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結婚というと、恋愛の末にゴールイン!
という幸せいっぱいのイメージを持ちます。
しかし、結婚が個人の意思に委ねられる「恋愛結婚」が当たり前の様になったのは、実は結構最近の事。
戦後急速に個人婚にシフトしますが、それ以前は、一家の長=家父長の決裁による形式でした。
婚姻の決定権構造が「家」という単位から「個人」と言う単位へ変遷して行く過程は、あたかも「抑圧からの開放!」というように、何か良いことと美化して語られます。
しかし当時の社会、とりわけ私権の獲得形態の移り変わりと合わせて考えると、また違った事実が見えてきます!
ちょっと歴史を遡って俯瞰してみましょう。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/mush_mov.gif)
日本が近代的な市場経済に入る以前、江戸時代中期までの日本の経済は基本的に米を単位とした農本社会です。
たとえば「加賀百万石」と言われるように、「石」という米の単位がそのままその地方の経済力とされていたわけです。
そうすると・・・
当然ながら生産基盤は「土地」であり、「いかに多くの土地を私有するか」というが私権闘争の中身でした。
しかし江戸時代中期以降、社会が安定するに従い市場経済が台頭します。
(有名な三井高利や紀伊国屋文左衛門が活躍するのもこの頃ですね。)
江戸時代は封建制度と身分制の中で顕在化はしませんでしたが、明治維新以降、市場経済が花開くと私権闘争の中身は「土地」から「金」に一気に移り変わります。
そしてこの「土地」から「金」という私権統合軸の変化は、実はそのまま婚姻形態の変化に結びついています。
「土地」は世代を越えて相続して行く必要があり、必然的に「家」という単位が私権獲得の基本単位となります。
ところが市場社会とは全てに置いて「金」が必要となる社会であり、「家」や「土地」よりも個人の生産と消費が前提となります。
むしろ「家」という単位から「個人」という単位に解体したほうが消費の裾野がひろがり市場にとっては都合がよい。
社会の単位が「家」から「個人」へと移り変わった背景には、私権をいかに獲得し、市場をいかに拡大させるかという点に依拠しています。
そう考えると家父長制から個人婚への流れとは、「抑圧からの解放!」でも何でもなく、市場原理に基づいた集団性の解体の一側面でしかないことが見えてきます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_hat.gif)
個人婚を抑圧からの解放と捉えるのも、市場の中での私権闘争を正当化する言い訳=欺瞞観念の一つと捉えることも出来るのではないでしょうか。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_hat.gif)
「日本史」と「結婚」と「市場」、この3人は一見何の関係もないように見えますが、その時その時の社会はどんなだったの?みんな何を目指していたの?と言う視点で考えて行くと、実は密接に結びついている。
るいネットでもよく「歴史」の勉強をしていますが、歴史を俯瞰することで流れの必然性と社会制度の変遷を構造化する事が出来、これが「これからどうなる」を追求をする大きな足掛かりになると思っています。。
以上、やまこうでした!
最後まで読んでくれて有難う!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
しかし、結婚が個人の意思に委ねられる「恋愛結婚」が当たり前の様になったのは、実は結構最近の事。
戦後急速に個人婚にシフトしますが、それ以前は、一家の長=家父長の決裁による形式でした。
婚姻の決定権構造が「家」という単位から「個人」と言う単位へ変遷して行く過程は、あたかも「抑圧からの開放!」というように、何か良いことと美化して語られます。
しかし当時の社会、とりわけ私権の獲得形態の移り変わりと合わせて考えると、また違った事実が見えてきます!
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日本が近代的な市場経済に入る以前、江戸時代中期までの日本の経済は基本的に米を単位とした農本社会です。
たとえば「加賀百万石」と言われるように、「石」という米の単位がそのままその地方の経済力とされていたわけです。
そうすると・・・
当然ながら生産基盤は「土地」であり、「いかに多くの土地を私有するか」というが私権闘争の中身でした。
しかし江戸時代中期以降、社会が安定するに従い市場経済が台頭します。
(有名な三井高利や紀伊国屋文左衛門が活躍するのもこの頃ですね。)
江戸時代は封建制度と身分制の中で顕在化はしませんでしたが、明治維新以降、市場経済が花開くと私権闘争の中身は「土地」から「金」に一気に移り変わります。
そしてこの「土地」から「金」という私権統合軸の変化は、実はそのまま婚姻形態の変化に結びついています。
「土地」は世代を越えて相続して行く必要があり、必然的に「家」という単位が私権獲得の基本単位となります。
ところが市場社会とは全てに置いて「金」が必要となる社会であり、「家」や「土地」よりも個人の生産と消費が前提となります。
むしろ「家」という単位から「個人」という単位に解体したほうが消費の裾野がひろがり市場にとっては都合がよい。
社会の単位が「家」から「個人」へと移り変わった背景には、私権をいかに獲得し、市場をいかに拡大させるかという点に依拠しています。
そう考えると家父長制から個人婚への流れとは、「抑圧からの解放!」でも何でもなく、市場原理に基づいた集団性の解体の一側面でしかないことが見えてきます。
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個人婚を抑圧からの解放と捉えるのも、市場の中での私権闘争を正当化する言い訳=欺瞞観念の一つと捉えることも出来るのではないでしょうか。
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「日本史」と「結婚」と「市場」、この3人は一見何の関係もないように見えますが、その時その時の社会はどんなだったの?みんな何を目指していたの?と言う視点で考えて行くと、実は密接に結びついている。
るいネットでもよく「歴史」の勉強をしていますが、歴史を俯瞰することで流れの必然性と社会制度の変遷を構造化する事が出来、これが「これからどうなる」を追求をする大きな足掛かりになると思っています。。
以上、やまこうでした!
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確かに!
昔なら一家に一台の電話が、現在は一人に一台の携帯電話!!(もしくは、2台以上の人も!?)
今後、市場が縮小していく中で、「結婚」がどうなっていくのか気になります☆