もの想う鷲 (A thinking eagle)

自然・環境を科学してみる

日本の政治経済的課題(その2)

2007-02-26 14:17:27 | 政治・経済関連
日本の政治経済的課題(その2- - -1970年までの総括)

1951年9月8日にサンフランシスコで、連合国48ヵ国と日本との対日講和条約が締結されましたが、この時の日本の全権大使の当時の吉田茂首相がこの調印の時に言われた言葉として、次の言葉 を この本の著者 Brian Reading は、本の 緒言に引用しています。
 ”The United States was once a colony of Great Britain but it is now stronger of the two. Likewise, even if Japan becomes a colony of the United States, it will eventually become the stronger."
(アメリカはかってイギリスの植民地でしたが、今はイギリスより強い。同様に、日本も、もし仮にアメリカの植民地となっても、究極的には日本の方が強くなるでしょう)
この調印後、直ちに日米安全保障条約をも締結し、アメリカ軍の駐留を認めたのですが、まだ復興も緒についたばかりの日本の首相が、これだけの気概を持っていたのかと思うと畏敬の念が湧いてきます。

著者は言います。”日本はアメリカの植民地の様になったが、アメリカは防衛の保護とアメリカの市場を日本に与え(1950年~1970年の期間の日本のGNPの成長率はアメリカのそれとほぼ平行している。即ちパーセントの値は違うが、グラフの形状が酷似している。)、日本は殆ど代償を払う必要が無かった。その結果工業的には日本の方が強くなった。吉田首相はこのことをいみじくも予言した” と。さらに”法律は制定されたが、大雑把なもので、とても法律とは言えない。法律の足りないところを省庁の担当課長の口頭の窓口指導(window guidance)で補足し、殆どのことが、政、官、業の話し合い(価格設定カルテルの黙認、4大証券会社による証券市場の操作の黙認、等)で行われた。さもなくば1950年~1970年の間のGNPが6倍になる経済成長は無かった。法律を厳正に運用する民主主義と資本主義の市場主義のもとではこんな成長は成し得ない” と。(著者は日本のシステムを”新封建会社主義(neo-feudal corporatism)(*下記注参照)" と呼ぶ)

しかしこの時から56年もたった今言えることは、アメリカより強くなることが必ずしも日本国の目標ではない と私は思います。もっと多くの選択肢を模索し、国としての目標を持つ必要があります。工業的にはアメリカを目指すべきですが、今 一番工業先進国で安全な国の一つは日本であります。環境先進国では頭抜けてトップがキューバです。持続可能な開発を、経済制裁をアメリカから受けながら、遂行しており、、病院も学校も無料で、人々は、有機農業、自転車、風車、太陽電池、自然医療等、エコロジストが長年夢見てきたユートピアを、現実のものとして来ていると報告している本もあります(吉田太郎著”1000万人が反グローバリズムで自給自立出来るわけ”(築地書館刊行))。カストロ首相の指揮下で、環境と調和したスローライフを目標として頑張っているのです。共産主義国で成功している唯一の国です。カストロ首相は常に人民の目線で考え行動しているようです。1992年6月のリオ・デ・ジャネイロでの地球サミットのカストロ首相の演説は圧倒的な人気を博しました。安全も日本より上かもしれません。

また国民総生産ではなく国民総幸福度を目標としているブータンがあります。小乗仏教を信奉しており、日本人には、タイや、チベット の様に精神文化的に近い国です。

今、日本は、次世代の人から仕事を奪う、工場の後進国への急速なシフトや、人々から職を奪うリストラをやり、従業員の40%もの契約社員、パートをもつ会社を許容して格差を生み、将来の年金さえ不安視される状況になりました。年金を払える人たちを大幅に減らす施策が次々と行われているのです。何故次世代の人たちのことを考慮した20年先30年先の目標を見据えて、その目標を実現する為の中短期計画にしないのでしょうか。

