曲がり角で みつけたもの

思秋期になり曲がり角に差し掛かってきました。その中で感じた事、見つけたものを記事にしていきます。

サラミチョコ バレンタイン当日

2012年02月15日 | グルメ
バレンタインデー前日、サラミチョコのナッツバージョンを、ビスケットバージョンよりさらに手抜きいや、手間を掛けずに、作って、冷蔵庫で冷やし固めてあります。

チョコを砕いて、上にマシュマロを載せ、そのまま、レンジ弱で30秒チン。かき混ぜてさらに30秒。その間にナッツを砕いておき、それを混ぜて、(バターは入れなかった)20秒チン。かき混ぜている間に自然にまとまってくるので、そのまま、クッキングシートに移して、棒状にまとめておきました。(クッキングシートの上でナッツを砕けば無駄がありません)

夕飯の支度の時に冷蔵庫の外に出して、ナイフを両手で下に押し込むようにしてカット。包丁をひくようにして切るとバラバラになるだけなので、押し切りにするとうまくいきます。切る時の抵抗の感じよりも食べた食感は柔らかく食べやすいです。(おほほ、つまみ食いしちょりますヽ(^o^)丿)

16日消費期限なのに、バレンタインデー当日にかわいそうに4割引になっていた高級チョコレートケーキ。家族分5切れに切り分けて、お皿に盛りつけました。




生クリームも絞って飾ろうかとも思いましたが、高齢者(私も含み)全員高脂血漿ゆえ、止めました。生クリーム+ミントの葉なんて飾ったら、良いですよね。

珍しく、この日は息子の方が先に帰ってきました。

息子に「これには母の愛がつまっておる(CMの真似でどうぞ)。バレンタインデー、降るほどチョコを貰ったと思うけれど、一応ハハの手作りチョコじゃ」と言って出しました。

ここで、ちょっと騒動がありましたが、これはまた別記事(グチグチ記事で!)で。

本命の夫も帰宅。一応「本命手作りチョコです」と言って出しました。

夫の反応??微妙ですな!チョコだけにチョコっと喜んだ見たいな?30年前のオーバーリアクションはなかったですわ(;一_一)別にいいけど…。

サラミチョコ、真面目に、美味しかったですよ。

この作り方なら、気軽に出来るから、このチョコをビスケットにかけて固めても美味しそうです。マシュマロを間に挟んでチンしてもよさそうな感じ。

残ったチョコをお皿に並べておいたんですけど、いつも、なんだかんだ文句をいう夫母が、夢中になってほおばってましたからね。よくある一口になっているチョコってばあばには固くて噛めないらしいです。これは見かけよりも柔らかいし、ビスケットがなかでサクサクしているので、食べやすいです。

チョコ作りは、まあ、大成功と言っていいんじゃないでしょうか???


久しぶりのランチ+サイクリング+ウオーキング

2012年02月13日 | 
一か月前に、プチ新年会をした、元ママ友、今ストレス解消に欠かせない友達と、久しぶりにrンチ+サイクリング+ウオーキングで、いい汗流して、話もいっぱいして、すっきり~~~!

今までなら、自分でもウオーキングもサイクリングもカメラを持ってのほっつき歩きもしていたのに、1月は全くと言っていいぐらい、まあ、私にとっては近年になく引きこもり状態でした。

詳細はまたの機会に(ただいま編集中)書かせて頂きますが、天気も思いがけずよくって、風もなく、気持ちのいい一日が過ごせました。

よって、夜、自分の汗になった洗濯物を一回。息子の野球の泥泥を一回、の洗濯も、ちょちょいのちょいです。

そして、合間に「サラミチョコ」も作ってと、ぱんぱんに膨れ上がった充実感。

これでまた、2月は生き延びられるかな~~~~。

ま、落ち込むこともあるけど、それはそれで、ストレートに落ち込んで、また浮き上がりますわ

あ~~、それにしても、思いのたけを素直に言える友達ってなかなか、いないですよね。

そんな友達がいて、幸せです

昨日の青空


サラミチョコ

2012年02月13日 | 夫婦関係
明日はバレンタインデー
本命に贈る贈らない。義理チョコはどうする?
とあちこちにぎやかいですね。
私はもう、30年近く夫婦をやっていると、これって義理チョコ?繋ぎチョコ?微妙ですし、まあ商業ベースに乗れらているといえば、そうだし、安い義理チョコで、家庭内にしろ、職場にしろ、うまくいくなら、それはそれでとも思うし。
私はもともと誕生日だの、Xmas他、母の日、父の日、結婚する前から、欠かさず、なにかしらプレゼントするという主義でした。でも夫の家庭は、全くそんなことはしないでいたようです。やれば、お返しにやらなくては、って感じで、何がいいかわからないからと、とにかくお金を包んでよこす、夫の母親。
そのうちに娘が結婚し、実家の母親が毎年、私の夫と息子のチョコレートを持ってきてくれるのですが、そこに、婿さんの分も持ってきてくれたんですね。そうしたら、もう何年も夫に実家の母親がくれても、自分が買ってくるなんてことはなかったのに、孫の婿さんに、実家でやったというのが、ひどくカンに障り、「あんなことされりゃあ、私ん立場ンない!私ん買って来なきゃらならない!」と言って、対抗意識丸出し、「義理義理チョコ」を生涯初めてお買い上げですわ。

まあ、それ以外に、義理でやるというか、意地でやるっていうのがエスカレートしていったしまったので、まあ、そんなことも鑑み(しかし、普通息子にされたら対抗意識ってわかるけど25年やらなかったのにですから、婿はもしかして、ばばちゃん達のスーパーアイドルなんでしょうか?)この際、お互いにイベントごとのやり取りは止めましょうと、話し合って、バレンタインチョコも止めました。

が!!

実はですね~~、この、バレンタインデーがなかったらもしかしたら私たち結婚しなかったかもなんですよね。
当時、確か今の夫に会うのが2回目か3回目か?で、それがたまたまバレンタインデーがその年は日曜日だったんです。

待ち合わせ場所のデパート1階入口には特設会場があり、大勢の人だかり。

まあ、まだ、好きも嫌いも感じていない時で、相手がどんな人かもよくわからないので、チョコレートを渡して誤解されても困るし、かといって、バレンタインデー当日に男の人と会うのに、全く何にもなしでもなあ、と、迷った挙句、板チョコ(一応外国製)を買っておいて、成り行きで、というか、渡しても変な誤解しないような感じなら渡そうかな。渡せなかったら父親への義理チョコでいいか。なんて思っていたんです。

その日の彼は、気さくで、明るい人なんだなって思って、帰りがけに、
「今日は、一応、男の人にチョコレートを渡す日みたいだから」と差し出すと、
「え?いいの??ホントに僕がもらっていいの?僕でいいの??」
と大喜びなんです。例えは悪いですけど、わんこが飼い主にあって、大喜びして尻尾ふってるみたいな感じ。尻尾降る犬はぶてないっていうじゃないですか。まさかそんなに単純に喜んでくれるとは思わず、まさか、今日日曜日じゃなかったら、買わなかったなんて、言えないし、まあ、正直言うと、その様子が好ましく思ってしまったというか。

で、気の早いわんこは3日後、昼休みに勤め先に電話をしてきて、「今何食ってる?卵焼きかあ?ところで、今晩会えないかなあ」なんて言ってきて、その晩プロポーズされました。

