創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

未来の可能性

2015-12-01 10:53:53 | 政治   
未来の可能性
 「憲法第九条を積極的に主張することだけが、現在の資本主義「国」と社会主義「国」をこえて、未来へいけるただひとつのほそい通り道だ。このほかに日本国家も、世界中のどんな国家も未来へいけるはずがない。そしてこれを主張できる可能性をもっているのは、現在の世界では日本の一般大衆だけだ。」(吉本著「大情況論」)  
 日本の不況の原因はアメリカ(ロシア、全ヨーロッパ)の経済、軍事の枠組みの下に納まり、日本独自の政策が通用しなくなっているからだ。明らかに国内の財政不況、産業不況は政治の責任である。二大政党制、進歩的勢力の排除といったアメリカの指示を、そのまま受けて実施しようとしている無策。もし、新たな視点で批判するなら国内政治権力とアメリカの支配構造とを、新たな政治経済潮流の流れの中で独自の思想を武器に読み解くしかない。 他の枠組みが、全体改革を阻んでいるわけだから、その構造を分析することが重要だ。既成政党の発想では打破は到底できない。第三極の中で本気で統治機構を変える実行力がありそうな政党が、その可能性を持っている。アジア的特性を踏まえて、我が国の政治機構改革こそが、世界での、その新しいリーダーとしての力量を発揮できる可能性がある。平和は、けっし右傾化することで手に入るのではないという思想こそが、未来の可能性を持つということになる。

安倍政権と取り巻きの陳腐な復古思想

2015-11-30 15:14:36 | 政治   
安倍政権と取り巻きの陳腐な復古思想
「公=pablicの本来の意味は、私=private個人が生かされる」という意味だ。この意味が日本では曲解され、公のためには私は犠牲になり、個を失うという意味に変えられてしまった。今、日本では政治権力が、この日本的な「公」をむき出しにして、個人の人権や自由を奪い去ろうと懸命になっている。ルソーの天賦人権説を否定し、ナショナリズムと滅私奉公の封建的な独占体制というポンコツ思想を復古しようとしている。陳腐な知恵遅れの支配思想など、未来性などなにもない無価値なものだ。

憲法改正のこと

2015-11-28 17:13:19 | 政治   
 近代資本主義の布石は
 明治維新までは、いわゆる貢納制すなわち米や織物や収穫物を現物による納税として領主や幕府に納めていたものが、明治6年の地租改正で税を金銭で収めるように変えられた。これが近代資本主義の布石を打つことになったと考えられます。もちろん立案にかかわった人物はヨーロッパから招いた経済の専門家たちが主体となったと考えられます。
 さらにもう一つは、敗戦後アメリカの占領軍が主体として実行した農地改革で、大地主の農地の一部を小作人に与えてしまうという、象徴的な農業改革です。残念ながら、このいずれも日本人が独自にやってはいないということです。日本の政治や文化の発端は、すべて外国の指導や模倣の連続で成りたっている国だといえます。  
 憲法も維新の大日本国憲法はドイツのワイマール憲法が見本であり、戦後の日本国憲法もGGQの主導で行われている。自民党の日本国憲法草案は明治憲法の模倣だ。いまこそ、日本市場初めて国民独自の力で憲法を制定するべきときではないか。

気づくべき恐ろしいシナリオ

2015-11-26 15:50:36 | 政治   
気づくべき恐ろしい政財官のシナリオ
新自由主義の標語といえば、「最弱の貧国層は自己責任で住宅を奪われ、最高の富裕層は公的資金で財産を保護される。」
 あまりにも酷い現実を作り出していく新自由主義者=選民思想が、政治を支配する資本家層であり、自己実現の手段として政治を支配する構造が、現在の資本主義の発達とともに構築されてきた国家構造だということになる。資本の論理は社会全体を否定し、企業の規制緩和は政治政策と癒着して、社会問題化した少子高齢化や生産性のない「大量の弱者」の問題を排斥し、自らの企業活動を支えられる層の選民以外は社会内の不要者として位置づけている。つまり、その中から這い上がれる者だけが生き残れる弱肉強食の゜企業倫理が国家理念にすり替わってしまった。人口の増加はもはや望めないどころか、富裕な支配層である政財官の連合体は、国民を間接的に死へと追いやる政策へと、徐々に転換していることに気付くべきである。しかし、まだ政治の実権は選挙に反映される国民が握っている。そこで、我が国では自民党が生き残るための露骨な、見え透いた国民偽装政策で繋ぎとめ、憲法改正と同時に一気に排除へと突き進む計画と考えてよいだろう。これは隠された恐ろしい計画だといっていい。当然、この計画を阻止するための国民運動が高まるはずだ。それは徹底的に弾圧するはずである。寝耳に水の国民は多いかもしれないが、けして突飛な想像とはいえない。さあ、これ国民が阻止できるか。事態は、ここまで来ているし、すでに始まっている。





国家を開くとは

2015-11-14 15:35:29 | 政治   
 国家を開くとは
 国家は内側に開くということと、外側に開くということとの両方の意味がある。
外側に国家を開くには、産業経済構造の変化の必然性によって出ない限り、開いていくことは困難だ。もし、国家を必然性を理解して開いていかずに、国家枠を死守しようとすれば、徒然地盤沈下を起こしてしまうだろう。すでに資本主義は終わり、超資本主義の時代へと移行している。にもかかわらずあい変らず国家は開かれるどころか、閉じようとしている。これではまもなく国家そのものが破綻してしまうだろう。もっとも危険な兆候のひとつは、日本だ。
 もし、国家を外にそらく必然性が整っているとすれば、端的な例は、領土問題の解決法は共同統治ということになる。国教という枠で閉ざしている限り、こんな認識にも必然性にも立つことはない。