン候補に迫っている。トランプ氏を支持すると公言できない「隠れトランプ支持」の人たちに注目した。接戦となっている州で勝敗を左右する可能性がある。

 東部ペンシルベニア州に住むヘンリックさん。部屋の中にはトランプ氏の人形。そして庭仕事では、トランプ氏と同じ赤い帽子をかぶるというほどの熱烈な支持者だ。

--既存の政治家は大口献金を受けていて国民の利益のために働いていない。トランプ氏は、その堕落した状態を変えようとしている。

 ペンシルベニア州では接戦が続いているため、戸別訪問にも参加しているが、訪問した先では、トランプ氏への支持を表だって言い出せないという人に出会うという。

--(戸別訪問先には)トランプ氏支持者も多いが、彼らは「リベラルな考え方の友達が多く、怖くてトランプ氏支持だと言い出せない」と言う。

 また、各地で家の外に置かれたトランプ氏を支持する看板が盗まれたり、焼かれたりする被害が報告されている。

--(隠れたトランプ氏支持者は)安全のために、そして周りの目を気にして言わないのよ。

 クリントン氏が優勢だとするアメリカメディアなどの世論調査は信じられないと主張するトランプ氏。世論調査に詳しい専門家は、隠れたトランプ支持者の声が世論調査に反映されていない可能性を指摘する。

 カーリン・ボーマン氏「トランプ氏支持だと言わない人がいるかもしれない。(世論調査にあらわれない声が)選挙戦で重要になる可能性がある」

 隠れたトランプ支持者が戦いの行方を左右するのか、運命の日は来週に迫っている。

北朝鮮に渡った9万人の帰国者は最下層身分として潰された

2016-11-01 13:16:38 | ニュースまとめ・総合
北朝鮮に渡った9万人の帰国者は最下層身分として潰された



2016年11月1日 7時0分

NEWSポストセブン


 1959年から始まった在日朝鮮人の北朝鮮帰国事業は、現在は北朝鮮に批判的な産経新聞も含んだ主要全紙が「美談」として報じたことで日本人をも巻き込んで大衆的な支持を得て9万人もの人が海を渡り「地上の楽園」へ向かった。しかし、1990年代中盤ごろから脱北者たちが帰国者の悲惨な実情を証言するようになり、実態が広く知られるところとなった。「デイリーNKジャパン」編集長の高英起氏が、当時、北朝鮮で来国者を待ち受けていた過酷な現実について解説する。

 * * *
 帰国者を待っていたのは、日本での宣伝とは大違いの貧困という現実と北朝鮮社会で最下層に位置づけられた差別だった。

 帰国者の多くは、北朝鮮における身分制度である出身成分(*)で最下層の「敵対階層」またはその上の「動揺階層」に分類され監視対象とされた。さらに、多くの帰国者が「望む仕事に就ける」と言われていたものの、実際には北朝鮮当局によって、一方的に配属先を決められた。独身の帰国者の場合は、帰国者同士でなければなかなか結婚できないという差別もあった。

【*金日成に対する忠誠度によって、国民を「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」の3つに分類。動揺階層は状況次第で党に抵抗する可能性があるとして監視対象になり、敵対階層は党に否定的な態度をとるとされ、より厳しい特別監視対象になった】

 北朝鮮に帰国して帰国者同士で結婚したが、その後、一家で脱北、そして日本に再帰国した女性は語る。

「北朝鮮で高校を卒業して咸興工業大学に進み、卒業後は機械工場の設計室で仕事をしました。もうその頃には、見たり聞いたりしたことをそのまま口にしたら命が取られることがわかっていましたから、方向転換し、順応していこうとしました。1965年に結婚して地方に移り、5人の子どもを産み育てました。しかし配給では食べていくことができません。

 平壌では9割が米、1割が雑穀ですが、地方では秋には米が3割くらいに増えることはありましたが、通常は9割が雑穀で米は1割です。一番困るのが大豆。水にふやかして臼でついて調理しますが、2食これを食べると消化できず下痢。毎食だと神経もおかしくなっていきます」

 帰国者だからといって配給を少なくされることはなかったが、滞りがちな配給を優先的に回してもらうにはコネが必要だった。コネを持たない帰国者は結果的に食料の確保で苦労することとなる。

 帰国事業真っ盛りの1950年代から1960年代はじめ、日本で貧困に苦しんでいた在日朝鮮人だが、その後の日本の経済発展に溶け込み、定着しながら、徐々に生活が豊かになっていく。日本社会で生活が落ち着きつつあった在日朝鮮人は、徐々に帰国する意味を失うと同時に、帰国者たちのその後の悲惨な生活ぶりが聞こえてくることにより、帰国事業自体が尻すぼみとなっていく。

 そして、帰国者たちは日本にいる親戚に支援を請うようになるが、これが彼らに対する新たな差別を呼び起こすことになる。

 日本から送られてきたありとあらゆる支援物資を手にした帰国者たちに対して、現地住民は妬み、差別意識を増長させていき「帰胞(キポ)」(帰国同胞)と呼んで蔑んだ。

 帰国者のなかで最も惜しまれる1人が、舞踊の天才「崔承喜」だ。彼女の踊りは、日本だけでなく、ヨーロッパ、アメリカでも話題を呼び、ピカソやジャン・コクトー、川端康成等多くの文化人を魅了した。朝鮮人でありながら、化粧品や百貨店の広告のモデルに採用され、雑誌でも頻繁に特集されるなど、まさに当時を代表するスターの1人であり、ファッションリーダーでもあった。

 その彼女も1967年に「ブルジョワおよび修正主義分子」として粛清される。2003年に「人民俳優」として名誉回復されたとされているが、世界に通じる舞踊手の才能を潰してしまったことは間違いない。

 もちろん、なかにはある程度の成功を収めて、現地住民と同じような境遇で生活する帰国者もいるが、圧倒的多数が夢破れて辛苦に満ちた厳しい人生を今でも送っている。

 帰国事業は、在日朝鮮人運動の忌むべき1ページと言える。しかし、決して葬り去られてはならない。なぜなら悲劇は過去の1ページではなく現在進行形だからだ。今現在も多くの帰国者やその子孫が、金正恩体制の人権弾圧によって苦しんでいる。

 そして、帰国者の苦しみはそのまま北朝鮮の民衆の苦しみでもある。新たな1ページをめくるためにも、こうした現実に目を背けず、過去をしっかりと見つめることが在日朝鮮人に求められている。