答えは言わなくてもわかりますね。

次の日曜日にはもう、式場を覗きに行くという、早手回しですわ。

てな訳で、バレンタインディーというのは、私にとっては思い出の日でもあるので、華々しくではない程度、わからない程度にひそか~~に祝っているんですよ。たとえばハンバーグ、微妙に❤とかね。

前置きが長くなりました。

チョコ、というか、バレンタインデー今年はどうするかな~~と思っているところに、日経新聞に「サラミチョコ」の作り方が載っていました。

材料も身近なものだし、費用も道具も掛からないので、変にその辺でチョコ買って来るよりも良いかなと思って、作ってみました。

材料は
これにプラス、マシュマロ30gとバター10gです。

実は板チョコ一枚にラム酒がいるのですが、ラム酒をもともとチョコに入っているもので代用しちまおうって魂胆です。
ビスケットは中の6枚使います。

まず、板チョコレートと(刻んでとなっていましたが)ラム酒入りのチョコを半分(丁度大きく2枚になっていたので)入れものの中で細かく砕いて、ラップをせずにレンジの300Wで試しに30秒チンしてみました。(作り方では500Wで一分となっていましたが)もうそれで、かなり解け、シリコンのスプーンで混ぜると、ちょっと形の残っていたのもあっという間にペーストに。



さらにそこにマシュマロとバターを入れ(作り方ではマシュマロ入れチン、さらにバターを入れてチンとなっていましたが、チョコが熱くなりすぎるように思ったので、一緒に入れてしまいました)



1分300Wでチン



マシュマロをなんで入れるのかわからなかったのですが、ここでわかりました。ぼわ~んと膨らんだマシュマロ、チョコと混ぜると、あっという間に生クリームのようになってチョコに混ざってしまいました。

そこにビスケットを1センチ角に刻みとありましたが、そうそう、綺麗にはなりません。適当な大きさにこれも砕く感じ。

それを混ぜると、ビスケット6枚とありましたが、ちょっとこのビスケットは多すぎたので、3枚分ぐらいを混ぜて、



自然になんとなくまとまってくるので、クッキングシートの上に載せて、ここで棒状に



両端をひねって冷蔵庫で冷やし固めました。

半日たった先ほど切って見ました



おお~、サラミのようになってる。

今晩、ビスケットの代わりにナッツ類を刻んで入れてもう一本作ろうかなと思っています。

混ぜるのに使う道具はお皿とシリコンのスプーンのみ。台所も汚れないし、材料費も安いし。固める時間を除けば、30分なんて掛からないぐらいでかたずけまで終わります。

材料費、えええ~っと、板チョコも88円だったし、マシュマロ100円だし、300円ちょっと?ラム酒を買うと高くなるかな?はりこんでも、たかが知れてます。

何より手間が掛からないのが良いよね~~~。

なんちゃって手作りチョコでした。

介護予防は必要か?

2012年02月12日 | これって介護?
先日、とあるところに、ちょっと不安に思っていること(姑に認知症の症状があるのではないか)を、相談しました。他の方は親身になって相談に乗ってくれると言うのを聞いて、相談してみたんですが、参考にこれを読んでみてあてはまったら認知症です、との返事でした。

「当てはまるのかどうか」わかれば聞きませんよ。ちなみに、テストというか、当てはまる項目は5個ありました。(5点というか)
はっきり言うと、5項目当てはまるけれど、どうしたらいいかと言うことを聞きたかったわけですよ。2点以上あればそうです。とありましたからね。

ちょっと、当てにしてしまっていたので、正直言ってすごくがっかりし、たぶんくらだない相談を忙しいのに持ちかけたということなんだろうと、また、相談するほどの事ではないのに大騒ぎしていると言われて相手から拒否されたような感じで、なんでそんなに腹が立つのかと思うほど、腹が立ちました。

まあね、最近介護関係のブログを拝見するんですが、ほんと、うちなんか相談するには値しないような状態ですわ。あんたなんか相手にしていられないって言われているように感じました。本当に大変な症状を見ている人から見たら、へでもないんでしょうね。門前払いされたっていうより、足払いされた感じがしました

私、どっちかというと、感情はコントロール出来る方です。いきなり爆発っていうのはそうそうありません。でも、自分で気がつかないうちに色々たまってきて、最後の1滴で溢れてしまったのかもしれないですが、その事をきっかけに、なんだか、姑のやることなす事、イライラしてしまうようになりました。なんていうんですかね。今まではやり過ごす事ができたのに、できなくなりました。

とは、いえ、まだ自制心は残っているので、相手に対してぶつかるっていうことはないのですが、自分の気持ちが波立っているのが、よく、わかるんです。

鬱々としてしまうっていうか。

良い方には考えられません。

極端な言い方をすれが、私には「明るい未来はない」「今まで以上に束縛された人生しかない」としか思えなくなりました。頭の中に、けいいっさの階段を上がる後姿が浮かぶんです。わたしも、けいいっさと同じだ。

確かに、姑も舅も、年齢から言ったら立派といえる状態です。

でも、いつまでもそのままではありません。確実に急速な衰えが感じられます。不安な要素もたくさんあります。一応、私も医療関係の仕事をかじっているので、勉強もしています。その中で、認知症と認定されるのは発症してから3年から5年たっており、何よりも早期の発見が大事ということも知識としてあるのにもかかわらず、その対応が出来ない。

心の中に黒いしみのように、将来の不安と言うものが広がってくるんです。

そういう、気持ちってなかなか理解してもらえません。クモの糸に絡まったようなと言ったらわかっていただけるでしょうか。

一緒に生活するようになってからの年月の方が、自分の親と暮らした時間よりも長くなりました。それなりに、「愛情」というものもあります。でももめ事がなかったわけではありません。はっきり言って我慢して過ごして来ました。正直にいえば、これで出て行かない嫁さんはいないよ、っていうこともされてきました。

でも、一緒に生活し、ちゃんとほとんどの家事も、子育ても一人でやってきて、もちろん、もしもの時は看護も介護もするつもりでした。

けれども、そんな気持ちはぷちっと、上記の一件で、簡単に切れてしまいました。

あ、そう、別に心配する必要はないのね。

私が勝手にそう思い込んでいるだけで、余計なことをしているのね。

介護予防なんて大看板はどこへ行ったんだ。



姑はお正月に舅が出かけた留守に、誰かに渡すお金の包みが見つからないと言って、私にお金(綺麗なお札で)を貸してくれと言ってきました。言われた金額が無いわけではなかったのですが、私も綺麗なお札が必要だったので、おじいちゃんの携帯に電話して聞いてみたら、と言いました。
ああそうだね、よしこさん電話してもらおうかと言って部屋に入りそうになってしまったので、タイヤルはしてやりましたが、そのまま「自分で聞いてください」と言ってテーブルの上に受話器をおいて、私は知らん顔しました。だって、いつも自分でどこにでも電話しているんですから。

そんな調子で、どこかに行くのに私は歩けないだの、寒いからいけないだのと言って、すぐ近くでも送らせる姑です。

口癖は「何何してもらおうか」です。

そう思ったら、もう見ない聞かないと言うことにしようと思って、思わせぶりなことを言われても全く感じないふりをしました。

たぶん、姑も感じたんでしょうね。

舅がゴルフに行っていない日、いつもなら「どこそこ行かなきゃならないだけどおじいちゃんがいないだよ」と言ってくるのに、歩くとちょっとある場所だったんですが、一人で出かけました。それほど時間掛からずに(いつもはちっとも帰って来ない)帰ってきたし、なぜか食器も洗っていました。いつもは作らないのに、ちゃんと作っていました。

