Kameの独り言

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仏教の経典

2007年10月13日 12時20分52秒 | 仏教

仏教の経典 仏教の典籍(書物)は、通常、「経」「律」「論」の三種に分類されます。「経」は釈尊の教説をまとめたもの、「律」は出家僧侶の生活規則を定めたもの、「論」は教義上重要な項目に解釈や解説を施したものを指します。 釈尊の入滅後、弟子達は、釈尊の教えを正しくとどめるために、「けつじゅう結集」という経典編纂会議を開いて、教えの定型化・共有化を図りました。このとき成立した最初期の経典群は、“伝承された教説”を意味するアーガマの漢訳語で「阿含」と呼ばれます.金剛禅の「聖句」の二句は、ともにこの阿含経典群の一つの「小部」に属する「法句経」から開祖が選ばれたものです。 仏教経典には、この「阿含」経典群だけでなく、膨大な数の経典が伝えられています。その大部分は、釈尊から数百年後に成立した大乗仏教の時代になって作られたものです.仏教が、出家僧侶中心の学問仏教となり、人々を救済する布教力を失っていったことに猛反発して、世俗の悩める多くの人々を救済してこそ真の仏教であると興起したのが大乗仏教でした。 大乗仏教は、釈尊の真意を明らかにしようと次々と多くの経典を生み出しました。そのためか、ほとんどの大乗経典(「般若経」「維摩経」「華厳経」「法華経」「無量寿経」等々)は、「仏説」と銘打たれ、釈尊の法話を直接聴聞したという形式をとっています。「如是我聞(このように私は聞いた)」です。[参考]宝諒の経典 中国・朝鮮・日本など東アジアヘは、大乗仏教が伝わりました.大乗経典群もほとんどが漢訳され、これらの大乗経典をもとにして宗派が成立します. 中国の仏教者たちは、インドから伝えられる大量の経典のすべてを、釈尊自身によって説かれたものと見なしました.ところが、それらの経典群の内容を検討すると、教義的に矛盾する点があるのに気づきます。そして、その理由を釈尊の「応病施薬」(人々の能力や悩みに応じて、それぞれにふさわしい教えを説く)の結果であると判断しました。そこで、すぐれた他教者たちは、自身の抱えている問題意識をもとに、経典を分類し位置づけしたのでした。 このように、すべての経典を釈尊一代の説法として、それぞれの形式や内容を分類し、体系づけ、価値を決めて釈尊の真意を明らかにしようとすることを「教相判釈」といいます。また、それによって、これこそ釈尊の本意中の本意であると判断した経典を「正依の経典」又は「所依の経典」とし、その経典を拠り所として各宗派が誕生していくのです。 なお、このような経典の扱い方は、以下のように日本の各宗派にも受け群がれています。<日本の主要宗派の「正依の経典」> 天台宗‥・法華経 真言宗‥・大日経(他に金剛頂など四部) 浄土宗…無量寿経・観無量寿経・阿鉢陀経(浄土三部経) 浄土真宗…  〃  (特に無量寿経) 日達宗・日蓮正宗…法華経 臨済宗・曹洞宗・黄檗宗・‥「不立文字」の故に、特に定めないが、金剛経・大般若理趣分・般若心経等を用いる。


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