☆ 6月28日 貿易記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆
6月28日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
身も心も、そして財産も
人間、将来のことはわからないけれども、少なくともいま現在のあなたは、入社した動機はどうあるにせよ、一応生涯をこの会社に託そうと決心して、身も心も会社に打ち込んでいると思う。
そこで、さらに一歩進んで自分の財産までも打ち込めないものかどうか。たとえば極端に言うと、全財産をはたいてあなたの会社の株にかえるような、心がまえとしては会社と心中するくらいの気持であってほしいと思うのである。そういう心がまえであれば、必ずや仕事の成果というものは非常に上がるであろうし、またそういう姿は、会社からも周囲からも高く評価されると思うのである。
【コラム】筆洗
2014年6月27日東京新聞TOKYOWeb
▼七十年前の夏、十九歳の外間守善(ほかましゅぜん)さんは、戦火の迫る沖縄から本土へ船で疎開する妹のために、心を込めて名札を書いた。「外間静子」と書かれた布を、十三歳の妹は黙って丁寧に服に縫い付けた
▼外間さんは妹を港まで送って行った。人いきれでむんむんする船倉の奥に場所を確保してやって、船を下りた。その船・対馬丸は一九四四年八月二十二日、鹿児島県悪石(あくせき)島沖で米潜水艦に撃沈され、千五百人近い命が海に沈んだ。うち半数余が子どもたちだった
▼それから二十年余たち、東京で沖縄戦の実態を伝える催しがあった時、皇太子ご夫妻の説明役を務めたのが、沖縄文化の研究者となっていた外間さんだった。冷静に客観的にと努めていたが、対馬丸遭難を説明していて心が乱れた
▼甦(よみがえ)った妹の記憶が外間さんの口を動かした。「私の妹静子も乗っておりました。帰りませんでした」。周囲はとにかく先へと進もうとしたが、ご夫妻はその場に立ちつくした。美智子さまはハンカチを握りしめて体を震わせていた…。一昨年に八十七歳で逝った外間さんが自伝『回想80年』に記した光景だ
▼対馬丸の子どもたちが生きていたら、八十歳前後。天皇皇后両陛下と同世代だ。ご夫妻はきょう初めて、那覇にある対馬丸の犠牲者慰霊塔に花を手向けられる
▼十三歳のまま眠る静子さんたちに、どんな思いを伝えられるのだろうか。
☆ 昨日のカープ
カープVメール
27日横浜、カープ6―0DeNA、勝ち投手前田健7勝4敗、本塁打倉1号、岩本2号 詳しくは中国新聞朝刊で
今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