ほお~、出来ないんじゃなくてやらなかったんだね。

やれば、できるじゃん。


子どもが生まれた当初、朝お湯を沸かすのだけお願いしました。そうしたら、「嫁をもらったのに、わたしん、お湯も沸かさなきゃなんないだよ」と実家に言いつけられたことがあって、以来、手伝いは一切頼まず、嫁である私がしないといけないことなんだと、意地もあってやってきましたが、そんなことはもう必要ないようです。

食事の内容も、相手が好きなものや食べやすいものなんて考える必要はないって事ですわね。だって、食べたきゃ、自分で買って来て食べているんですもの。そんあこと考えずに作りますわ。



それなのに、講習会の帰り、福祉エリアに寄って、お風呂などにつける手すりはないか、段差解消の道具はないかと覗いてしまっていました。

バカな私ね♪と思いながらね。

お役所仕事のただの展示と思って覗いたのですが、すぐに相談員の人が来て、いろいろ説明してくれました。

こんなパンフレットもくれました。





いろんな道具が建物や部屋や壁の様子に寄って、付けた時の感じが違うところまで、ちゃんと載っていました。

そして、ただ、用品の説明だけでなく、こちらの気持ちを察して、何かご心配なことがおありじゃあないですか?地域包括センターにも相談されたらどうですか?他にも相談に乗ってくれるところがありますよ。よければご一緒しましょうかと言ってくれました。
時間がもう、5時を回っていたのに、昔の役所では考えられない事です。

もし、とりつけするなら、介護認定も受けられた方がいいですよ、と言われたのですが、本人がそんな気持ちはないし、手すりもとりつけたらと言ったけれど、いらないと言われた事も話しました。ただ歩き方がこんな感じなので、と言ったら、本人が認定を受ければ、要支援1にはなると思われるので、介護予防が受けられるし、無料の教室にも入れますよ。と言ってくれましたが、認定には本人の意思がないとなので、うちではとても無理そうですというと、掛かり付け医から勧めてもらったらどうですかと言われました。
でも、それも、無理そうです。病院で言われたリハビリにも文句ばかり言ってなかなか行かないので、教室なんかいかないでしょうし。

いいんですよ。自立で。

急に何かあった時でないと、自分がいざという時にならないと、やらないでしょうし、それまでは私が動くことではない。

でも、近い将来、必要になることは確かなので、舅姑だけでなく、私達夫婦もいつどうなるか、わかりませんから。現実に夫は先日歩けなくなったし、私も変形性の関節炎だの、神経痛だのあるわけですからね。

ウチの玄関先、ほんとあぶないです。お風呂も洗面所もつかまるところがありません。増築した境の段差がかなりあります。

今はバリアフリーから、バリアアリーがいいと言われるようになったので、ちょっとぐらいの段差はあった方が介護予防にもなるでしょう。

転んでからの杖となることにしました。

もっとも車いすも逆に歩けなくなる原因とも言われていますから、杖を使わない方がいいなんて今に言われるかもしれません。

私も180度方向転換します。

なにより、ちょっと覗いただけなのに、暖かい対応に、心のとげとげが取れた感じでした

相談する場所があるんだと思ったら、心の荷がすとんと落ちました

同じ専門家なのに(立場は違いますが)目線が違うだけで、こんなにもこちらの気持ちが違うものなのかと、驚きました。

そして、私も医療のはしくれの、ほんの一旦を担うものとして、少しの言葉で相手を傷つけ、逆に相手を癒してくれると言うことを心して対応しなくては思いました。


※今まで嫁、舅、姑という言葉は極力使わないようにしていました。でも、この漢字からは逃れられないのだという、思いを込めて、使いました※



捨て子いや、捨て鉢になっていたシクラメン 2度めの花が咲きました。

2012年02月11日 | 
シクラメンのかほり

良い歌ですよね。布施明も、小椋佳さんともに、好き。

花も最近ミニシクラメンなんかも出てきて、昔のちょっと豪華な感じともちょっと違う、可愛らしい花も出てきました。

我が家では、玄関前の植物の管理はひいじいの管轄下。最近になって、夫がなぜか庭に花壇を作ると言いだして、小さい花壇を作ってくれました。
が、結局、管理は私でございますわ。
私は花が好きで生けたり飾ったり育てたりしたいのですが、ひいばあは、花柄や花弁がちったり葉が散ったり、どうしても香りばかりでなく匂いもするじゃないですか。湿気たり。そう言うのがいやらしく、いろいろ言うので、庭や玄関前を、私がいじるのは止めていました。
でも、私が花壇なんか作って育てたいって思っているのを、夫はわかっていたらしいです。
松の樹の前に花壇を作ってくれました。

相変わらず、何か植えたりするとひいばあが、口出してきましが、柳に風でございます、ハイ。

さて、今まで庭を横目でしか見ていなかったんですが、その、松の樹の裏側や、庭のコーナーになっているところに、ひいじいが玄関に置いていた鉢物をそのまま、ほおり出してあるんです。その中にシクラメンの鉢がありました。

何かで夏越しさせて冬にまた花を咲かせることができると書いてあったのを読んだことがあったので、球根がむき出しになり、葉が枯れていたのを、葉を丁寧にとって、夏越しさせたら、葉が一杯でてきました。なんどか葉が茶色くなってまた葉が出てを繰り返しているうちに、葉がこんもりなってきたし、朝夕寒くなってきたので、軒下の日当たりのいいところに置いておきました。すると年末になって、一輪花が咲きました。そのまま、水やりを続けていたら、だいぶ蕾がついてきたので、お正月の三ケ日が過ぎてから家の中に入れました。

その時はまだ、七,八輪の花で、ひいじいも、へえ~、花がついたんだねと、それほど感心した風ではなかったし、玄関にひい爺が年末に買ってきた大輪のシクラメンが置いてあるし、下は日当たりのいいところはリビングしかなく、午後には陽が入りません。

まあ、どうせ、他に見る人もないし、関心もないだろうと、二階に上げて、陽の回るのに合わせて、置く出窓も移動させ、夜は窓辺は冷えるので、廊下に移動。水やりたっぷりってやっていたら、たくさん花が咲きました。

      

まだまだ、花芽もたくさんあって、次々咲きそうです。でも、肥料などはやっていないので、どうしたらいいのか調べてみました。→こちらに詳しく載っていました。

調べてみると夏越しして、次に花を咲かせられるのは50から60%だとか。

ウチの辺は温暖なところなので、年末まで外に出しておきましたが、12月には室内に入れた方がいいようです。

シクラメンって花が終わったら、それで終わりと思われがちですが、それほど大変なせわではありませんから、次の年もぜひ花を咲かせてあげて下さいね。

シクラメンのかほり 私の青春ですわ。

     2度目の春が咲きました

ちなみに、このシクラメン去年の物ではありません。たぶん3年前かと。それでも生きていたってすごいですね。

オレンジブーケ

2012年02月10日 | グルメ
ちょっと、変わったお野菜をいただきました。

オレンジブーケと書いてありました。

ブロッコリー?カリフラワー?が淡いオレンジ色になった感じです。

ちょっとピンぼけになってしまったんですが、軸のところを見ると、ここにも薄いオレンジ色のリングが。房を切っても中までオレンジ。

茹でても色は薄くならず、綺麗なオレンジのまま。

        

※写真はクリックで大きくなります。記事に戻る時は、PCのバナーの戻るキーで。撮影は携帯電話の画像で、ちゃんと白熱灯、グルメに設定した一番左と一番右は綺麗な色に出ていますが、そのまま写してしまった真ん中2枚は色が薄くなってしまいました。軸の色ももっと濃いオレンジが入っていましたよ。

実は、我が家では花野菜系の野菜は、男性軍一人も食べず、ひいばあもたまに食べるだけ。

私、大好きでございますわヽ(^o^)丿

今まで、少量のブロッコリーを(カリフラワーは大きいからねえ)色どりに入れて、殆ど自分で食べるって感じでした。

おほほ、食べなくってもいいんだい。私が食べるんだから、どど~~~んと真ん中に出しときました。

初めて食べましたが、味はカリフラワーですね。あっさり、柔らかく美味しかったですよ。

他は、何出したっけ?

