只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

山地の畑にする構成がややできました

2015-10-28 11:21:35 | 日記
「真正直者は馬鹿をみる」ということがあります。
「正直は良い」というのが一般的な見方ですが、
いかがでしょうか。

片方には「真正直者は損をする」がある以上、
道徳的にはわからなくなります。

真正直は良い」、「不真面目は悪い」が一般的な見方です。
その一般的な見方の中には「真正直は損をする」、
「不真面目でも良い」もあるのです。
真正直・不真面目という言葉に思いがあれば、
善いとか悪いにしっかりと想念が付いているのです。

ですから、そのどちらが「正しい」のかと言うと
永遠に決められないのですね。
なぜ決められないのか?と、言われそうな気がします。(笑)

それは「真正直も不真面目も事実には無い」からです。
「真正直や不真面目」は思考であり・自我ですね。
私(思考)は生きている以上、真正直も不真面目にも拘らず
その時その場で、淡々と歩いていきます。

繰り返し言いますが「良い事も悪い事」も
同じ事なんですね。
裏も表も一緒です、表裏一体です。
ですから良い事も悪い事も無いのです。

頭脳が良い事と悪い事を分別(創作)しているのです。
頭脳が思考・分別する癖を強固にしたのです。
しかし、頭脳が強固に創り上げた思考癖を
次第に弱めていけば分別(創作)しなくなります。

人間の頭脳が分別(創作)しなければ、すべてはひとつです。
そしてお気楽になっていきますね。


只の道…淡々と歩く

お釈迦様の教えである『般若心経』の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、実践で明らかにしていってくださいね。
  
  『不生不滅 不垢不浄 不増不減』
  生じることも、滅することもありません。 
  汚いとか美しいということもありません。
  また、増えることもなければ、
  減ることもないのです。  (HP参照です)

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
私(思考)から観たらさっぱりわかりませんね。

事実から観ればよくわかるのです。
そう、文章のとおりです。(笑)
何と表わそうが、意味無く自由自在です。

幻想界の私(思考)は
すべて「生じる、滅する」と思っています。 
「汚いとか美しい、増えるとか減る」と思考しています。

では思考を無くせば
生じることも、滅することもありません。 
汚いとか美しいということもありません。
増えることもなければ、減ることもありません。

しかし生きているのですから
思考を無くすということはできませんね。
思考は本来「道具」ですから
必要なとき使って
使用が終わったら直して置きましょうね。

直して置いているときの状態が
生じることも、滅することもありません。 
汚いとか美しいということもありません。
増えることもなければ、減ることもありません。
ということです。

無思考”ということですね。

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