曲がり角で みつけたもの

思秋期になり曲がり角に差し掛かってきました。その中で感じた事、見つけたものを記事にしていきます。

介護予防は必要か?

2012年02月12日 | これって介護?
先日、とあるところに、ちょっと不安に思っていること(姑に認知症の症状があるのではないか)を、相談しました。他の方は親身になって相談に乗ってくれると言うのを聞いて、相談してみたんですが、参考にこれを読んでみてあてはまったら認知症です、との返事でした。

「当てはまるのかどうか」わかれば聞きませんよ。ちなみに、テストというか、当てはまる項目は5個ありました。(5点というか)
はっきり言うと、5項目当てはまるけれど、どうしたらいいかと言うことを聞きたかったわけですよ。2点以上あればそうです。とありましたからね。

ちょっと、当てにしてしまっていたので、正直言ってすごくがっかりし、たぶんくらだない相談を忙しいのに持ちかけたということなんだろうと、また、相談するほどの事ではないのに大騒ぎしていると言われて相手から拒否されたような感じで、なんでそんなに腹が立つのかと思うほど、腹が立ちました。

まあね、最近介護関係のブログを拝見するんですが、ほんと、うちなんか相談するには値しないような状態ですわ。あんたなんか相手にしていられないって言われているように感じました。本当に大変な症状を見ている人から見たら、へでもないんでしょうね。門前払いされたっていうより、足払いされた感じがしました

私、どっちかというと、感情はコントロール出来る方です。いきなり爆発っていうのはそうそうありません。でも、自分で気がつかないうちに色々たまってきて、最後の1滴で溢れてしまったのかもしれないですが、その事をきっかけに、なんだか、姑のやることなす事、イライラしてしまうようになりました。なんていうんですかね。今まではやり過ごす事ができたのに、できなくなりました。

とは、いえ、まだ自制心は残っているので、相手に対してぶつかるっていうことはないのですが、自分の気持ちが波立っているのが、よく、わかるんです。

鬱々としてしまうっていうか。

良い方には考えられません。

極端な言い方をすれが、私には「明るい未来はない」「今まで以上に束縛された人生しかない」としか思えなくなりました。頭の中に、けいいっさの階段を上がる後姿が浮かぶんです。わたしも、けいいっさと同じだ。

確かに、姑も舅も、年齢から言ったら立派といえる状態です。

でも、いつまでもそのままではありません。確実に急速な衰えが感じられます。不安な要素もたくさんあります。一応、私も医療関係の仕事をかじっているので、勉強もしています。その中で、認知症と認定されるのは発症してから3年から5年たっており、何よりも早期の発見が大事ということも知識としてあるのにもかかわらず、その対応が出来ない。

心の中に黒いしみのように、将来の不安と言うものが広がってくるんです。

そういう、気持ちってなかなか理解してもらえません。クモの糸に絡まったようなと言ったらわかっていただけるでしょうか。

一緒に生活するようになってからの年月の方が、自分の親と暮らした時間よりも長くなりました。それなりに、「愛情」というものもあります。でももめ事がなかったわけではありません。はっきり言って我慢して過ごして来ました。正直にいえば、これで出て行かない嫁さんはいないよ、っていうこともされてきました。

でも、一緒に生活し、ちゃんとほとんどの家事も、子育ても一人でやってきて、もちろん、もしもの時は看護も介護もするつもりでした。

けれども、そんな気持ちはぷちっと、上記の一件で、簡単に切れてしまいました。

あ、そう、別に心配する必要はないのね。

私が勝手にそう思い込んでいるだけで、余計なことをしているのね。

介護予防なんて大看板はどこへ行ったんだ。



姑はお正月に舅が出かけた留守に、誰かに渡すお金の包みが見つからないと言って、私にお金(綺麗なお札で)を貸してくれと言ってきました。言われた金額が無いわけではなかったのですが、私も綺麗なお札が必要だったので、おじいちゃんの携帯に電話して聞いてみたら、と言いました。
ああそうだね、よしこさん電話してもらおうかと言って部屋に入りそうになってしまったので、タイヤルはしてやりましたが、そのまま「自分で聞いてください」と言ってテーブルの上に受話器をおいて、私は知らん顔しました。だって、いつも自分でどこにでも電話しているんですから。