リストラをする代わりに、全従業員の給料を下げ、一丸となって目標達成に勤しむことを、経営者も労働組合も目指すべきです。年金が、積立方式であれ、賦課方式であれ、老いた世代は若い世代に養ってもらわなければならない 事を胆に銘ずべきです。
環境を守りながら、若い人たちの職業を守り、新しい職業を創出することに国民の努力を傾注することを心がけるべきです。
また医療保険が払えない人の保険証を取り上げて病院にも行けない様にしている行政があるとテレビでも報じていますが、このようなことは 憲法に保証する基本的人権を犯す行為です。そのようなことをする前にいくらでもする事があるはずです。行政の長たるべき人はしっかりと監督をして戴きたいと思います。

少し横道にそれましたが、SCAP(マッカーサー連合軍最高司令官)の日本統治の方針から始めましょう。
その目的は以下の通りです。
日本の軍国装置を分解しそれが依拠した工業力を破壊すること。経済的には1926年~1930年に到達していた産業化の状態に戻すこと。政治的には民主主義を課すこと。その殆ど唯一の目的は、集約的に、無差別に 日本の軍国主義そのものと非難された日本の支配階級の権力、特権、富を破壊することであった。そして日本の重工業の設備は賠償で該当国に移すつもりだった。
”日本政府に課した経済政策の条件は、国債発行を許さぬ厳しいものであり、工業への再建ローンや間接の奨励金も中止され、一方で労働組合は団結権や争議権を与えられ、共産主義も人々の心を捉え、朝鮮戦争が起こらなかったら、日本は無政府状態に陥り、SCAPの統治は完全な失敗に終わったであろう” と著者は言う。
従って、共産主義の脅威が無かったら、アメリカは寛大に日本の援助をしなかったであろうと思われます。

韓国や北朝鮮の方々には不運でしたが、朝鮮戦争の為に、経済も成長を始め、SCAPも6年間の統治を終え帰国し講和条約も締結し日本の経済成長がスタートした。日本国民は、衣、食、住 以外は殆ど全て貯金し、政府はそのお金で産業の設備を近代化し、欧米の技術を習得して、神武景気(1955年~1957年)、岩戸景気(1958年~1961年)、池田首相の所得倍増計画、いざなぎ景気(1965年~1970年) を経験し、1950年から1970年の間にGNPを6倍に伸ばした(世界歴史の中で未だ嘗て無い快挙)。また1965年には国債を発行できるように法律を改正し、国債も発行を始めて、政府の財政運営も楽になってきた。

次回は、1970年代の総括をしたいと思います。

注記:
日本の”新封建会社主義(neo-feudal corporatism)"の著者の定義
西欧の資本主義:会社はその所有者、即ち株主の利益の為に運営される。会社の経営陣、従業員、協力会社、や顧客の利益は二次的である。確かに彼らも重要であるが、利益に影響を及ぼすからという範囲において重要なのである。
日本の”新封建会社主義(neo-feudal corporatism)":会社はその債権者、債務者、経営陣、従業員、協力会社、と顧客の利益の為に運営される。日本の大会社の上層経営陣は自己永続的な(self-perpetuating)寡頭経営陣(oligarchy)である。会社間の株の持ち合いの為に、それ以外の外部の株主の数は限られている。株主が新しい取締役の任命を妨害したり、古い取締役の辞任を強要することは事実上無かった。日本の会社の社長や会長は不名誉なことが起きたら、早めに辞任する。これは稀ではない。というのは彼らは、自身が悪くなくても、会社に影響を及ぼすスキャンダルの責任をとるからである。日本では大企業とスキャンダルは不可分である。かくして健全なトップの交代が保証されるのである。しかしながら経営陣は短期の株価の動きに対して殆ど責任がないから、その優先順序のトップに長期の利益と成長を置くという贅沢を享受している。結局において 債権者、債務者、経営陣、従業員、協力会社、と顧客の利益は、概して株主の利益と合致するのである。   



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の政治経済的課題(その1- -1970年までの日本経済の歩み)

2007-02-17 02:11:45 | 政治・経済関連
日本の政治経済的課題(その1- - -1970年までの日本経済の歩み)

私は技術屋ですから、政治経済の知識については、歴史的、理論的、体系的な知識は皆無と言ってよいので、日本の政治経済的課題など論じる力はありませんが、今の時代には、皆様も同じだと思いますが、黙認できないことが多々出てきます。一般人の常識で私なりに日本の課題について考えてみたいと思います。

