もの想う鷲 (A thinking eagle)

自然・環境を科学してみる

3月26日 東日本大震災

2011-03-26 19:19:35 | 日記
3月26日 (東日本大地震について)

まずはじめに被災者の方々にお見舞い申し上げます。我々日本人は自身のこととしてこれらの方々を支えなければならないと思います。

未曾有の大地震である。更に大津波と原子力発電所の事故である。この地震は日本歴史始まって以来の大地震といえる。というのは、大化の改新以降日本各地に派遣された国司が夫々の任地で起こったことを中央に報告している記録にもこれだけの規模の地震は無かったのである。(火山と地震の国(日本)--岩波書店--を読めば判る)またマグニチュードの計測が始まってから世界で第4番目の大きさの地震であると伝えられている。しかもこの沸騰水型原子力発電所が営業運転を開始されたのが1971年1月26日、----6号機のそれは1979年10月24日である。これらを考慮に入れると、今回の地震は、日本にとって、大変不運であったといわなければならない。

しかし原子力発電所の事故は人災であったとは言えないか。何故なら、CNNは、「批評家達によると、原子力安全保安院はこの地震の前に、これらの原子炉を廃炉にするかどうかが議論された時に、これら原子炉の安全性が疑問視されたにもかかわらず、10年の営業運転の延長を許可した」と報じている。また「原子力安全保安院は巨大な経済産業省に属し、原子力を含めて日本の工学と技術を海外に販売する責務も負っており、原子力産業については、監督すべき発電会社とも余りにも近すぎる(far too-cozy)関係にあり、日本の原子力産業には真実の規則・規制は無い、それは、和やかな作り事(amiable fiction)である」とも報じている。(これらのCNNの全ての情報は下に述べる原子力資料情報室から出ていると推測される。)政府と電力会社は、過疎地に原発の設置を迫り、また被爆の危険のある作業は協力企業に丸投げして、自らは危険な作業に手を染めないという 日本の産業構造の縮図 がここに見える。青森県6ヶ所村の核廃棄物集積所、1999年のウラン加工施設JOCでの臨界事故、を見ても、政府もマスコミも本当の姿を報じていない。

私は高木仁三郎氏(1938年~2000年)を思い出す。彼は原子力化学者であり、「200,000年以上の監視を必要とする核廃棄物をどうするかも未だ未解決のまま、原子力発電所は設置できない」と主張し、都立大教授の職を辞して、NPO法人原子力資料情報室を立ち上げた。この法人は、日本で最大の反原発団体として知られ、日本の原子力の実情を知る団体として、国連の信頼も厚い。

おぞましき 日本の姿 現れてあり 頼るべき道 釈迦仏の教え

お釈迦様は、2,500年前、臨終の時、次のように最後の教えを説かれた。

弟子達よ、お前達は、おのおの、自らを灯火とし、自らをよりどころせよ。他を頼りとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。(佛教聖典-佛教伝道協会発行))

私達人間は、自身の(最も奥にある)仏性を見出し、それに頼り、仏教の教え(宇宙の法則)に従って生きるべきなのです。
このことが「永遠の生」を生きることだと思っています。原子力に頼るならば、原子力産業に携わる人たちだけでなく、日本国民が、一体となって、原子炉の側で勤務し、弱いレベルとは言え、中性子爆弾を浴びているに等しい人たちと同じ気持ちになって万事を処すべきなのです。

これからは、各家庭が太陽光発電を行なうようなことを考えなければならない時代になって来たし、それが可能になって来ていると思う。

                              (完)
コメント
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