あ、そうだ、塩タラを焼いて、豆腐ステーキ、ホウレン草に、味噌汁だわ。危ない危ない。危うく記憶からポロリしてしまうところでした。

今まではちゃんと魚は魚、他も小鉢や小皿に盛りつけて出しましたけど、ワンプレートで出しときました。文句は言わせないわよンヽ(^o^)丿
作るのも、洗うのも、温めるのも、私がやってるんだからね。

骨?あったら、喉つかえない様に、気をつけておとり遊ばせ。皮に身が大部分残っちゃうって?あら~~、ご愁傷さま。
豆腐ステーキがあるから、大丈夫っしょ。

きったなく残しても、私、気にしませんから。

バクバク、オレンジブーケ、食べたりましたわ。

つられてひいばあ、お皿にとり、手でちぎってマヨネーズぶちゅ、さらになぜかお醤油どば、仕上げに「玉ねぎ和風ドレッシング」をぶっかけて、完全にお皿の上にお醤油ベースぷかぷかオレンジ浮き、マヨネーズ浮き、玉ねぎのみじん切りが浮き、さらに削り節を掛けてました。ずっこ~~ん

ま、いいわな。お好きにど~ぞ

オレンジブーケ、軽く塩とレモン汁をふって下味をつけて置いたので、それだけで美味しくいただきましたわん

まだ、もう1株あるから、ばくばく、食べちゃうもんね(^_-)

青空  そして、白い富士

2012年02月09日 | 
今日はどうしても受けたかった講習会があったので、本当は仕事も忙しい時期なんですけど、頑張ってやってきて、講習会を受ける為に休みをとりました。

今日は風が強く、寒い日で、自転車では危ないと思って、自家用車で行きました。

会場の駐車場近くに公園もあるので、ちょっと寄ってみましたが、残念ながら、草が綺麗に駆られてしまって、たんぽぽが群生していたところも芝が短くあるだけになっていました。

でも、空を見上げたら、深い深い青でした。


野の花を撮るのはあきらめて、そうだ、確かここの上の階のデッキから富士山が見えるんじゃないかな?

会場よりも上の階ですが、まだ、時間は余裕があるので、上の階のデッキまで行ってみました。残念ながら外には出られないようになっていたので、窓越しですが、雪が一杯の富士山が綺麗に見えました。

充実の講習会、目一杯受けて、久しぶりの人にも出会い、良い時間が過ごせました。この講習会のことはまた後日記事にしたいと思います。

講習会を受けた後、丁度みたい介護用品の展示会場を覗いたら、いろいろ説明やら、相談に乗ってくれて、たくさん役に立つパンフレットもいただき、何より、相談場所が出来て、気持が楽になりました。そちらも後日

もう、時間も5時のキンコンが鳴ってしまいましたが、また急いで、上の階のデッキで富士山を。
少し夕暮れの富士山です。駐車場に向かう途中でも民家の間から丁度夕暮れの富士山が見え、結構こんな風に、少しの隙間に富士山が顔を出しているのを見つけるのってうれしいものです。

写真はクリックで大きくなります。是非綺麗な富士山見て下さいね。記事に戻る時はバナーの戻るキーで。

        

なかなか、こういう富士山、見れないんですよ。

うん。今日は、いい日だったなヽ(^o^)丿

ひいばあの洋裁の先生

2012年02月09日 | 同居のあり方
「おばあちゃん」と呼ばれることを拒否し続けてきた、元お嬢さんの夫母も、私の孫に「ひいばあ」とよばれる事となり、ついに観念してばあちゃん飛ばして、「ひいばあ」と自分のことを曾孫の前では、目じりを下げて言うようになった。

最初におばあちゃんと呼んだ時の怒った顔ったらなかったけどね。

だからずっと「おかあさん」と呼んできたけど、最近は、普段から、少なくとも孫の話をする時には、私も「ひいばあ」って呼んでやるんだ~~~。お~~ほほほ。

わたくし?「よしこおばあちゃん」でございますわ。

夫?「Мじい」夫父「ひいじい」

かわいそうに婿さんのお母さん、猫がいるので、「ねこばあ」ええ~~

おほほ、わたくし「よしこおばあちゃん」ちょっとえっへんなんです。あ~~、話がずれちゃった。

その、ひいばあがですねえ、前々からかれこれ、20年にはなるかなあ。すぐ近くのお宅に洋裁を教えてもらいに行っているんです。

ひいばあの同級生が2人(つまり84才)と他に、ひいばあ前後のお年寄りばかり。つまり、80代4人。(まあ、昔始めたころは今の私ぐらいなわけなんですが。)
先生もたぶん70歳前後だと思うのよね。

そのお宅とは、近所づきあいっていうのももうかれこれ50年ぐらいになるらしいです。その奥さんがお嫁に来るときに、嫁入り道具を見に行って、箪笥の中まで見たんだとか。と言っても、別居ですよ。それなのに、そんなことしたんだね。

ああ~~、また話がずれてるんだけど、ここ、外すとわかんないからね、ちょっとお付き合いくださいね。

まあ、地元の旧家の分家らしいですが、しばらく同じメンバーで洋裁を習っていたんだけど、突然、もう年だからと教室を閉めて、おばあちゃん達も仕方ないねなんて言ってたのね。

そうしたら、突然引っ越しのトラックが来て、奥さんだけ大荷物共に風と共に去りぬになったのねえ。

ホントに、何の挨拶もなしよ。

おばあちゃん、かなりのショック!!

ご主人は元通り、住んでいるわけ。

奥さん、どこへ行ったかわからない。

老々離婚ってやつ??

2年ほどして、ご主人は施設に入り、家は更地になった。

なんかさ~、諸行無常を感じたわよ。しばらく更地のまま、雑草が生え、その雑草の中に庭に植えてあった観賞用の植物が混じっているのね。それに、つる植物が絡まったりしてさ~~。

結構大きな家だったし、その周り何件か家が空き家になってしまったお宅が出て、その、一角とても寂しい風景になってしまったの。

それから、2年ぐらいしたかな?

