キャバリアのななちゃん日記

宮古島での、ロングバケーションを終了し、千葉に戻りましたよ~!

札幌のウニ丼と岩手宮古のまんぷく食堂のウニ丼!

2014年02月02日 | 岩手探索 景勝地・名所
東日本大震災前に家族で行った
市場内まんぷく食堂にて、ウニ・いくら丼(2000円)



今回、家族が北海道旅行で
食べたウニ丼の写真を送ってきた
(5000円)



思わず、宝石箱!
利尻のバフンウニのてんこ盛り

岩手で食べた時、イクラが余計
だったので、ウニだけにしたとの事



相方が食べた海鮮丼(4500円)
さすが、北海道

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さくらしめじの料理を紹介します。もちろん、morijiiオリジナル!
Cpicon 桜しめじ&しいたけ・茄子のバターソテー by morijii

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morijiiのキッチン

発芽玄米ご飯シリーズに続き、豆乳ヨーグルトにはまってます。新規レシピ!!!
Cpicon 豆乳ヨーグルト、白菜&バナナサラダ by morijii

豆乳ヨーグルトも手作りです。
Cpicon 簡単、手作り豆乳ヨーグルト by morijii

毛越寺の庭園、岩手観光終了!

2010年12月10日 | 岩手探索 景勝地・名所
中尊寺とならぶ、平安時代の浄土庭園。

芭蕉句 夏草や兵どもが夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと)

人気のないところに、今はただ夏草だけが生い茂るばかりだが、
ここは、かつて義経主従や藤原一族の者たちが功名・栄華を
夢見たところである。知るや知らずやこの夏草を眺めていると、
すべてが一炊の夢と消えた哀れさに心が誘われる。



芭蕉の名句に思わず、感動。後ろに句碑が写っています。
人の栄華も、ただ、一夜の夢。はかなくも、淡い、陽炎。

morijiiの歴史好き、文学好きが一番はまるスポット。

「曲水の宴」の遺構。平安時代、藤原一族が楽しんだと
思われる。桜とか、紅葉を愛で、酒肴を楽しみ、和歌を
読んでいた。解説していた○○会の句に思わず、絶句する
baaya。解説は省きます。現地で確認ください。



まったりと、茶屋で、morijiiおすすめのズンダ餅(枝豆使用)を味わう。



午後のお茶を飲み、岩手観光を終了。

高速を使い、盛岡駅に一直線。baayaは園長先生への土産、
盛岡冷麺、南部センベイをゲットし、盛岡をあとにした。

baayaのおかげで、岩手の食と名所を楽しむことが出来た。

baaya  ありがとう・・・!


前沢牛!

2010年12月10日 | 岩手探索 景勝地・名所
中尊寺前にある、「レストラン源」で昼食。

前沢牛のにぎり。とろけるお肉で最高の味覚。



前沢牛のたたき。にぎりには、完敗。



baayaの前沢牛にぎり。



morijiiの黄金ランチ。



baayaは仮免中。早く、免許をとってね!
内では、免許取るのに1年かけるのがスタンダードだけれども・・・

行楽地でビールを飲み、帰りは、まったり、
寝て帰るのが、morijiiの黄金の行楽パターン。
今回も、baayaにゴチになった。ありがとう・・・!

中尊寺、金色堂!『螺鈿迷宮』

2010年12月10日 | 岩手探索 景勝地・名所
2日目、中尊寺へ。

ご存知、平安時代末期、藤原4代の菩提寺。
平安時代末に、京都につぐ第2の都市として発展。
関西では、平清盛を中心に、栄華を極めていた時代。
歴史好きのmorijiiにとっては、興味シンシン。

akanemamaには、興味(ウニ・牡蠣)がないだろうから
なるべく短く書くけど、書き出すと長くなります。



悲劇の主人公、源義経と弁慶。
弁慶堂に参拝。



有名な弁慶の立ち往生。
弁慶に扮し、興にのるbaaya。
ブームの歴女(ただし、幕末だけ)も、
何故ここに、弁慶堂があるかは知らないでは・・・



奥州藤原氏は源義経を匿って、最終的には、源頼朝率いる、
関東武士軍団に滅ぼされる。残されたのが、中尊寺金色堂。
金箔につつまれ、螺鈿(らでん)細工に彩られた、金色堂。
これは、写真を撮りたかった。仏像構成といい、京都でも、
見た事のない、美しさであった。藤原4代の遺体が収められた
まさに、極楽浄土。



baayaとmorijiiの共通の話題で、海堂尊。
baayaいわく、医療界の坂本竜馬。
その作品に「螺鈿迷宮」がある。螺鈿細工の部屋に、
遺体保存された娘の遺体が安置されているのが、描かれて
いるが、まさに、金色堂と同じ状態。海堂尊も、金色堂を
見て、発想したのかなとbaayaの直感。ウム、鋭い!

