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能観の智と所観の境

2021-04-03 07:14:09 | 宗教観
結局のところ、凡夫ありのままの心で能観の智である一心三観と所観の境である一念三千を内観することが仏法の玄底法門なんですね。お題目やお念仏はそれを修行するための道具です。字面だけ見ればお題目は一心三観と一念三千が全部盛り込まれています。お念仏は一心三観はハッキリ字面に出ていますが、一念三千まではハッキリしていません。しかし、一心三観の能観の智は必ず所観の境である一念三千に至ります。此処で大切なのは、空題目や空念仏にしないことなんですね。日蓮聖人は立正観抄で一心三観を観を成就するための技法のように説明していますが、一心三観はそれ自体が真理でありますから、この説明は納得出来ませんね。聖人はお題目を恰も真言の阿字に見立てた教義観が中心ですが、実際はその中身の理解が根本だと思います。南無妙法蓮華経は更に云うことはありませんが、南無阿弥陀仏も能観の智である一心三観と所観の境である一念三千を内観するに於いては下種と成り得ると考えます。

日蓮教義を批判する人で法華寿量品の文の底に本当の一念三千がある、即ち文底秘沈の法門に疑問を投げかけています。これは因位、名字即凡夫が妙法を信受した本覚の心を云います。これが先に挙げた能観の智(一心三観)と所観の境(一念三千)で、名称で示すと「妙法蓮華経」即ち「南無妙法蓮華経」になるわけで、日蓮聖人は間違ったことは云われていません。寿量本覚心を妙法蓮華経と説明しているのは日蓮聖人だけではなく、天台の口伝法門書籍にも確りと記録されています。天台は成仏の根源である秘密法門は必ず口伝→潅頂儀礼での伝授等で師資相承しますから、我々一般人には本来縁が無いわけです。それを開示してくれたのが日蓮聖人でして、万人に仏となる血脈を大盤振る舞いしてくれたわけです。

南無妙法蓮華経の伝授は天台でも椙生流の俊範法印が宮中の女官らに授けています。また、俊範法印の相承を受けた静明師のところに、富士門流の日順師も日蓮聖人の法門を確認しに叡山まで行っています。ちなみに後年、大部となる中古天台書籍群はこの椙生流から出ています。また日蓮聖人の外用の血脈はこの天台椙生流の流れを汲むものです。話を下種現成に戻しますが、お念仏に名字即下種の成仏を期すことは可能(体内の権)とは云え、智者の行者レベルでもあり、中々に難しい問題かと思います。故に日蓮聖人は大悲心をもって三秘(体内の実)を現してくれました。下種の現成をシステム化した観法にしたわけです。己心のイメージに頼る必要も無いので、脇道に逸れないのがメリットですね。一心三観、一念三千観を智者の理観として問題提起したところに、日蓮仏法の特色があります。経典に南無妙法蓮華経やお題目を唱えろとは書かれていないと反目する人もいますが、玄底法門は天台口伝にも記されていますし、天台大師も玄旨伝中に南無妙法蓮華経を唱えていたと書かれています。智恵の無い我々末法衆生は大聖の言に従うに如くはなしです。
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158 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
己心の観への気遣い (探玄)
2021-04-03 10:19:48
日蓮聖人は己心の観法に対して、非常に気遣いしています。既にこの頃四重興廃の考えが勃興していたからと考えます。経典より観心が勝れるなどと云う大謗法が罷り通る時代でした。や
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天台の一心三観、一念三千観法 (探玄)
2021-04-03 10:33:36
天台の一心三観、一念三千観法は結局、南無阿弥陀仏に集約されたんですね。その伝統は未だに四種三昧の行法として伝わっています。日蓮聖人は法然系の念仏はボロクソですが、天台系の念仏を批判していません。→まあ、ご自身も叡山でやっていた行法ですから、内容は理解されていますよね。
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天台からも日蓮教義を観る (探玄)
2021-04-03 10:56:12
日蓮宗旨はとかく上行所伝を唱い、内証血脈を顕示します。私は外用の血脈、天台血脈から観た日蓮教義も絶対に必要だと思います。日蓮聖人自身、母山であった叡山には並々ならぬ想いもあったはずですから。後年、三位房、日興師などの門人を叡山に行かせていましたから、天台僧侶との人脈はあったんですね。また、聖人が身延山に入ってから旧知の真言僧侶が訪れたことも伝わっています。四箇格言で他宗と隔絶した感がありますが、多岐に亘る人脈ネットが形成されていたと考えます。
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叡山は当時の最高学府 (探玄)
2021-04-03 11:05:31
叡山は当時の最高学府で、仏教以外に医療・法律・工芸など多岐に亘る学問の集積所でした。日蓮聖人は一房を任された伝承もあり、かなり良くできるお坊さんだったんでしょう。
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お坊さんは博覧強記 (探玄)
2021-04-03 11:11:00
当時のお坊さんは頭が良くないと話にならないわけで。物覚えの悪い坊さんは寺から叩き出されることもありました。
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本覚観と始覚観 (探玄)
2021-04-03 16:50:24
日蓮教義が説く観法は下種妙法の観にして、妙法を基点とした玄底の本覚心の観法です。対して、阿弥陀如来を本尊とする念仏→一行三昧は始覚なんですね。私は始覚の行法こそ、本来の仏道修行の本旨だと思いますので、南無阿弥陀仏のお念仏は必要だと思います。下種観心を踏まえた後には、念仏行で三昧を獲る心持ちこそ仏道修行者の心得かと考えます。私は阿弥陀さんを始覚の仏道修行では最も重要視していますが、別に大日如来でも、観音様でも構わないと思います。
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仏に南無仏する (探玄)
2021-04-03 17:07:02
摩訶止観に一仏への帰命は無量の仏への帰命と同じと説かれています。阿弥陀念仏行の書籍・体験談には事欠かないので、仏道修行に念仏行はもってこいなんですね。
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南無阿弥陀仏 (探玄)
2021-04-03 17:22:59
私は円密浄神を信仰の本旨としているので、他の日蓮信徒から見れば異色だと思います。でも霊友会の会員さんは、先祖の仏壇は浄土宗、浄土真宗、真言だけれど、別の霊友会用仏壇には曼荼羅や観音様の掛軸を掛けて、南無妙法蓮華経と唱題し、青経巻を読んでる人は結構居てますよ。何でも片寄りすぎては駄目だと思いますね。信仰にもバランスが必要ですから。どんなに素晴らしい教義でも、偏狭・偏屈な教えでは嫌気がさします。
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日蓮教義は特殊 (探玄)
2021-04-03 17:43:52
本来、下種法門は潅頂儀礼で授けられるものでしたが、日蓮教義に至っては妙法曼荼羅を独創し、朝晩の勤行の信仰に変化させています。→やはり、日蓮聖人は只者では無いと思います。慈悲深いんですね、日蓮聖人は。つまり、特権階級の人しか当時この潅頂儀礼は受けられなかったんですね。それを万人に開いた功績は計り知れない程大きいですね。日蓮宗旨は本当に大切な宗旨だと思います。
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かもめのジョナサン (探玄)
2021-04-03 22:03:39
オウム事件の渦中、刺殺された村井が教団入信前に読んだ本の題名。
あれから25年経ち、日本人の宗教観も変化して来ています。→あまり、宗教に期待しなくなって来ているんですね。何か宗教の正体が暴かれたと云うか。各教団の信者数の減少は少子化だけではなく、期待しない・役に立たないが大きいように思います。
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