土地は2つに分割され、2つの会社が入って、片方に一軒の家が建ちだした。

そして、挨拶に現れたのが、出て行った奥さんとその娘さんだった。(だそうだが、私は見てないからわからない)
挨拶と言うのは工事をしますからご迷惑お掛けしますの、工務店の人の挨拶に施主がくっついてきた形。それも、現場でその奥さんを見かけた、おばあちゃんが、「ちょっとあんた」と抗議に言ってきたから、挨拶に来たらしい。

ほどなく、家は建ち、娘さんの名前の表札がかかり、さて、そこに彼女が一緒に来るのか来ないのか謎だった。

住み始めて何日かして、町内会に入るための手続きに班長さんが行って確認して、親子でいることがわかった。離婚のときに土地を分割し、その土地に家を立てて戻ってきたのだ。

え~~~でしょ?私はいやだわ。出来れば土地を売って別のところに建てるわね。

しかも、誰にも言わないで引っ越して行ってですよ。

私、まだその人の顔見てないのよ

もともと、私とは話をしない人だったので、まあ、目礼ぐらいは相手もするけど、あまり、感じのいい人ではないのよね。それなのに、気に入った人?仲のいい人?とはずっとその辺で長話をしている人だったんだけど、引っ越してきた後、全く外に出ているのを、少なくとも私は見てないのよ。

その、まだ、本人がいるんだかどうだか、確認取れるか取れないかの時に、突然、ひいばあが、また、明日から、彼女に洋裁を教えてもらうのだと言いだして、ひいじいと共にお口あんぐりですよ。ひいじいも町内会費なんかの事があって、事情が事情なんで、聞きにくく、何人で住んでいるんだか、やきもきしていたときだったからね、「え~~~\(◎o◎)/!ど、ひゃ~~ん」です。

しかも、前のメンバーに声を掛けて、皆来るからですって。

え~~~、近所に挨拶は出来なくっても、それは出来るんだ。
どういう神経よって、正直腹立たしかったね。
どのぐらいお月謝をとるのか知らないけど、普段はそんなこと聞かないけど、どういうつもりって思って、ちょっとしつこくひいばあに聞きましたよ。

なんか、騙されてないか~~~?
だいたい、私、一度も顔も見てないんですけど。前から私あの人信用できないんですけど。
どうして、そんなことになったの?

ひいばあ、よろよろ(いつもはきっつい言い方する人なのにですよ)「○○さんから、また教室を始めるから、来てと言われた。他の人も皆来るもんで…」
「よく、誘えますね。だいたい、私まだ、挨拶もしてないですよ。別にいいですけど、おばあちゃんも怒ってませんでした?私なら行かないですよ。それに、(以前他の事でもトラブルがあったので)私あの人、信用できないんですけど、大丈夫ですか?」

「離婚しちゃって年金も少ないもんで大変なんじゃないかと、思うだよ。」

「でも、よく、前にやっていた人に声を掛けられますね。だいたい、○○さんは前から私とは口もききたくないらしいですよ。ウチに何か持ってきてくれる時も(なぜか7時過ぎにお赤飯と科お寿司を持ってきてくれていた)荷物を後ろに隠しちゃって、おばあさんいますか?って言うのよね。別に隠さなくてもいいじゃないですか。なんでですかね。私はっきり言って○○さんとはお付き合いしたくないんですけど。」
「別にかくしちゃあいないしょ?」
「隠してますよ。横じゃないですもの。手を後ろにやってこうやって隠していますよ。はっきり言って、すっごく、嫌な感じ。それに、あんなに立ち話長々する人なのに、私が挨拶してもちょこっとおじぎはするけど、何も言いませんよ。私の事がよっぽど嫌いみたいですね。(言外に、あんたが、私がご飯作ってくれないとか言ってないか?ギロ(ー_ー)!!をにじませてね)
て言ったりました。

「……」

「もしかして、食事が別って思ってません?(はっきりって嫁が作ってくれないとか言ってないかい??)」
大慌てで、「そんなこたあないだよ(おろおろ)」
私は知ってますよ。いろんな事が別ルートで私の耳に入ってきてますもの。今まで言わないだけでね。まあ、ばあさん同士いろいろ言いたいでしょう。私も友達と話はしますよ。でも、それが本人とはわからないように話をしますよ。実名は出しません。私の友達の話も「実名」で話をしているから、一人のおばあさん、彼女に「あんたかね、何々ちゅう人は、あんだ、こんなんだったんだってね」と面と向かって言ったらしい。彼女、誰から聞いたんですかって言ったら、ウチの名字を言ったんですよ。当然彼女は怒りますわね。危うく誤解は解けたんですけどね、彼女とたまたま、スーパーであったんですよ。その時にその話を聞いて、彼女もああ、おばあさんが言ったんだとわかってくれたんですけど、ずごい、気分悪いですよね。

私の実家の内情も話しているみたいだし、せめてオブラートに包めよ。

また、このばあさんたちの横の繋がりってすごいんですよ。アナウンス効果っていうやつ?

また、あれをやるわけねって、まあ、おばあちゃんの社交場を閉ざすつもりはないけど、とにかく「先生」他にも問題ありなんです

こんな話、どうでもいいと思いますが、残念ながら長~~~い続きがあります(;一_一)

※どうでも、いいけどさ~、私まだ、この人の姿見てないんですけど。ばあさん曰く、籠っていて、買い物も娘さんがやっているとか。どうでもいいけさ(;一_一)

手を出さない、見ない…と決めて

2012年02月08日 | 同居のあり方
※はっきり言って、愚痴です。読みたくない方は飛ばして下さいm(__)m

一度は夫の両親の認知度に疑問を抱いた私。

認知症、これは病気なのだ、と思えば、許せることもたくさんある。
けれども、これが認知症ではないなら、完全同居の「嫁」とすると、昔式の言い方なら、「嫁の立場」ならじっと我慢しなくてはならないことなのか…。
いつまで、我慢しなくてはならないのか…
ずっと元気でいそうな夫の両親をみると、私の将来は暗いと思ってしまう。

大丈夫だよ、別に心配ないよ。

お気楽に言われる言葉に、ひどく落ち込んでしまう。

いいじゃない?元気で(親が)。何の心配もないじゃん。

一番傷つく。

あと、20年は充分元気でいそう。私の方が先に逝きます。


たとえば魚

骨がある、残っていると怒るので、皮も骨も身がばらばらにならないように気を使って、出来るだけとってから出していた。

お茶碗もお箸も全部出し、お湯も一杯にし、でも、お湯だって大勢で使うんだから、途中で亡くなる時もある。

薬用の湯ざましも、熱くなく冷たくなく用意しなくてはならない。

出かけるときはお醤油さしの中、ポットの中、使いそうなものの補充は確認しなくてはならない。

こんなことも、何もしなくても私がするものと決めている。

食べようと思ったら、何なにがなかったから食べれなかった。

ちゃんと予備のものがある場所、知っている。出せばいいじゃん。でもそれは嫁の仕事。やってなかったと言わなくてはならないのだ。


いいじゃない?元気で(親が)。何の心配もないじゃん。

私達は元気だ。なんでも出来る。まだ、60歳だ。(残念ながら立派に80過ぎに見えますが!)

