只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

楽しいことはありませんがお気楽です

2015-09-22 11:32:04 | 日記
この世は思い通りにはなりませんね。
しかし、思い通りになりたいという人はかなりいらっしゃいます。
そこが苦悩が発生するところです。
なぜ?と言われる方が多いからです。

私(思考)は草1本も生やす事もできません。
そんなこと「当たり前じゃん」と言われます。
そうですよね、そんなこと考えなくてもわかります。

ですから考えてもわからないことは考えないことです。
「なぜ?思い通りにはならないのか」と考えないことです。
また、こうすれば良くなると思わないことです。
この世は相対世界ですから「良くなる」と思っても「悪くなる」が同時にあります。
ですからどうしようもないのです。

思わなければ『ありのまま』です。当たり前の世界です。
良くならないし、悪くもならないという丁度いいところではないでしょうか。
ここが事実の当たり前の世界ですね。

そこで、私(思考)は「当たり前の世界に居るには…」とまた考えるのです(笑)
考えなくても思わなくても、勝手に思考する癖が付いているのですね。
思考する癖を観てみると速さにして0,001秒です。
凄いスピードですから思考しているのがわからないのです。

ですから“只、観る癖”を付けるのです。
0,001秒の凄いスピードを見るなんて、
そんなこと出来ないと言われそうですがやってみることです。

プロ野球で剛速球の球を打つバッターがいるのです。
プロは眼にも止まらぬ剛速球の球を、打ちこむ練習を日々繰り返しているのです。
“只、観る癖”が出来たと言わなくてもいいんですが、出来た暁には大安楽が待っています。


只の道…淡々と歩く
【あらゆる宗教、政治団体とはまったく関係ありません】

僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
『真理に執着すれば度を失い 悟りという概念にさえ囚われて道に迷う』
真実は無であり空であり何もわからないのです。
概念(悟り)は人間が創作した幻想です。
ですから道に迷うのは、“無”であるのを有にするからです。


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
「悟り」は「悟り」ですから意味はありません。
「悟り」を目指している人は
思い描いている概念を捨てることですね。

楽したい・・・とお思いですか?
苦労したくない・・・とお思いですか?
思い描いている「苦楽」の想念を捨て去ることです。
本来、「苦楽」は事実にはありませんね。

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