morijiiと松尾芭蕉のツーショット!
江戸時代中期「奥の細道」で東北を訪れて、残した名句集。

芭蕉句 五月雨の降のこしてや光堂 (さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)

あたりの建物が、雨風で朽ちていく中で、光堂だけが昔のままに輝いている。
まるで、光堂にだけは、五月雨も降り残しているようなことではないか。



是非とも、見たかった場所。岩手でも世界遺産に申請中で話題。
morijiiにとっても、平安末期から、江戸時代まで東北の歴史が
詰まったタイムカプセル。満足!

コバルトブルー&ドラゴンブルー!

2010年12月08日 | 岩手探索 景勝地・名所
そして、浄土が浜に到着。

コバルトブルーの海と青空。
浄土だね!寒いけど・・・



海のコバルトブルーが特にきれいであった。



何故か、コーヒーで、暖をとるbaaya&morijii。
morijiiは、baaaya&akane・kyoutamamaからもらった
ご存知、ヒートテックに身を包み、ばっちり防寒。
このハイテク、欲しかった。ありがとうね、毎日、身に着けるよ。
今も、身につけ、岩手ホットライフ!



baayaは前日、東京で、一人ダウンジャケットに身を包んだが、
メチャ、暖かくて、恥ずかしかったとの事。岩手では、必需品です。

そんな、かんだで、早足で、龍泉洞へ。



龍泉洞の入口で、カップルに写真撮影を頼まれ、快く撮影。

気温は10度で、外気温より高く、快適である。

山口県の秋芳洞、高知の龍河洞とならぶ、日本三大鍾乳洞。
岩手ガイドブックの写真に引かれ、是非、来たかった場所。
JRのコピーが、ドラゴンブルー。透明度が高く、40mまで、
見る事が出来る。照明でライトアップされ、まさに、異空間。

「長命の淵」この水を飲めば、長生きできる。
弱アルカリ性の水で、柔らかい。baayaの要望で、
しっかり、ペットボトルにゲット。



洞窟の中を河が流れる。




水深120m。大自然が作りあげた別世界である。



ここは岩泉にあるのだが、松茸の産地で有名。
秋にくれば、更に最高。

ドラゴンブルーを堪能し、温泉へゴー!

そして、宮古魚菜市場内「まんぷく食堂」にて、ウニ・いくら丼!

2010年12月07日 | 岩手探索 景勝地・名所
市場内まんぷく食堂にて、ウニ・いくら丼(2000円)を注文。



じゃーん!生ウニがてんこ盛り。甘くて最高。



これまで食べてきたウニの中で、最高かも・・・
岩手に来て1年。三陸で、ウニと生牡蠣を食べる事を
ずーっと、妄想続けてきただけに、感激!!!

(baayaありがとう・・・今回の食はbaayaのおごりになった)

いくらはいらんかった。いくら君、ゴメン!



これは、ほやの刺身。海のパイナップル。
色はウニに似ているが、生うにの後では、はるかに味劣り。

翌朝用の、鮭の切り身と塩辛をゲット。
そして、三陸の観光コースへ。

三陸宮古海鮮料理(牡蠣)

2010年12月07日 | 岩手探索 景勝地・名所
スタート前日に、baayaが盛岡到着。
baayaはしっかりと盛岡駅前のご存知、
「ぴょんぴょん舎」で焼肉と冷麺を堪能。
盛岡と言えば、冷麺。これしか、思い浮かばない。とほほ・・・

翌朝、cookpadで鍛えた料理をご馳走した。
牡蠣飯とサラダパスタ。

Cpicon 簡単、牡蠣飯 with きのこ&栗 by morijii

牡蠣飯は気にいってもらった。牡蠣は共通の好物。
千葉実家では、おそらく、baayaとmorijiiしか食べ
ないと予想・・・
cookpadでも、人気が出なかった。が、morijiiの一番
好みの炊き込みご飯。磯の香りがご飯にしっかりと
染込んで、激馬。冷めても美味しい。
そして、リンゴを使ったパスタ。デザートに、リンゴに
ヨーグルトをかけて、味わった。

