ブログ de なんで屋 @東京

みんなで「これからの社会」を考えるために、『場』と『認識』を提供する社会事業です。

あけましておめでとうございます ~視野を狭めない一年にたいですね~

2010-01-04 08:47:40 | 露店紹介
あけましておめでとうございます。

お正月休み、子供たちと一緒に寝起きしていた所為で早寝早起きの習慣が身についてしまいました。ということで、朝早くからるいネットの投稿を読んでいたのですが、最新の投稿ですごく良い投稿を発見しました。
皆さんに紹介しようと思います。

農家力(自給の思想)が「地域という業態」を創造する①
農家力(自給の思想)が「地域という業態」を創造する②
農家力(自給の思想)が「地域という業態」を創造する③

というシリーズ投稿です。以下、印象的な部分を引用します。
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◆「地域という業態」を準備した農家の取り組み
(農文協の主張 2010年1月より転載  )

「各業種ごとに業界団体が存在し、中央と地方とは、中央が企画を行い、地方はその実行のみを行うという中央集権的な関係で結ばれていた。その中で、地方は中央に頼らなければ生きられないという他律的な構造に陥ってしまった。さらに、各業種間には、『縦割り』という大きな壁が存在していた。同じ地域の中に暮らしていながら、農業団体と商工会、温泉組合などの間には、相互の交流関係は乏しかった。そして、それぞれに『我が業界をめぐる情勢は厳しい』と頭を抱えていた。『地域という業態』は、このような『対立』『他律』『悲観』という構造から脱却し、『共生』『自律』『楽観』という構造に切り替わろうという考えである。

~中略~

農家はもともと、食べものや資材の自給から兼業まで、多彩な仕事をこなす「業態」であった。その「業」は「生業」であり、それは暮らしと結びつき、あるいは暮らしそのものである。そして生産・生活の両面で支えあうむらの仕事のありようは、相互につながりあう「地域という業態」であった。つながりがなく単一的であるがゆえに他律と対立にならざるを得ない「業種」に対し、「業態」は結びつきを旨とするがゆえに自律と共生によって地域を形成する。それがむらという「業態」である。

それを、他の業種と連携しながら現代に復活、創造する。その条件、大きな可能性をつくりだしているのが直売所である。直売所はいまや、「地域という業態」を創造する原動力となり、「地域の再生」の拠り所となっている。

~中略~

食生活の自給運動を土台に展開した直売所、地産地商。暮らしの原理が息づく直売所は、農家をひたすら狭い意味での農業=原料生産を行なう産業の一業種に押し込もうとしてきた農業近代化路線から農家を解放し、それゆえ、以下のような大きな改革・創造をもたらすことになった。

 1、流通のとりもどし

 2、農法の見直し

 3、地域資源活用の広がり

 4、担い手の多様化

~中略~

直売所では、自在な栽培法が展開している。直売所も市場出荷も売ることに変わりはないのだが、食べる人との直接的な交流・共感と、そして「なんでも・いつでも」という自由性が、作物や土への向き合い方に変化をもたらす。これまで蓄積してきた高品質・多収の技術を生かしつつも、作物の自然力や多様性、地域資源の活用へと発想が広がり、農業の近代化が断ち切ってきた、自然と人間の働きかけ働きかけ返される関係が回復する

~中略~

かつては山の下草や落ち葉が家畜のエサや作物の肥料になり暮らしに役立てられた。そうして管理された山からの水が川の魚を育て、農業や生活用水に役立てられ、豊かな海を育てることにもなった。近海の海藻や魚粕は田畑に施され、海のミネラルは田畑に還流された。そんな山・里山・川・田畑・海のつながりが、地域資源を生かす農法革命によって回復されていく

~中略~

近代以降、生産・生活資材をことごとく都市・工業・無機資材に依存することで、山・里山・川・田畑・海をめぐる大循環が失われた。それが地域を疲弊させた大本であり、その現代的回復が直売所農法のもとで始まっている

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これからの日本の「生産」を考えていく上で、農業の復興は絶対にはずせない視点と考えます。しかし、現在の政策は各農家への補助金どまり。なんとも視野狭窄で目先的なやり方だと思っていました。
一方、「じゃぁ、どうして行けば良いのか」というと、具体的な方法論が浮かばず、ウズウズとしていたところです。

これに対して、上記のシリーズ投稿は大きな視点で答えを与えてくれるものでした。
それはつまり、「農業問題」といったときに農業だけに注目することが視野狭窄なのだということ。そうではなく、自然環境や人間関係をも含めた農業の“周辺”にまで視野を広げて考えるという視点です。むしろ、“周辺”から問い直して初めて、農業という「業態」の位置づけがはっきりしてくる、ということでしょう。

知らず知らずのうちに、視野を狭めて「縦割り」でものを考える思考パターンに陥っている。だから答えが見えないのだ。
そんなことに気づかせてくれた新年の投稿でした。

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2 コメント

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Unknown (s.tanaka)
2010-01-04 23:50:31
おめでとうございます。

もともと「百姓」という言葉は、非常に多くの生業を持つ人、という意味で、今の兼業農家よりずっと広い意味を持っていたそうです。

これからは、専業農家の減少を嘆くのではなく、むしろ農を如何に様々な仕事や生活と結びつけて広く定着させ得るかという発想が必要か知れませんね。
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Unknown (さんぽ☆)
2010-01-05 19:37:06
あけましておめでとうございます

>「農業問題」といったときに農業だけに注目することが視野狭窄なのだということ。そうではなく、自然環境や人間関係をも含めた農業の“周辺”にまで視野を広げて考えるという視点です。むしろ、“周辺”から問い直して初めて、農業という「業態」の位置づけがはっきりしてくる、ということでしょう。


この発想は目からウロコです。
私、視野狭かったと感じました!

これからも気づきを楽しみにしています!
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