そんな調子で、どこかに行くのに私は歩けないだの、寒いからいけないだのと言って、すぐ近くでも送らせる姑です。

口癖は「何何してもらおうか」です。

そう思ったら、もう見ない聞かないと言うことにしようと思って、思わせぶりなことを言われても全く感じないふりをしました。

たぶん、姑も感じたんでしょうね。

舅がゴルフに行っていない日、いつもなら「どこそこ行かなきゃならないだけどおじいちゃんがいないだよ」と言ってくるのに、歩くとちょっとある場所だったんですが、一人で出かけました。それほど時間掛からずに(いつもはちっとも帰って来ない)帰ってきたし、なぜか食器も洗っていました。いつもは作らないのに、ちゃんと作っていました。

ほお~、出来ないんじゃなくてやらなかったんだね。

やれば、できるじゃん。


子どもが生まれた当初、朝お湯を沸かすのだけお願いしました。そうしたら、「嫁をもらったのに、わたしん、お湯も沸かさなきゃなんないだよ」と実家に言いつけられたことがあって、以来、手伝いは一切頼まず、嫁である私がしないといけないことなんだと、意地もあってやってきましたが、そんなことはもう必要ないようです。

食事の内容も、相手が好きなものや食べやすいものなんて考える必要はないって事ですわね。だって、食べたきゃ、自分で買って来て食べているんですもの。そんあこと考えずに作りますわ。



それなのに、講習会の帰り、福祉エリアに寄って、お風呂などにつける手すりはないか、段差解消の道具はないかと覗いてしまっていました。

バカな私ね♪と思いながらね。

お役所仕事のただの展示と思って覗いたのですが、すぐに相談員の人が来て、いろいろ説明してくれました。

こんなパンフレットもくれました。





いろんな道具が建物や部屋や壁の様子に寄って、付けた時の感じが違うところまで、ちゃんと載っていました。

そして、ただ、用品の説明だけでなく、こちらの気持ちを察して、何かご心配なことがおありじゃあないですか?地域包括センターにも相談されたらどうですか?他にも相談に乗ってくれるところがありますよ。よければご一緒しましょうかと言ってくれました。
時間がもう、5時を回っていたのに、昔の役所では考えられない事です。

もし、とりつけするなら、介護認定も受けられた方がいいですよ、と言われたのですが、本人がそんな気持ちはないし、手すりもとりつけたらと言ったけれど、いらないと言われた事も話しました。ただ歩き方がこんな感じなので、と言ったら、本人が認定を受ければ、要支援1にはなると思われるので、介護予防が受けられるし、無料の教室にも入れますよ。と言ってくれましたが、認定には本人の意思がないとなので、うちではとても無理そうですというと、掛かり付け医から勧めてもらったらどうですかと言われました。
でも、それも、無理そうです。病院で言われたリハビリにも文句ばかり言ってなかなか行かないので、教室なんかいかないでしょうし。

いいんですよ。自立で。

急に何かあった時でないと、自分がいざという時にならないと、やらないでしょうし、それまでは私が動くことではない。

でも、近い将来、必要になることは確かなので、舅姑だけでなく、私達夫婦もいつどうなるか、わかりませんから。現実に夫は先日歩けなくなったし、私も変形性の関節炎だの、神経痛だのあるわけですからね。

ウチの玄関先、ほんとあぶないです。お風呂も洗面所もつかまるところがありません。増築した境の段差がかなりあります。

今はバリアフリーから、バリアアリーがいいと言われるようになったので、ちょっとぐらいの段差はあった方が介護予防にもなるでしょう。

転んでからの杖となることにしました。

もっとも車いすも逆に歩けなくなる原因とも言われていますから、杖を使わない方がいいなんて今に言われるかもしれません。

私も180度方向転換します。

なにより、ちょっと覗いただけなのに、暖かい対応に、心のとげとげが取れた感じでした

相談する場所があるんだと思ったら、心の荷がすとんと落ちました

同じ専門家なのに(立場は違いますが)目線が違うだけで、こんなにもこちらの気持ちが違うものなのかと、驚きました。

そして、私も医療のはしくれの、ほんの一旦を担うものとして、少しの言葉で相手を傷つけ、逆に相手を癒してくれると言うことを心して対応しなくては思いました。


※今まで嫁、舅、姑という言葉は極力使わないようにしていました。でも、この漢字からは逃れられないのだという、思いを込めて、使いました※