では、なんでもやっていただきましょう。


魚 骨をとらないで出します。

支度をするのによろよろ台所に入って来られると、余計に手間がかかるから、物は持って行きますから、あとは自分たちでやっていただきましょう。足りないものがあったら、遠慮なくおだしくださいませ。

ああ、出して使っただよ。だけどね、出てなかっただよ。

そお~ですか、困ったでしょう?大変でしたねえ~~。

いやあ、こまりゃあしなかっただけどね…。

そうですか、それなら良かったです。


お昼、私は仕事で遅いお昼になり、夫両親は自分たちで食べている。

一応、ご飯もパンもおかずもそれなりに用意はしてある。

でも、「自立」しているオット父が好きなものを買ってくる。出かけていたオット母は帰りにこれまた好きなものを買ってくる。

自分たちでやってくれれば別に私は文句はない。

いやなのは、「嫁にはやらない」っていう態度。

先日もいつも土曜日に私は自分の整形外科に行くが、あまりに強風と寒さで、返さなくてはならない本を図書館に持って行っただけで、外科に行くのをやめて、帰ってきた。

いつも、土曜日はオット母は午前中に公民館に出かけ、昼過ぎに帰ってくる。

私が出かけて帰ってくたら、オット父も車で出かけて留守だった。

ほどなく帰ってきて、大きな声で(自分では大きいとは思っていない)「何?あんまに行ったんじゃないの?もう帰ってきてる?え~、どうして?」などと夫に聞いている。
さすがに夫、私に気を使った言い方で、返事をしている。
「なんだあ、いるのか~」
どういう意味??

いない方がいいって??そう言っているのか?

だいだい「あんまさん」に行くわけではないし(;一_一)

きっと私に都合の悪いことがあるんだな、と思ったから、お昼少し前のぞいてみた。いつもなら、早目にお昼にするのに、食卓のところには誰もいなかった。

母親が帰ってくるのを待っているのかと思ったので、夫のお昼があるから、12時ごろになって行くと、オット父、やはり、白い袋の中から、カツかコロッケか、そんなものを直接食べている。はしで指さして袋ごと夫にも食べろのしぐさ。

私はそういうのが見ないように、サラダやら、お惣菜やら、皆が食べれるように出している。
そのうち、夫母が帰ってきて、夫父はまた、袋ごとオット母に差し出す。
オット母も中身だけ、私に見えないようにして出しながら、食べている。

そういうの、すごいいや。

不愉快極まりない。

でも、私は見てませんから。

お好きなものをどうぞ。

そして、空になったパックごとそのまま、白い袋の口が閉められ、はじめオット母の足元に落とされ(隠しているらしい)その袋がやがて、台所の流しの下の床にポンと置かれている。
松坂屋の袋だった。わざわざおデパートに言ってひれかつを買って来たらしい。そうですか…

それはいいけど、ゴミ箱に入れろよ!!隠すなら、最後までやれ!!!

じゃまだ!!!

先日もお昼過ぎに帰ってきたら、2つ空袋が台所に転がっていたから、そこに夫母がいたけれど、ボンとゴミ箱に投げ入れ、ぎゅう~と押し込んだ。

次の日から、ゴミ箱の上に、はみ出して乗っかっている。






けいいっさ

2012年02月07日 | 生きる道
おじいちゃんの家に、「けえいっさ=けいいちさん」と呼ばれているおじいさんがいた。
おじいちゃんの家(私の母親の実家)は、いわゆる過疎地、本当の奥まった田舎の旧家だった。そこに、住み込みの昔の言い方で言うと、「作男」の「けえいっさ」(正確には「けえいっつぁ」という発音になるかしら?)がいた。
けいいっさは寡黙で、いつも土間に一番近いところに一人ポツンと座っていた。
少し離れたところに箱膳と呼ばれる一人ずつの小さな机のようなお膳(引き出しがついていて、そこにそれぞれのお茶わんとお椀とお箸が入っている)の前に、おじいちゃん一家が座り、食事をしている。
水が大切な山間部なので、それぞれのおちゃわんは洗わずに、食事の最後にお茶をお茶わんに入れ、沢庵で、回りのご飯をおとし、それを今度は味噌汁のお椀に入れて、綺麗に飲みほして、一人ずつの箱膳に入れる。
しつけは厳しいとはいえ、従兄弟たちはにぎやかに食事をしている。
おじいちゃんは明治生まれの髭をたくわえた、頑固一徹の、笑った顔は見たことのない人だった。私はちょっと怖くて、おじいちゃんの膝に乗ったりなんて出来なかったけれど、従兄弟たちは遠慮なくまとわりついている。
一家の食事が終わるころ、土間をつたって、やってきた、けいいっさは上がりがまちに腰かけると、地下足袋をぱんぱんとはたいて、自分の席に着く。
すると、おばあちゃんが、ご飯を盛りつけてやりに、黙ってけいいっさの前に座って差し出す。けいいっさが口の中で何かもぐもぐしながら頭を下げる。
そのあと、おばあちゃんは神棚にお供えしたカチカチになったご飯を、猫のえさ入れにぼんと入れ、残った味噌汁をぶっかけて、猫にやる(文字通りねこまんま)
けいいっさは、一人前を向き、もくもくと食べて、食べ終わると、タバコを煙管で吸うと、しばらく、そのまま、たたずんでいる。
そして、2階の蚕部屋脇の、自分の部屋へ上がっていく。
夏休みは、しばらくおじいちゃんの家で過ごしたが、けいいっさは昼間は田んぼや畑で、もくもくと働いていた。
たまに母親がタバコ銭だと、いくらか握らしてやっていたが、彼がいわゆる給料というものをもらっている様子はなかった。


夏休み、一人でおじいちゃんの家に行った時、おばあちゃんと二人きりになった時に聞いてみた。「けえいっさには、お給料って払っているの?」
おばあちゃんは、「あの人には、ちゃんと住むところも着るものも食べるものもやっているから、給料はなくてもいいんな」と言った。「それでも、ちゃんと払わなければいけないんじゃない?そうすれば、ちゃんと家庭も持てるでしょ?」その時なんて答えたのか、覚えていない。結婚はできないと言ったか、そんな(事が出来る立場の)人ではないと言ったか?そんなことを言ったように思う。

その時「飼い殺し」と言う言葉が思い浮かび、学校の授業で、戦後の農地解放の事を知り、戦前に「作男」とよばれる人たちがいたことを知った私は、彼がそう言う立場の人ではないかと、気になった。江戸時代は結婚できる人は商家なら、番頭さん以上だったとかで、独身で一生終わる人も多かったそうだ。農家や商家で一生そこで結婚もせず「飼い殺し」になる人も多かったと聞く。

昔の旧家の農家にはそう言う人がいるのが当たり前だったと、母は言う。けいいっさとなれなれしくしてはいけないとも、言われた。従兄弟たちもけいいっさがいてもいなくても、まるで空気のように、だた、そのにいる「物」としているように見えた。

そのころの田舎、特におじいちゃんの家のように山間部では耕作用の機械は入れられないから、田畑を耕すのは役牛と呼ばれる、牛が、体の後ろに大きな梳き鍬をつけられて、畑を耕していた。
けいいっさは、「役牛だ」と思った。

ほとんど自給自足の生活で、山に蝉の声が浸み入るような山間部の生活は、嫌いではなかったし、夏休みにしばらくおじいちゃんの家にいるのは楽しみだった。

けれど、目の隅に入る、けいいっさの黒い影のような存在はずっと、心の中に、残っていた。

私が高校生の時だったと思う。

学校から帰った私を待ちわびたように、母がけいいっさが亡くなったんだって。と知らせてくれた。

朝、けいいっさが下りてこないから、おばさんがのぞきに言ったら、もう、冷たくなっていたそうだ。

おじいちゃんが悲しがっていると、ちょっと意外な事を母は言った。

前の晩、お風呂からなかなかでてこないので、おじいちゃんが様子を見に行ったら、一心不乱に体をごしごし洗っていたそうだ。

もう、出ないとと言うと、「今日、お迎えが来るから、綺麗にしておかないと」と言ったそうだ。そして、その通り、たぶん、休んですぐにお迎えが来たらしい。部屋の中も綺麗になっていて、掛かっていた布団も綺麗に掛かり、まっすぐ上を向いて、ちゃんと手を組んで亡くなっていたそうだ。

