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BOYSCOUT TROOP74, NAGOYA, AICHI, JAPAN

ボーイスカウト名古屋第74団のブログです。
各隊のプログラム、活動報告、コラムなどを掲載しています。仲間になろうよ!

梅雨になりましたね

2005年06月11日 | ALL
気象庁は、11日に東海、近畿、中国、四国、九州南部の各地方が入梅したと発表しました。


 ボーイスカウトといえば、ハイキングに出かけ、満天の星空の下でテントを張ってキャンピングを楽しむといったように自然の中での活動・アウトドアであると、イメージされている方も多いと思いますが、スカウトティングでは野外活動のほかにも興味や関心よって多くの活動を行う事ができます。

 B-Pは、スカウティング活動を野外に限る事はない、こういった雨の日に家に閉じ込められてうんざりしている子供達の世話をしよう、われわれには技能章(バッチ)取得という趣味と家でする魅力的なプログラムを提供できるではないか、といっています。
 

 なるほど、スカウティングのバッチは、スカウトハンドブックなどを見れば分かりますが非常に幅広い活動分野に及んでいます。
 現在、日本連盟では、ボーイ隊ならば、マスター・ターゲットバッチは、7分野(スカウト精神、健康と発達、ハイキング、追跡、キャンピング、冒険、社会生活)53バッチを設定しています。
 その中にはパソコンをつかった情報処理であるとか、外国語であるとか、防災、伝統工芸とイン・ドア的な内容もあります。
 
 このように多種多様なバッチを設定した意図は、『少年達にこれら章をすべて取得させることではなく、少年達の持っている多種多様な性格に対応しようとしたものであり、少年が自分で課題を選ぶことで、それぞれの少年に機会を与えるという』ところにあります。(『』内は『B-Pの展望』日本連盟発行36ページ)


 …バックバックのロールスロイスとまで言われる米グレゴリ-社の創業者ウェイン・グレゴリーがバックパックを初めてデザインしたのはボーイスカウトのプロジェクトの一環でした。
 
 『ウエイン・グレゴリーは14歳の時、ボーイスカウトの最高位に値する勲功記章(特別の功績に対して与えられる記章)プロジェクトの一環として、初めてバックパックを自作しました。それからまもなく、ボーイスカウトの地方大会で、カリフォルニア州、サンディエゴにあるアウトドア専門会社「アドベンチャー16」の創立者アンディー・ドロリンガーに出会いました。アンディーはウエインのデザインに感銘を受けました。それから2~3年の間、ウエインは「アドベンチャー16」の工場へ頻繁出入りして、そこで自作のための材料を揃えながら、バックパックのデザインをいろいろ考案しました。そして、ついにはこの若い会社で働くようになりました。』(グレゴリーサイトより抜粋)

 ウェイン・グレゴリー氏がもしボーイスカウトに入っていなかったら、今のグレゴリ-社はなかったかもしれませんね。


 スカウティングのバッチの目的は、子供達が興味を抱いた課目を自分で学習するよう促すものであります。
 バッチの課目の中には家族(保護者)が認定できるものもあります。
 雨の続くこの時期、ゆっくりと家の中で普段集会ではなかなか取り上げられない分野のバッチの取得にご家族で取り組んでみませんか?

 第2第3のウェイン・グレゴリーが74団から生まれるのが楽しみですね…


                   


スカウトハンドブック404ページから431ページにバッチの課目が掲載されています。各課目の項番号の前に△のマークがついているものが、家族で認定できるものです。

グレゴリーのHP
http://www.gregory.gr.jp/

え、アノ人も?ボーイスカウト経験ある有名人
http://bsh12.web.infoseek.co.jp/yumeijin.html
http://www.scoutnet.or.jp/~src/yumeijin.htm



人のお世話にならぬよう…

2005年06月03日 | ALL
 明日6月4日は、後藤新平(写真)の誕生日(1857・安政4)です。
(ただし、今の暦になおすと6月24日ですが…)
 
 後藤新平と聞いてピントこない人でも
 『人のお世話にならぬよう、人のお世話をするように、そして報いを受けぬよう』
という言葉は、聞いた人もいるでしょう。
 これは、「自治の三訣」といわれる後藤の有名な言葉です。

 後藤は、台湾総督府民政局長(のち民政長官)として民政統治の確立に努め、
さらに満鉄の初代総裁として広軌鉄道施設・撫順炭砿開発・大連病院建設など満州経営の基礎を作り、
1908年(明治41)第2次桂内閣に逓信相として入閣、新設の鉄道院・拓殖局の両総裁も兼ね、
1920年(大正9)東京市長に就任し、いわゆる8億円計画という都市改造案を提案し、
山本権兵衛内閣の内相に返り咲き、関東大震災の復旧処理に当った…

…という(ふぅ~)、戦前の大政治家なのですが…
『日本ボーイスカウト初代総裁』でもあります。
最初に紹介した自治の三訣は後藤がスカウトに残したメッセージなのです。

知っていましたか???



