日本の政治経済的課題(その1- - -1970年までの日本経済の歩み)
私は技術屋ですから、政治経済の知識については、歴史的、理論的、体系的な知識は皆無と言ってよいので、日本の政治経済的課題など論じる力はありませんが、今の時代には、皆様も同じだと思いますが、黙認できないことが多々出てきます。一般人の常識で私なりに日本の課題について考えてみたいと思います。
イギリスの有名なエコノミストのBrian Readingが1992年に発刊した"Japan, the coming collapse" (LondonのGeorge Weidenfeld and Nicolson Limitedの発刊の本)(日本、来るべき崩壊)とでも訳しておきます)は素人の私でも的を得たと思われる点が多くあるのでこの本の力を借りて、私の考え を纏めたいと思います。
日本は先進国の中では、唯一の人種的に単一民族であり、また稲作を中心とした灌漑農業が中心の歴史を持ち、その故もあり、非常にグループ意識の強い国家であります。(ゆわゆる村社会であります)また精神的には仏教と神道を中心とした穏健な思想をもった国民から成っています。また東洋の常である様に封建制度を現代に持ち込みました。
明治維新でも薩長中心の、復古神道に立脚した形を変えた封建主義が残った、新封建制度 とも言える、皇族、貴族、薩長閥、財閥、軍閥、地主 (支配階級)と 一般民衆(被支配階級) という構成でした。
明治維新は、幕末のペリーの来航によって危機を感じた幕府や薩長が必死に成し遂げた富国強兵でした。
明治維新で列強のしんがりに辛うじてついたのですが、日清戦争、日露戦争を経て、停滞期を迎えて、軍部が徐々に力を強め、文官を押しのけて、軍部独裁に陥り、当時の列強と同じく、経済の停滞を外国侵略によって、打開しようとしたのは、皆様もご存知の通りです。
太平洋戦争は無理な侵略戦争でありましたので敗戦は当然でしたが、そのおかげで、SCAP(マッカーサー連合軍最高司令官)のもとで行われた統治は、当時のアメリカの理想とした憲法や税制(シャープ税制)、のもとに、財閥解体、農地解放による 新封建制度 の打破、など彼らの理想を押し付けられたものでしたが日本の民主化には大きな功績を挙げました。長期の国債の発行は禁止され(1947年)、短期の国債は期限での償還を義務付けられ、それもまた1949年禁止(ドッジ計画)され、国政の舵取りはは大変だったようです。
行き詰まりを打開してくれたのが朝鮮戦争でした。これを境に経済は活気を取り戻し、1950年代の日本は年率7%(1960年までの10年間でGNPは2倍)、1960年代は年率11.6%(1970年までの10年間でGNPは3倍)の世界歴史上でも未だどの国も成し遂げたことの無い、脅威の高度成長 を達成しました。
またSCAPは1951年成功裏に日本国民に感謝され帰国し、それに替わって、日米安全保証条約が締結されました。
日本国民の努力は讃えられるべきですが、、ソ連と中国の共産主義の脅威が増してきて(ベトナム戦争も含め)、アメリカが日本をベースにしてこの脅威に対抗する必要が出てきて、日本への援助に本腰を入れてくれたこともこの 脅威の成長 を支えた一因でもあります。これらの運にも恵まれて今日の日本があるということが出来ます。
しかしこの結果日本はアメリカに次ぐ世界第2の経済大国に成長したのです。
成長至上主義の為に、水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病などの公害も本格化し、その痛みも経験しました。
SCAPが引き上げてから、シャープ税制の骨抜きが政治家と官僚の手によって始まり、日本の税制は屈曲した先進国では唯一の複雑なものになりました。また1952年からは財政投融資計画(Fiacal Investment & Loan Program)という、短期国債を禁止したドッジ計画を骨抜きにする巧妙な国債発行が行われ始め、1965年には長期の国債の発行禁止を解き今日の国債垂れ流しの始まりとなりました。
1970年代は国際社会にとって大きな試練が襲ってきました。1970年には、Bretton Woodsの固定相場制が崩壊し、1972年から翌年にわたってインフレが進行し1973-1974年には第1次オイルショックが起こりこれが1974-1975年の世界経済のリセッションに発展し1976-1977年は少し回復しましたがすぐに息切れし、1979-1980年は第2次オイルショックを経験しました。
次回は1970年までの総括を簡単にしてみたいと思います。
