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先日の朝日新聞に「夫いると死亡リスク2倍」という記事が載っていました。
ある県の病院が高齢者を対象に調査をした結果、75歳~84歳では女性は夫がいるほうが、いない場合に比べ死亡リスクが2.02倍に高く、男性は妻がいる場合、いない場合に比べて0.46倍に下がっている。この傾向は60~74歳でも同様に見られるそうです。
この現象に対し調査を行った医師は「夫の依存が妻に負担をかけている一方で、妻に先立たれると夫は身の回りのことを助けてくれる存在を失い逆に死ぬ危険性が高まる。夫が家事などを覚えて自立することが大切だ」と話しているそうです。
この他にも、男性高齢者は女性に比べ、近所づきあいがなく相談相手もいないなど、「孤立化」が際だっているという調査結果も見たことがあります。
依存が強くなる構造は、存在理由欠損にあります。男の場合旧いイエ規範、家父長規範という役割を、ある出来事をきっかけにして失ってしまい、気持ちの張りをなくしてしまうのだと思います。
旧い男規範だけにとらわれていたら、これからの時代、存在理由を失うのは必然です。
これらデータはそれを物語っています。
nomura
かと言って当然旦那さんが先に逝ってしまえば良いって話でもないですもんね。
原因がその古い規範にあるのならば、それは早急に塗り替える必要がありますね!
旧い規範に拘らなければ、存在理由=役割は目の前にいくらでもあります。そこから目をそむけてしまうことが問題なのですね。
「家父長規範」というものが、家では何もしない人間を作り上げてしまって、誰もしてあげられなくなってもそのことを変えることなど考えようともしない様子を目の当りにしております。
何とかせねば…と思うのですが、どうしたものやら。
僕の父親も高齢なのですが、年の割には結構元気です。
ちょっと前までは、なんでかな?と思っていたのですが、存在理由=『役割』があるからなのでしょうね。
役割があるということは、周りからの期待があるということ。
期待に応えようとがんばるから『活力』=元気って出て来るんだと改めて感じます!!
やっぱり役割=活力源なんですよね。
今の『定年退職』の制度や『福祉政策』もとことん役割を失う方向へと逆行していますよね、、、。
旧規範や旧観念はとことん限界に来ているのだ感じます
僕の父はまだ60なんですが、体が悪かったので数年前から仕事もあまりできなくなったせいか、けっこう頭の働きが悪くなっています。
ちょっと頭を使わせないとな~と思って、何か役割を与えられないかと考えましたが、あんまり思いつかなくて、とりあえず頭を使う課題を与えようと思って川島隆太さんの「大人のドリル」をプレゼントしました。実家に帰った時はチェックしています。あとはデジカメとプリンターをプレゼントして説明書を読ませるようにしました。
次はどーしよーかなと試行錯誤中です。次はネットかな~、でもエロサイトばかり見られてもな~。。。
ちなみに母親は働いているので、しっかりと父親に料理以外の家事はやらせているようです(^^;)ゞ
帝国海軍出身で、孫の僕にも容赦しない。そりゃぁもう、怖いのなんの。
でも、いつの頃からか、突然優しくなって、優しくなったと思ったらボケっぽくなって、その後は転がり落ちるようでした。
感覚的に「じいちゃんは優しくなった時に何かを失っていたんだ」と思っていました。
仰る事を読んで、それが何だったのかわかりました。
規範って、積極的に活力になるのか?と思っていましたが、身近なところにその事例が転がっていたんだ、と気づかされた感じです。
ありがとうございます。
夜中の2時すぎまで飲んでいて、次の日8時から仕事に出てたり、奥さんとはしっかり充たしあってたり。
自分の工場を切り盛りする社長さんでしたので、社員からの期待と、自分の役割がしっかりつながっていて、それが日々の活力につながっていたんだな、と思います。
私の親父の場合、長男なので祖父・祖母だけでなく兄弟の世話や葬儀、法事の段取りを常に担ってました。それら役割(13回忌とか)が終わった昨年あたりからほんとに急に老け込みました。
今の高齢者が役割不全になるのもおおむね同じような構造にあるのだと思います。
地域共同体があればもう少し多様な役割に目を向けることができるはずですね。