けいいっさは文字通り仏になったのだと、思った。

それから、30年以上たった、ある日、母親に、けいいっさがなぜおじいちゃんの家で飼い殺しになっていたのか、聞いてみた。

けいいっさは、今なら知的障害と言われるような人だったらしい。そして、おじいちゃんの同級生で、おじいちゃんと仲が良かったのだそうだ。そう言えば、囲炉裏の前で、おじいちゃんとは話をしていたのを思い出した。

単に上下の関係、主従の関係ではなかったのだ。

農地解放があった時、小作の家だった、けいいっさの家にも土地は与えられたが、知的障害があるので、このままでは生きていけないと判断した母親が、おじいちゃんに一生面倒を見てほしいと頼んだらしい。

もともと、おじいちゃんの家の手伝いをしていたので、お母さんが亡くなった時に引き取ったと言うことだそうだ。

なぜか、おじいちゃんとは、小さいころからずっと仲良しで、けいいっさがいじめられているのを、おじいちゃんはいつもかばってやっていたそうだ。

そして、けいいっさが亡くなった時、おじいちゃんは大泣きしたそうだ。

30年も経って初めて聞いた。

あの怖いおじいちゃんが泣いたと言うのも信じられなかったし、また、けいいっさが亡くなって悲しんでくれる人がいたと言うことに、何かつかえていたものが下りたような、気がした。

ずっと、けいいっさの人生ってなんだったんだろうと、思っていたけれど、もしかしたら、けいいっさは孤独な、かわいそうな人生なんかではなく、おじいちゃんのそばで、幸せだったのかもしれない。


母も、おじいちゃんは、けいいっさが本当に好きだったんだよ。けいいっさが亡くなった後あんなにがっくりくるとは思わなかったと言っている。

考えてみれば、おじいちゃんは、けいいっさの亡くなった後、転んで骨折をし、そのまま寝たきりになり、往診に来てくれた先生が「おじいちゃん、頑張るんだよ」と言われて、うなずいて、そのまま天国に行った。

もしかしたら、けいいっさがむかえに来たのかな…。

一緒にまた、囲炉裏の前に座っているのかな…。


なぜか、最近、しきりに、けいいっさの事を、思い出してしまうの。

なせか、泪が出てくるの…。

なぜなのかな…。





ブログの変遷

2012年02月06日 | 日記
私がそもそも、ブログを立ち上げたのは、通っていたPC教室で、資格も取り、だいたいの講座が終了し、ブログの意味すらよくわからないまま、その講座を受けたことにある。

とりあえず、立ちあげないと授業が受けられないわけなので、よくわからず、登録。
残念ながら、そこのブログは1つのメールアドレスでは、1つの名前しか使えない。もちろん、登録名や題名は替えられるのだけれど、一度登録してしまうと、別のアドレスを使うには、それまでのブログを削除して新たに始めるしかないというのが、始めてからある事情で、そのブログを閉鎖しようと思った時にわかった。

事情というのは、自分では、個人の特定が出来ないように充分気をつけていたし、内容も人に読まれて困ることは書いていないつもりだった。
けれども、なぜか、子どものもと同級生が、あなたのお母さんのブログじゃない?と言ってきた人があったのだ。
そのブログには、目のところは加工してあったけれど、そして、写真も小さな写真でしか載せていなかったのだが、他では絶対に家族の写真など載せなかったのだけれど、結婚式の時の写真があり、それで、わかったらしい。確かに見る人が見ればわかったかもしれないけれど、そして、一度そうではないかと疑って読めば、やっぱりっていう文が出てくる。
子どもにとっては知られたくないことを相手に知られてしまった。ということで、直接私には言わず、兄弟に相談し、そちらが、私に、「お母さんの書いたブログのことで、悩んでいるから、せっかく書いたけど、削除してくれ」と言われてしまった。

でも、私にとっては、その記事は宝だった。
むしろ、その時の気持ちは、子どもたちにこそ読んでほしいものだった。
けれども、その気持ちは子どもにはわかってもらえず、むしろ、怒りを増加させる結果となってしまった。
私にとっては、その方がショックだった。
母親が子どもの結婚する時の気持ちって、子どもにとっては知りたくないことなのだろうか?

いろいろやってみたけれど、結局メールアドレスが見えてしまうものだったので、そこから自分が特定できてしまうのだ。

日記の部分の大部分は、仕方なく文の方を削除した。
けれども、消してほしいという、結婚式の部分は、私はどうしても削除したくないものだった。
仕方なく、とりあえず、パスワードを設定し、外部では見えないようにした。

そして、他のブログをいろいろ開設しようとしたが、うまくいかず、一カ所登録できたところで、今度は、そのころ趣味となっていた、花の写真を中心としたブログを立ち上げて、今度は個人の特定できないように、家族の人数や、構成、など、わからないように書いていた。

けれども、そこで、ちょっとトラブルが。

それは、そこは会員同士でのつながりが出来る手段があり、そこで、個人的な事は知られたくないのに、しつこく聞いてくる会員がおり、相手は、特別悪い人でもないし(と思える)悪意もないのだけれど、記事を書く以外の付き合いはしないと思っている私にとっては、その人のことは負担になってきた。相手が同性であれば、いい友達が出来たと言うことだったのだけれど、やはり、私には抵抗があった。

それに、ちょっと、以前にも一度記事にしたことがあるけれど、気持ちを履きだす場が欲しくなってきたのだ。

そして、ここに移り、前のブログの方は、閉鎖もせず、更新もせず、こちらで、開設したことはわからないように、してある。

前のブログ(2つ目の)は、以前のトラブルの時に、こういう、中身ならいいでしょ?と家族にも知らせてあり、心配ならのぞいてみてと言ってある。友達にも、ブログやっているんだよなんて、教えてある。だから、書きたい事があっても書けなくなった。ここに、本音を書いている事を、知られたくないと言う気持ちもある。

そして、ここでは、すべてをぶちまけるとは、行かないけれど、そして、共感してはもらえないだろうとか、読みたくない人もいるだろうな、と思いながらも、ちぃっちゃい、ちっちゃい、日常の感じたことを、その時の気持ちの流れを、書いていきたいと思っている。

日常の小さな小さな棘のようなものが、どこかでとれないと、大きな傷になってしまうのです。

節分も過ぎて

2012年02月05日 | グルメ
カテゴリーをグルメにするほどの内容ではありません。m(__)m
今まで、季節は買い物のついてに回り道をしたり、ちょっと出かけた先で寄り道をしたときに写してくる花で感じていました。
年末から1月は、別に閉じこもっていたわけではないですが、ゆっくり回り道をしたりするような余裕がなく、季節を感じる間もなく過ぎてしまいました。
え?寒さは感じなかったかって?