Cpicon サラダパスタ with りんご by morijii

朝から、超力作でもてなした。


そして、1日目スタート

盛岡から、愛車のフィットで、三陸宮古へ向かった。
途中、区界(くざかい)高原では、道路にたんまり、
積雪。今回はしっかりとスタッドレスタイヤをはいて
いるので、楽々クリア。岩手は四国とほぼ同面積あり、
山また山。木々の紅葉はすでに終わっている。この山々
を越えると、海産物を誇る三陸へ到着。親潮と黒潮が
沖でぶつかり、好漁場になっている。



そして、宮古魚菜市場へ到着。



早速、市場を見学した。そして、お目当てを発見。
この時期、大ぶりの牡蠣情報はなかったが・・・
大ぶりの岩牡蠣(1個380円)を発見。これは想定外であった。
お店の方に聞いてみると、その場で食べれるとの
ことで早速、刺身にしてもらった。じゃーん!



これこれ、最高~!海のミルク。何にもいらない。
磯の香りで、ぺろり。これで、お酒が飲めたら・・・
baayaはまだ仮免。早く、取得してほしい・・・
心の叫び。うちは、免許取得に1年かけるのが常識・・・
車はプジョーにするとの事。なんじゃ、それ・・・、しらね・・・

通りすがりのギャラリーにもお勧めした。
関西風のノリで「東京では、千円するよ」と殺し文句を使った。
カップルに販売を成功。お店に貢献した。

別の店で、小ぶりの牡蠣を、これまた、立ち食い。
馬!




小岩井農場

2010年11月03日 | 岩手探索 景勝地・名所
乳製品で有名な小岩井農場。
全国のスーパーで売られている、有名ブランド。
日本一の農場である。

完成した焼きサバ寿司を持って出かけた。



目的地ではないので、ちょっと立ち寄った。
紅葉が見事であった。

小岩井農場、まきば園。

成田ゆめ牧場をイメージさせる。規模が違う。



見事なコントラスト!



街路樹からのぞく、小岩井農場。



牛さんが、散歩&食事中。





そして、・・・



WIKI より

小岩井農場(こいわいのうじょう)は岩手県にある日本最大の民間総合農場である。

盛岡市から西北約12kmに位置し岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、その敷地の3分の2が雫石町に属し残り3分の1は滝沢村に属する。

同場は岩手県の代表的観光地として知られ、「小岩井農場まきば園」等の施設が一般に開放されている。毎年2月上旬には、このまきば園を会場として40年の歴史を誇る「いわて雪まつり」が開催される。まきば園内では観光向けにトロ馬車馬車鉄道が運行されている。
また同場の乳牛(ホルスタイン)の飼育数は約2,000頭であり、生産される生乳はすべて小岩井農場内にある小岩井乳業工場にて牛乳等に商品化されている。

1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた。

当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した。

宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば散策した。中でも1922年(大正11年)5月の散策は、詩集『春と修羅』に収録された長詩「小岩井農場」のもとになった。この詩の中には当時の農場の様子(飼育されていたハクニー馬や倉庫など)も描写されている。
タレントの田中義剛は、自身の農場(花畑牧場)を持つに当たって「小岩井農場のような大きな農場にしたい」と語っていた。
現在の日本の法律では、農業生産法人以外の株式会社が農地を所有して農業を営むことを禁止している。小岩井農場は農業生産法人ではないが前述の規定のある農地法が制定された1952年(昭和27年)より前から農業経営を行っていたことから、農地所有が特例として許可されている。
まきば園は通常入場料を徴収するが、冬季(11月中旬からゴールデンウィーク直前まで)は入場無料となる。このため、この期間に実施される「いわて雪まつり」も入場無料となっている。

古代志波城公園(1200年前の古代の息吹) in 盛岡

2010年09月09日 | 岩手探索 景勝地・名所
9/8(水)今日は晴天に恵まれ、気温もグンと下がった。
岩手の秘湯に行こうと思いたち、途中、古代志波城公園に
よった。



803年(延暦22年)坂上田村麻呂が作ったとされる古代最大・最北の城柵
すぐ、近くに古代遺跡があるとは、驚きであった。morijiiは奈良出身なので、
飛鳥時代~奈良時代とは縁が深い。その中で育ってきたので、受付でいろいろと
説明を伺った。

もともと、東北の歴史と言えば、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷の首長アテルイ
を連れて京都に帰ったくらいしか、知識がなく、盛岡に来て、いろんな文化・
歴史に触れてきた。坂上田村麻呂は正に東北の出発点であっただけに、歴史好きの
morijiiには感激であった。

まずは、入口の柵



マリーゴールドの花畑から見る古代政庁



その中で古代役人が執務中であった。ご苦労さん!



