只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

W滑車を2台使用して木の根を抜いています

2015-11-26 09:32:03 | 日記
自己からの脱却、これに近づくとこれほどお気楽な事はありません。
逆に「自己からの脱却、何言っているんだ?」と
私(思考)に成りきっている方は
さっぱりわかりません。

自我からの脱却と言っていいのかもしれませんね。
自我そのものから離れなければ、
完全自己中心になりますから何が起こるかわかりません。

例えば戦争です、テロもそうです。
国のトップが自己中心であれば、あの領土もこの領土もわが国のものだとなり、
回りの関係国と戦争になります。

テロを起こす集団のトップが、この考えが正しいとなれば
それにそぐわなければすべて排除に向かいます。
大量虐殺が正しいとなるわけです。
なんと恐ろしいことでしょう。

私(自我)が強固なかぎり、このようなことが誰だって起こり得るのです。
ですから私(思考)〓自己を落とすことです。
本来は私(思考)は無く“涅槃寂静”ですから、
自己を落とすことによってそこに近づいていきます。
それには“実践”で明らかにするしかありません。

『多くの方がやるといいね』はありません、あなたしかいないのです。
本来にはたくさんの方は存在しないのです。

もちろん幻想世界は約60億人の人口です。
私(思考)が数えたわけではなく幻想の情報です。
ですから真実には外界はありません。
内面に意識を向け続ける事ですね。

それが“実践”です。


只の道…淡々と歩く

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“”で明らかにしていってくださいね。

ただ取捨選択するために
物事の本質を見極められないだけだ… 前回

   『外界に巻き込まれてはならない
      空という概念にも、とらわれてはならない


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
真実には外界はありません。
在るとすれば内面でしょうが
ひとつ”と言う言葉で集約されています。

この私(思考)の世界は他人が居る世界です。
ですから私(思考)の世界に惑わされてはならない
と教えられているのです。

また『空』がどこかに在るわけでありません。
『空』という概念は、例えですから
お間違いないようにしてくださいね。

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