 後藤新平記念館のHP
http://www.city.mizusawa.iwate.jp/shinpei/

スカウトハンドブックなら386ページ


             


 三島通陽(みしまみちはる)第4代総長が、その著「ボーイスカウト十話」で、後藤総長のエピソードを紹介していますのでUPします。

『日本で初めて少年団ができたのは、大正2,3年ごろからで、乃木の部下だった伊崎少将は乃木にすすめられていたが、乃木没後大正三年に小柴博らと発団式をあげた。
 このころ、京都の中野忠八ら、静岡の尾崎元治郎、深尾韶らと、あちこちで少年団をつくりはじめていた。それが皇太子の英国でのおことばを聞いて奮起して、静岡で代表者が集まり、少年団日本連盟の結成をみたのは大正11年4月13日であった。総裁(のち総長)には、後藤新平子爵を迎え、理事長には、ご渡英のお供をした二荒芳徳が決定した。

 しかし、そのころの少年団のなかには、ボーイスカウトもあったが、いわゆる子供会のようなものから、兵隊ごっこのようなものと、種々雑多であったから、後藤はまずハッキリとボーイスカウトで行くとの方針をきめ、ボーイスカウト世界事務局に申請登録をして、ここではじめて世界の一員となって出発した。
 それで、後藤は、その年の8月、コペンハーゲンで開かれる第2回世界ジャンボリーには、まず各地から指導者を多く出して学ばせようとの方針を決めた。派遣団長には若かった私が任命されたので、副団長には尾崎元治郎、スタッフには久留島武彦、中野忠八などの年配者をつけ、顧問には佐野常羽を任命し、24名で行くことになった。佐野は自分の団の子3人を自費でつれて前便で渡英し、ギルウェル訓練所で訓練のうえ、参加した。これらの派遣員は全部帰ってからそれぞれ死ぬまでこの道に尽くした。なかでも佐野は、ロンドン郊外にある、パウエル卿直伝の指導者訓練所に入所して訓練を受け、卿とも親交を得て直接教えられ、研究を続けて帰ったので、後藤は彼を初期の日本の指導者訓練所長にして研鑽を続けさせた。
 後藤はこのようにパウエル卿の奥義を研究させるかたわら他方、日本の古来の郷中制度などをも研究させたが、自らも鹿児島に行って、じいさん、ばあさんを集め、郷中の話を聞きただした。私はそのそばにいたのだが、なにしろ、後藤はズーズーの東北弁だし、じいさんたちは、薩摩弁ときているので、お互いに話が通じない。それで私がいちいち通弁をしたこともあった。

 晩年の後藤は、私のみるところでは、スカウト運動に一番熱心だった。「後藤さんも、もっと早く総理大臣になるようなことをしたらいいのに、ガキ大将とは・・・」といって笑われても、いっこうに平気で、ユニホームを着、日本中を飛びあるいた。あるいなかのキャンプで、サラがないと子供たちがキャベツの葉にごはんを盛って出したら後藤は「家にあらば、筍(け)にもる飯を草まくら、旅にしあれば椎(しい)の葉にもる」アハハハと、万葉の句をいってさもうれしそうに自然の子にかえった。
 後藤は昭和4年4月3日、自邸に集まったスカウトたちに囲まれ、うれしそうに遊んだうえ、夜行で岡山に講演に向かったが、車中、脳溢血で倒れた。京都でおろされて京都病院に運び込まれた。後藤重体の知らせで、側近者やわれわれも京都に集まった。はじめ京都病院は満員で病室もなくやむなく受付に寝かした。院長が心配して、よい病室を空け、移そうとしたが、もう口をきけぬ後藤は、首をふってイヤという。
 それで、みんなで相談の結果、スカウトに抱かれてなら引っ越すだろうと、私に白羽の矢が立った。私は「先生、引っ越しをしましょう」というと首をふる。「いや、スカウトが先生を抱いて行きます」というと、ニッコリしてうなづいた。それで京都団長の中野忠八と、10数人のスカウトが後藤を取り巻き、みんなでそっと抱いてはこぶ。
 後藤は、はじめはうれしそうにひとりひとりの顔をみつめていたが、次第にホロホロ涙を流しだした。
 後藤は、東京をたつ前、私を近くに呼び
「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」
といったのを思い出した。私も後藤を抱きつつ涙が流れた。
 後藤は4月13日にこの世を去った。
 思えば、これが後藤総長の最後のことばだったのである。』