いやあ~、寒いってこともほっつき歩きが出来なかった理由でもあります。
それに、ちょっと頑張って回り道をしても、目的のところが整地されてしまって、いつもの回り道では、被写体に出会えなかったというのもあり、ただただ、忙しい、寒い、気持も冷え込むって感じで過ぎてしまいました。

訳もなく1月も終わってしまい、ついに節分。

最近はえほう巻きなるものが、あちこちにお目見えし、どこに伝わっていたものか、なんだか食べないといけないような雰囲気。どこのお店に行ってもそれにまつわるものばかり売っています。

本当はお寿司の太巻きを丸かじりするそうですが、もともと、そんなこと、やってないし、平均年齢70歳超えの我が家では、約4名窒息しそうですから、(もともと太巻きってウチの家族は食べないんですよ。私はお寿司と言えば太巻きで育っているので、ちょっと残念ですが)えほうまきなんて、食べられません。

イワシの甘露煮の柔らかそうなのがあったので、それを買ってきて、今日はイワシを食べるみたいね。と、言って出したけど、夫両親は「そんなこと、聞いたことがない」と言っていました

イワシの頭と柊を飾って、鬼を追い払うんでしょ?

と言っても、「そんなもん、聞いたこたあない」と言っていましたが(うちのお年寄りはその辺長老らしくなく、風習やしきたりの知識がまるでかけています(^_^;))

よく、ほら、イワシの頭も信心からっていうでしょ?それはここからきているのよ

と言っても、

「聞いたこたあない」と言っていましたが、丁度TVのニュースで、どこかの節分で、イワシの頭をいぶして、その煙と匂いで、鬼を追い払う行事の事をやっていて、

へええ~~。初めてきいただよ\(◎o◎)/!」
たぶん、来年もそう言うな。去年も同じこと言っていたもん。いやさ、ずっと同じこと言ってるもん。興味がないんだろうね

でもさ、お正月のお供え餅、一年中飾っておくの止めない??
私気になって、何度も言うんだけどね。最近のってパックに入っているでしょ?中身は私、出しちゃって、わざとというか、気づいてほしいから、お供え餅のお餅よと出すんですよ。でも、はずした中身のないお供えをまた、神棚にあげちゃうのよねなんだかねえ…、神棚見るたび、



え~~~、そんなわけで、今年の節分は、商業ベースにしっかり乗って、節分当日に半額になったこちらをデザートで、出しました。







青鬼さん、ちょっと不気味な色ですよね。赤おにさんもあって、そっちの方が包装紙の絵はかわいかったんですけど、中身が黄色メインに茶色の縞が少しなんですけど、ちょっと別物をイメージしてしまい(;一_一)中のクリームも濃いオレンジなんですよ。だから、ココアがたくさんのこちらにしました。

まあ、半額になっているのと、5人分に切り分けられるのが良くて買ったんですけど。

4つパックは、いろんなものが出ているんですけど、あと3つとか。
やっぱり4人がメインなのか、スーパーで売っているものって、和菓子も洋菓子も、大概4つ入りで、5個必要っていう、我が家にはちょっと不便なんです。

でもこんなもので、スイーツなんて言ったら、怒られますよねえ。

ですから、去年食事会で、でた、デザートのケーキを。






そこそこ、お値段のする、レストランに連れて行ってもらった時のものです。
さすがに、これはおいしかったですわ

やっと、梅の花が2輪咲きました

2012年02月05日 | 
ソシンロウバイの花を見た日は、やっぱり気分がよく、仕事もちょっと頑張って遅くまで(といってもいつもは1時半ごろを2時過ぎまで)やって、ちょっと充実感で、一杯のところ、でも、さすがにお腹が空いて、遅いお昼にがっつこうとしたところ、オット母のお出まして、また面倒な事を言いだしました。その件はまだ、後日。

そのことで、せっかくのいい気持ちが萎えてしまったんですけど、ちょっと、気持ちを振り絞って、買い物い行く時に回り道をして、毎年早く梅が咲く天神さんに行ってみました。

最近気持ちが萎えている原因の一つに、いつものぞく空き地、いつもならこの花がそろそろ咲きだすぞって、楽しみにしていた場所が、年明けにみんな、ほんとにそろいもそろって、更地になり、建設ラッシュ。そして、この梅の花の咲く天神さんも、新芽の出てきた枝が、10日ほど前に綺麗に切られてしまったのがあります。

蕾も付いてきたのに、と、切り取られ、束ねられた枝を見て、がっかりだったんです。

でも、もしかしたら、もう、そろそろ、花が咲くかも。

近寄っても、はやり、坊主になったような樹が見えるだけで、やっぱり駄目かなと思ったら、
2輪、咲いていました。やった~~。

枝の陰に咲いていましたよ。

    


    

いつもの年なら、1月の初めに咲く花も今年は、寒さもせいもあったでしょうけど、1ヶ月遅れで咲きはじめました。それも、ひっそりと。毎年綺麗に咲くとは言えないような、枝ぶりも悪く、隅の縮こまるように生えている樹。通りかかる人も、梅の花って気づいてもらえないような樹です。今年はあまり花は付けられないかもしれないですが、来年は咲けるかな?なにより、神社の樹がどんどん切り倒されているので、この樹自身の存在もあやういですが、なんとか、残って欲しいなあって思いました。リンク先の記事に乗っている、イチョウの樹の新芽も、電信柱の寄せ植えのようになっている木々も、刈られてしまいました。仕方ない事ですが。でも、この樹は残ってほしいなあ。

コサギのしろちゃん、久しぶりの再会です

2012年02月04日 | 
自転車で通勤の時には、ちょっと覗ける蓮池に、コサギが来ていました。

ソシンロウバイと同じ敷地内の池なんですが、あまり、凍ることのない温暖なところですが、さすがに池にも氷が張っています。

 


手前の道路に近いところに、コサギの姿が見えたので、そ~~と近くまで行って、自転車をスタンドを立てずにフェンスに寄りかけて止めて、そ~~と写しました。


      


寒いけど頑張って餌をとるか~とでも言いたげな様子。
ちょっと考えた末、嘴をカチカチ言わせながら、水の中を探しています。

後羽のところが寝癖のようにくるってなっている、去年もであったしろちゃん(私が勝手にそう呼んでいるコサギ)のようです。

でも、すぐやめて(もしかして私の事気付いたかな?)飛び立ってしまいました~~。

    


先日カキツバタの咲いていたあの池です。

寒さの中でも、また咲いたんですね。氷の水辺に寒そうに花が凍えています。



保線区からの富士山も、強風で雪が吹き飛んでしまっていました。

でも、雲もなく、綺麗です。




ソシンロウバイの花

2012年02月03日 | 

本当に久しぶりの花です。 昨日の寒さも少し緩み、気温は低いものの、風がなかったので、頑張って自転車で行った甲斐がありました(^O^)/ 毎年、綺麗に花を咲かせる場所に行ったら、青空に綺麗にソシンロウバイの花が咲いていました。 1ヶ月ぶりのお花です。 いやあ~、1月はいろいろ高齢者に振り回されて(本当の介護をしている人から見ればどってことない事ですが、精神的にはかなり来てました(;一_一))心の余裕をすっかりなくして、自分でもとげとげした自分の心に嫌気がさしていたんですけど(昨日も今朝もあったし)この鮮やかな明るい黄色には、癒されました~~。

    

青に黄色って、本当に綺麗ですよね。久しぶりに寄ってみましょう(*^^)v  

      

     

        

この、透けた時の感じ、他の花にはない、美しさですよね

いやあ~~、久しぶりに、気持ちが、和らぎました。

ソシンロウバイの花の後ろに、富士山も 写真はすべて、クリックで大きくなります。さらにクリックすると拡大します。戻る時はバナーの戻るキーで戻ってください。