個ではない“真の自分”は“縁と無常”です。
「俺にちょっとわかるように言え!」と、「思考自我」は
吠えるでしょうが、それはちょっと無理でしょうね。(笑)
“真の自分”とか“空”とも“無”とも“神仏”そのもの
とか、例えで示しても「嘘言え!」になるからです。(笑)
この様に、すべて反発するものがある限り
永遠にわかりません。
『あっ、そう』と言っても言わなくても、嘘でもない
本当でもないことを、淡々と“只、実践”していけば
そこに目覚めてくるのです。
摩訶不思議な『心』を解明するには、“只なる実践”を
行じていくのが最適です。
『心』はご承知のとおり、頭脳であり、「思考自我」であり、
見て捉えたもの聞いて捉えたものはすべて『心』です。
優しい心、醜い心、憎む心、不安が付いた心、安心など
すべて『心』です。
あなたも私も『心』で、この世界は『心の世界』とも
幻想世界とも言えるのですね。
ですから真実世界にはあなたも私も無く、“一心”“無心”
“真心”とも呼ばれています。
つまり真実世界には『心』は“無い”ということで、
生きるも死ぬも“無い”ということです。
思考を使う人間以外の、動植物は思考を使いませんから、
生きるも死ぬも“無い”ということになります。
人間は思考を使う動物ですから、生きるも死ぬも“無い”
のに、幻想の生きるとか死ぬが出てくるのですね。
話は変りますが、私は仕事でロボット芝刈機を扱っています。
大枠で説明しますと、衛星を駆使したコンピユーターが
搭載されていて、それによって作動しているのです。
雨降り日でも真夜中でも、茹だるような暑い日でも
文句も言わず、芝や草を刈りながら年から年中
動き回っています。
音も超静かで、私(思考)にとってもすごく癒されるのです。
リチウムイオンバッテリーで、自動的に充電と稼動を
繰り返し、芝や草を刈っているのです。
お陰様で、ここに「思考自我」が搭載されていないので
正確に稼動します。(爆笑)
私が「ロボット芝刈機だ!」というものが
“無い”ということです。(笑)
在ると言っているのは私(思考)だけで、これは幻想と
“自覚”するまで、弛まぬ“只なる実践”の持続です。