イギリスの有名なエコノミストのBrian Readingが1992年に発刊した"Japan, the coming collapse" (LondonのGeorge Weidenfeld and Nicolson Limitedの発刊の本)(日本、来るべき崩壊)とでも訳しておきます)は素人の私でも的を得たと思われる点が多くあるのでこの本の力を借りて、私の考え を纏めたいと思います。

日本は先進国の中では、唯一の人種的に単一民族であり、また稲作を中心とした灌漑農業が中心の歴史を持ち、その故もあり、非常にグループ意識の強い国家であります。(ゆわゆる村社会であります)また精神的には仏教と神道を中心とした穏健な思想をもった国民から成っています。また東洋の常である様に封建制度を現代に持ち込みました。
明治維新でも薩長中心の、復古神道に立脚した形を変えた封建主義が残った、新封建制度 とも言える、皇族、貴族、薩長閥、財閥、軍閥、地主 (支配階級)と 一般民衆(被支配階級) という構成でした。
明治維新は、幕末のペリーの来航によって危機を感じた幕府や薩長が必死に成し遂げた富国強兵でした。
明治維新で列強のしんがりに辛うじてついたのですが、日清戦争、日露戦争を経て、停滞期を迎えて、軍部が徐々に力を強め、文官を押しのけて、軍部独裁に陥り、当時の列強と同じく、経済の停滞を外国侵略によって、打開しようとしたのは、皆様もご存知の通りです。
太平洋戦争は無理な侵略戦争でありましたので敗戦は当然でしたが、そのおかげで、SCAP(マッカーサー連合軍最高司令官)のもとで行われた統治は、当時のアメリカの理想とした憲法や税制(シャープ税制)、のもとに、財閥解体、農地解放による 新封建制度 の打破、など彼らの理想を押し付けられたものでしたが日本の民主化には大きな功績を挙げました。長期の国債の発行は禁止され(1947年)、短期の国債は期限での償還を義務付けられ、それもまた1949年禁止(ドッジ計画)され、国政の舵取りはは大変だったようです。
行き詰まりを打開してくれたのが朝鮮戦争でした。これを境に経済は活気を取り戻し、1950年代の日本は年率7%(1960年までの10年間でGNPは2倍)、1960年代は年率11.6%(1970年までの10年間でGNPは3倍)の世界歴史上でも未だどの国も成し遂げたことの無い、脅威の高度成長 を達成しました。
またSCAPは1951年成功裏に日本国民に感謝され帰国し、それに替わって、日米安全保証条約が締結されました。
日本国民の努力は讃えられるべきですが、、ソ連と中国の共産主義の脅威が増してきて(ベトナム戦争も含め)、アメリカが日本をベースにしてこの脅威に対抗する必要が出てきて、日本への援助に本腰を入れてくれたこともこの 脅威の成長 を支えた一因でもあります。これらの運にも恵まれて今日の日本があるということが出来ます。
しかしこの結果日本はアメリカに次ぐ世界第2の経済大国に成長したのです。
成長至上主義の為に、水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病などの公害も本格化し、その痛みも経験しました。
SCAPが引き上げてから、シャープ税制の骨抜きが政治家と官僚の手によって始まり、日本の税制は屈曲した先進国では唯一の複雑なものになりました。また1952年からは財政投融資計画(Fiacal Investment & Loan Program)という、短期国債を禁止したドッジ計画を骨抜きにする巧妙な国債発行が行われ始め、1965年には長期の国債の発行禁止を解き今日の国債垂れ流しの始まりとなりました。

1970年代は国際社会にとって大きな試練が襲ってきました。1970年には、Bretton Woodsの固定相場制が崩壊し、1972年から翌年にわたってインフレが進行し1973-1974年には第1次オイルショックが起こりこれが1974-1975年の世界経済のリセッションに発展し1976-1977年は少し回復しましたがすぐに息切れし、1979-1980年は第2次オイルショックを経験しました。

次回は1970年までの総括を簡単にしてみたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする