もの想う鷲 (A thinking eagle)

自然・環境を科学してみる

10月11日、ノーベル賞について思うこと

2014-10-11 23:09:03 | 日記
10月11日、ノーベル賞について思うこと

青色LEDの研究と実用化の功績を認められて、日本の3人の学者さんがノーベル物理学賞を受賞されました。お目出度いことであります。また村上春樹氏は、受賞を期待されていましたが、ノーベル文学賞を受賞されず残念でした。更に、憲法9条により、日本国民がノーベル平和賞を受賞できずに、これも残念でした。しかし日本国憲法9条が世界の人々に知って戴けたことは大きな収穫であったと思います。更に今後のノーベル平和賞受賞に期待が持てます。しかし、私達は日本人が、受賞することにこだわってはいけないと思います。ノーベル賞はスエーデンのノーベル賞委員会に任せておけばよいのです。

原点に立ち返って考えますと、私達は、宇宙の中の無限小の存在である地球に住む、無限小の一生物としての存在でありますが、仏陀が自覚されたように、「吾は、日月星辰なり」の心境にもなれる存在なのです。したがって、私は、在宇宙の一生物であり、仏教徒として、浄土に住む存在として、宇宙の全存在を意識する姿勢をとるべきだと思っています。浄土は絶対の存在なのです。仏陀が言われているように、宇宙の全存在は、一瞬消えては、次の瞬間変化して現れるのであり、自身は、次の瞬間はもう存在しないかも知れないのです。今の瞬間を最大限に生きることしか出来ないのです。山本玄峰老師は、「仏教の10善戒の第1は不殺生であるが、一番殺生してはけないのは、自分の時間である。自分の時間を浪費してはならない。」と言われていました。今しなければならないことに、専念するのです。私は、念仏者として、心で念仏を唱えつつ、今を生きる中に、まだ十分ではないが、一応の充実した生活を送れています。「念仏のみぞ、誠にておわします」であります。憲法9条は、宇宙との共生という仏陀の哲学に、ふさわしいのです。来年以降のノーベル平和賞受賞に、浄土人として期待しています。

しかしながら、一方では、核融合反応を太陽が終えると、地球の動植物の殆んどは、存在しえないのですから、次の熱源をそれまでに確保しなければなりません。人類は、地球の生態(更には、宇宙の秩序)を確保しながら、科学を前進させなければならないのです。人類はこのジレンマの中で前進しなければなりません。その意味でも、理科系の人間として、一般相対性理論は、理解しなければと思っています。特殊相対性理論を終え、今、一般相対性理論に入っています。一般相対性理論を理解するには、まだかなりの時間を要するとは思いますが、楽しみです。

合掌
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
コメント
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