古代米の田んぼ(手前)と今の米の田んぼ 色が違う!





感動しながら、岩手の秘湯めぐりに出発。今日は幸先が良かった。



WIKIより


志波城

志波城(しわのき、しわじょう)は、岩手県盛岡市の西の郊外、現在の中太田・下太田に
またがる地域にあった古代城柵。斯波城とも。盛岡市によって「志波城古代公園」として整備され、
外郭南門(がいかくなんもん)築地塀(ついじべい)、政庁の南・西・東それぞれの門、
官衙建物などが復元されている。国の史跡に指定されている。

歴史・沿革

桓武朝の征夷事業と志波城

志波城は、征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が胆沢(いさわ)地方
において蝦夷(えみし)の首長アテルイを滅ぼした翌年の延暦22年(803年)に、
北上川と雫石川合流地近くに造営された。これにより、朝廷は北上川流域の北部にまで
律令制の支配を及ぼすことが可能となった。その後、雫石川氾濫による水害のため、
南方(現在の岩手県紫波郡矢巾町徳田)に徳丹城(とくたんじょう)が造営され
、志波城は約10年でその役割を終えた。

発掘調査と史跡の復元

1976年-1977年に東北自動車道建設にともなう発掘調査中に築地塀や大溝、竪穴住居跡
(たてあなじゅうきょあと)が発見され、その後の範囲確認調査の成果を受け、
1984年に「志波城跡」として国の史跡に指定された。『日本紀略』延暦22年(西暦803年)
条初見の志波城の所在地は諸説あり、長らく不明であったが、太田「方八丁」という地名が
八町四方の外郭を持つ城郭の姿と一致したため、有力な確定根拠の一つとなった。

1991年から外郭南門と築地塀が古代の技術にならって復元され、「志波城古代公園」として
志波城跡愛護協会により管理運営がなされている。

志波の地名

旧岩手郡内に所在する「志波城」が古代「志波郡」の名を冠するのは、造営当時まだ
「岩手郡」が建郡されていなかったためである。北上川流域の「奥六郡」は、はじめ
磐井郡~志波郡までを指したが、後に磐井郡が国府多賀城の直接管理を受けることになると、
新たに生まれた岩手郡を含めた六郡となり、俘囚長・安倍氏により治められた。

シハ(しわ)の表記「志波」・「斯波」・「紫波」は、いずれも古代郡名に由来し、
同源であると考えられるが、当該城跡を指す場合、『日本紀略』での表記である
「志波」が定着している。それに対し、斯波は中世の「斯波氏」にかかわる事象をあらわし、
紫波は現在の「紫波郡」での使用が一般的である。

なお、「志和」は現在特に岩手県紫波郡紫波町上平沢・水分周辺の通称として狭域的に
用いられ、「志和町(しわまち)」などの表現が残されている。これは同地区が南部八戸藩
の飛び地であったことに由来する。また、日本最北の延喜式内社「志賀理和気(しがり・わけ)神社」
(紫波町桜町)に由来するとの説もあり、当時として朝廷の支配力が及ぶ最も遠方の地域を示していたと
考えられる。

久しぶりの岩手山!

2010年09月05日 | 岩手探索 景勝地・名所
ここ何ヶ月か、岩手山がかすんで見えなかったのが、
今日は美しい岩手山が姿を現した。
日中は暑いけれど、今朝は19度で涼しかった。



この前サギのレポートした場所から岩手山を撮った。
手前は、morijiiの愛する「ひとめぼれ」の大きな田んぼ!
一面に米の稲穂が頭をたれている。



このお米はおいしい!千葉のコシヒカリよりおいしいと思う。
今年は暑かったけれど、米の出来はいい。

ありがたいね!