只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

頭脳は必要ですが、頭脳に頼ったら迷宮入りですね。

2017-07-29 09:08:33 | 日記

思い考えは、過去で幻想で“”にはありません。

もちろん未来も現在も、“今この瞬間”という 無思考には
存在しません。

ですから“今”という事実が、今、今、今と流れて
いるだけで他はありません。

私(思考)という幻想から覆い隠された、
今、真実、真の自分”という“真心”は
永遠にわからないということです。

ですからいろんなことが出てくるのですね。
何か人生に対して、不思議さを感じるがどうすることもできない
辛くて、やることがうまくいかない
なんで、私は苦しさばかりだろう
思っていることの、逆ばかりがなぜ起こるのだろう
嫌な事が解決できないのはなぜだろう
なかなか楽しくできない
なぜ、あの人は私を嫌うのであろう
なぜ、世界は平和になれないのだろう
勤めている会社はなぜ給料が少ないのだろう

この様に私達は、なぜ?、なぜ?、なぜ?が多くて
憂鬱になり苦しんでいます。

それは私(自我)を自分としているからです。ですから
自分としている以上、どんな些細なことでも問題が
起きてくるのです。

また関わりの無い他人の事は、自分としていませんので
問題が無いのですね。

この“只なる実践”は、自分を徹底的に忘れることを
行っているのです。

忘じることを心配しなくても、喜ぶときは喜び、
怒るときは怒り、哀しむときは哀しみ、
楽しいときは楽しいと自然に流れているのです。

この様に“只なる実践”の持続によって、私(思考)という
幻想のベールが次第に解かされていくのです。

とにかく“”しかなく、厳密に言えばその“今”も
無く、いまいまいまいまと無常に流れているのです。