もの想う鷲 (A thinking eagle)

自然・環境を科学してみる

“靖国問題”に対する私見 ---- 一仏教徒として (その1)

2006-10-22 23:00:42 | 宗教(主として仏教)について
“靖国問題”に対する私見 ---- 一仏教徒として (その一)

“靖国問題”は、日本にとって、今後の 東アジア との関係において、大変重要な問題であると思います。
日本は、東アジアの優れた哲学(仏教と儒教)の恩恵の下に、自らの文化を発展させて来たにも拘らず、その恩のある東アジアを侵略したこと を 認識することなしに、“靖国問題”を乗り越えることは出来ないと思うからです。

江戸末期の尊王復古の思想である、“復古神道”により、薩摩、長州、土佐の武士達を中心とした人達は、倒幕、王政復古、明治維新を起こし、西洋文明を取り入れて、文明開化を成し遂げて、日本国を発展させてきましたが、西洋の先進国と同じ様に、国土拡張のために恩のある中国をそしてインドまでも、侵略しようとしたのです- - -第二次世界大戦。

その結果敗れてアメリカの庇護の下に立ち直り、先進国へと進化していったのですが、今になっても第二次世界大戦の過ちを本当の意味で認識出来ていない政治家が多く居るのが残念です。
その理由のうち一番大きいのが、この“復古神道”の考え方を、知らず知らずに、今も多くの政治家が引き継いでいるからだと思います。

“復古神道”は、江戸時代に、荷田春麿、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤と引き継がれ発展した神道であり、“儒教、仏教を外来のものとして排斥し、古事記、日本書紀を中心した 日本の神道は、独立して発展し、儒教や仏教より優れたものであり、日本は神に守られた無敵の神州である”とするものです。
この神道は、それまで、儒教や仏教の下に置かれていた神道を、これらより優れたものとする思想でありますが、その理論は専門家の言を待つまでもなく、一般人が読んでも牽強付会で創作であることが判ります。江戸末期の列強の開国要求に応じた幕府政治では、当時の難局を乗り切れないと判断し、王政復古に望みをかけざるを得なかった情勢が、薩摩、長州、土佐の武士達をして、この復古思想に向かわせたのです。
その結果、倒幕、王政復古、明治維新、と進んでいったのです。
当然、王政復古(大政奉還)と同時に神仏分離令が出され、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れました。

その後の発展の過程で、日本は、日清戦争、日露戦争へと進んでいったのです。

昭和に入って、海軍は米内光政(陸中-盛岡)、井上成美(陸前-仙台)、山本五十六(信濃-長岡)、等の儒教を思想の根幹にもつ、優れた人材の参謀部を持ち、英国式教育(幹部候補生のオックスフォード、ケンブリッジ大学留学)も合わせ、首尾一貫した統率の下、到底勝ち目の無いことを感知していた、英国、米国との戦争を回避すべく全力を尽くし、日本の発展は希求しましたが、中国の侵略は意図しなかったのです。

しかし陸軍は、薩摩、長州、を中心に維新以来の復古神道を信奉する人々が参謀を占め、また統率力無く、頻繁に起きた前線での国際法違反の無法行為をも取り締まれず、また政府も、数で圧倒した陸軍に引きずられ、遂には第二次大戦に突入せざるを得なくなったのです。

儒教や仏教の信奉者にとっては、今まで一度も日本を侵略したことの無い、孔子と孟子の国、中国を、況や、釈迦の国インドを、侵略することは、到底思いもつかないと思います。
(蒙古来襲は、中国の侵略ではなく、蒙古人による侵略です)

上述の様に、明治維新を起こした人達は、岡倉天心の様に中国やインドを崇拝していた人は、殆ど皆無で、当時の科学技術の進歩の著しい、西洋崇拝の人達ばかりであった様に思われます。

第二次大戦後も、日本は西洋に追いつき追い越せの西洋崇拝一辺倒で、東洋の心を忘れてしまったと言っても過言ではないでしょう。

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”靖国問題”に対する私見 - - 一仏教徒として(その2)

2006-10-22 22:56:57 | 宗教(主として仏教)について
“靖国問題”に対する私見 ---- 一仏教徒として (その二)

これからの世界を見るときに、東洋の哲学(ヒンズー教、仏教、儒教、道教、日本の固有の神道(氏神の神道))は、西洋文明にない、無暴力の抵抗 を 説き、世界の平和を実現するには、欠くことの出来ないものであると思います。
インドのガンジー(彼は、敬虔なヒンズー教徒でした)は、何の武器も持たず、自身の 断食 という無暴力の抵抗で、イギリスをも、インド国民をも 従わせ、インドの独立を達成しました。

日本も、先に先進国となった、アジアの先輩として、かって恩を受けた中国とインドに恩を返す番です。
東洋は、西洋には無い独自の優れた文化があります。この東洋の智恵を世界の平和と地球環境の問題解決に生かさなければなりません。

第二次大戦は侵略戦争です。それも恩恵を受けてきた、中国と、そしてインドまでをも侵略しようとしたのです。
靖国神社には、国の為に 尊い命を捧げられた250万人もの日本人が祭られています。
(強制徴用され戦死された韓国人の方も祭られていますが)
また一方で軍人勅語を自ら起草、押印し、“生きて捕囚の辱めを受けず”と全軍人に命令し、自身は “生きて捕囚の辱めを受けた”人も祭られているのです。
この人には、多くの日本人が、快く思っていないと思います。

大多数の国民が国の未来に明確な意見を持ち、それを発信できるようにならないといかなる国も過ちを犯す と いわれています。
昭和20年(1945年)までの日本を考える時、大多数の国民は生活に追われ十分な教育を受け教養を持つことが出来なかったと思います。
したがって上述の陸軍の暴走を止めることが出来たのは、知識人であったと思います。
しかし日本の知識人とマスメディアは “陸軍の暴走を止めることが出来なかった” ということを十分に認識して来なかったと思います。
仏教界は漸く認識して来ていると思います。
このことを十分に認識し得ないままで、日本が自衛のためとは言え、軍備を持つことに、東アジアの国は脅威を感じるでしょう。もし私が中国人ならば日本が今の段階で軍備を持つことに反対するでしょう。
もう2度と過去の過ちを犯さないという固い意志が国の方針として感じられるまで許せないと思います。

また日本人は、上述の復古神道を過去の苦い経験として、別れを告げるべきです。
この“靖国問題”を早く卒業して中国やインドと手を携え東洋の智恵を世界の平和と地球環境の問題解決に生かす時だと思います。

最後に皇室について一言触れておきたいと思います。
古事記、日本書紀をよりどころとすれば、現在の平成天皇は第125代目であります。
歴代の天皇の中の多くの方々が、熱心な仏教信者でした。
聖武天皇をはじめ、桓武天皇、嵯峨天皇、花山天皇、亀山天皇、後醍醐天皇、後土御門天皇、等々多くおられます。
また皇子では、空也上人(醍醐天皇の第三皇子)、時宗(じしゅう)の第14世遊行上人 尊観上人(後村上天皇の皇子)、時宗の王阿上人(後嵯峨天皇の皇子)、時宗の上人となられた宗尊親王(後嵯峨天皇の皇子)、等々、お坊さんになられ、一生を仏教の布教に捧げられた方々も多くおられます。
皆様もご存知のように、聖徳太子(用命天皇の皇子)とその長子の山背大兄王は、仏教の教えをそのままに、生きられました。
復古神道により、神に祭り上げられた明治天皇以後の天皇の方々も、実は被害者であると思われます。
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