私は技術屋ですから、政治経済の知識については、歴史的、理論的、体系的な知識は皆無と言ってよいので、日本の政治経済的課題など論じる力はありませんが、今の時代には、皆様も同じだと思いますが、黙認できないことが多々出てきます。一般人の常識で私なりに日本の課題について考えてみたいと思います。
イギリスの有名なエコノミストのBrian Readingが1992年に発刊した"Japan, the coming collapse" (LondonのGeorge Weidenfeld and Nicolson Limitedの発刊の本)(日本、来るべき崩壊)とでも訳しておきます)は素人の私でも的を得たと思われる点が多くあるのでこの本の力を借りて、私の考え を纏めたいと思います。
日本は先進国の中では、唯一の人種的に単一民族であり、また稲作を中心とした灌漑農業が中心の歴史を持ち、その故もあり、非常にグループ意識の強い国家であります。(ゆわゆる村社会であります)また精神的には仏教と神道を中心とした穏健な思想をもった国民から成っています。また東洋の常である様に封建制度を現代に持ち込みました。
明治維新でも薩長中心の、復古神道に立脚した形を変えた封建主義が残った、新封建制度 とも言える、皇族、貴族、薩長閥、財閥、軍閥、地主 (支配階級)と 一般民衆(被支配階級) という構成でした。
明治維新は、幕末のペリーの来航によって危機を感じた幕府や薩長が必死に成し遂げた富国強兵でした。
明治維新で列強のしんがりに辛うじてついたのですが、日清戦争、日露戦争を経て、停滞期を迎えて、軍部が徐々に力を強め、文官を押しのけて、軍部独裁に陥り、当時の列強と同じく、経済の停滞を外国侵略によって、打開しようとしたのは、皆様もご存知の通りです。
太平洋戦争は無理な侵略戦争でありましたので敗戦は当然でしたが、そのおかげで、SCAP(マッカーサー連合軍最高司令官)のもとで行われた統治は、当時のアメリカの理想とした憲法や税制(シャープ税制)、のもとに、財閥解体、農地解放による 新封建制度 の打破、など彼らの理想を押し付けられたものでしたが日本の民主化には大きな功績を挙げました。長期の国債の発行は禁止され(1947年)、短期の国債は期限での償還を義務付けられ、それもまた1949年禁止(ドッジ計画)され、国政の舵取りはは大変だったようです。
行き詰まりを打開してくれたのが朝鮮戦争でした。これを境に経済は活気を取り戻し、1950年代の日本は年率7%(1960年までの10年間でGNPは2倍)、1960年代は年率11.6%(1970年までの10年間でGNPは3倍)の世界歴史上でも未だどの国も成し遂げたことの無い、脅威の高度成長 を達成しました。
またSCAPは1951年成功裏に日本国民に感謝され帰国し、それに替わって、日米安全保証条約が締結されました。
日本国民の努力は讃えられるべきですが、、ソ連と中国の共産主義の脅威が増してきて(ベトナム戦争も含め)、アメリカが日本をベースにしてこの脅威に対抗する必要が出てきて、日本への援助に本腰を入れてくれたこともこの 脅威の成長 を支えた一因でもあります。これらの運にも恵まれて今日の日本があるということが出来ます。
しかしこの結果日本はアメリカに次ぐ世界第2の経済大国に成長したのです。
成長至上主義の為に、水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病などの公害も本格化し、その痛みも経験しました。
SCAPが引き上げてから、シャープ税制の骨抜きが政治家と官僚の手によって始まり、日本の税制は屈曲した先進国では唯一の複雑なものになりました。また1952年からは財政投融資計画(Fiacal Investment & Loan Program)という、短期国債を禁止したドッジ計画を骨抜きにする巧妙な国債発行が行われ始め、1965年には長期の国債の発行禁止を解き今日の国債垂れ流しの始まりとなりました。
1970年代は国際社会にとって大きな試練が襲ってきました。1970年には、Bretton Woodsの固定相場制が崩壊し、1972年から翌年にわたってインフレが進行し1973-1974年には第1次オイルショックが起こりこれが1974-1975年の世界経済のリセッションに発展し1976-1977年は少し回復しましたがすぐに息切れし、1979-1980年は第2次オイルショックを経験しました。
次回は1970年までの総括を簡単にしてみたいと思います。
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