「ボーイスカウト十話」は、毎日新聞に昭和40年2月25日から同3月7日にわたって連載されたものです。 総長は、この年の4月20日に昇天されたので、この「ボーイスカウト十話」は遺稿となりました。内容は、日本のボーイスカウト運動の黎明期の影響を与えた人のエピソードなどです。なお、「ボーイスカウト十話」は「ボーイスカウトとは」にかけているそうです。

「ボーイスカウト十話」を読みたい方は… 
http://www.asahi-net.or.jp/~xe6k-nkjm/BS-DATA/mishima01.html

スカウトハンドブックにも387ページ
 
             



今日は大掃除の日

2005年05月30日 | ALL
1 団倉庫の一番手前においてある備品箱(大、小)は、班備品として、数をそろえてあります。一時的に炊具、工具が必要な場合は、それ以外の箱の物をご利用ください。

2 バーベキュー等で鉄板をご利用の際は、せっかくなじんだ油分がなくなってしまいますので洗剤で洗わないようにしてください。
焦げ付きは、金属タワシなんかでゴシゴシやるのではなく、焦げ付きが「炭」になるまで火にかけてからこすり落とすと簡単にきれいになります。
使用後は、サラダ油などを塗って防錆対策をお願いします。

3 スコップ、なた、五徳その他鉄製をご利用の際も、使用後はサラダ油などを塗って、さび防止をお願いします。

4 春のキャンプの際、簡易ベットにカビがはえていました。当日洗濯しましたが、定期的に乾燥させてください。(現在3脚は使用可能)
また、倉庫は雨漏りがしているようですので、テント・ベット類の上にブルーシートをかぶせてください。



                          



※ 今日は大掃除の日だそうです。

団も30年も続くと、備品の量も相当なものになります。
その昔は、ボーイ隊だけでも5班(たしか、ハト班、カモシカ班、ワニ班、オオカミ班、ウミネコ班)
40名近くいたときもありますから、なべ、皿、古いテント類の類が相当にあります。

使わなくなったものも多いのですが、近頃は気軽にごみを出したりすることができないですし、
いざ整理すると昔の思い出がいろいろと思い出されて…

       ”コノ扉ハ開ケラレナイナ…

誰か思い切って捨てられる人はいませんか???
団倉庫をお化け屋敷のようにしないようにしましょう。

 今日は何の日
http://today.hakodate.or.jp/


スカウトの杖考

2005年05月29日 | ALL
今日は、ボーイ隊のハイキングコースの候補地選びをかねて、三河の岩古谷山(いわこやさん)を登ってきました。
岩古谷山は、東海自然歩道のルートにもなっており、799メートルという決して高くはない山なのですが、けっこう急な岩礁帯や、岸壁を登る鎖があったり、小さい割には、バラエティーに富んだ歩きができます。
コースとしては、なかなかいい感じでした。



そのうちに、ここで、ハイキングを企画してみたいと思います。
お楽しみに…

 岩古谷山について興味を持ったら、例えば…
http://www.auvelcraft.co.jp/hike/iwakoya.html


ところで、気がついているスカウトもいると思いますが、
私は、ハイキングには、かならず登山用杖(ストック)を持っていきます。
ストックは、使ってみるとわかりますが、大変便利。
足にかかる負担も軽減できます。
使い方としては、2本(両手使い)もありますが、私は1本だけ使っています。

私の持っているストックはレキ社のものです。
レキといえばストックというぐらい有名なメーカで、価格は少々高めですが、造りが良く、特にロックが少ない締つけ力でも確実に固定させる事が出来ます。

ところが、今日は、これを家においてきてしまったらしく
しかたなく、杖なしで歩いていました。

岩古谷山をおり、しばらくすると、ちょうどいい按配の木の棒が落ちていました。
トレッキングストックに比べれば、太めで重量もありますが、
とりあえず今日はこれを杖とすることにしました。

この木の杖をついていて思い出したことがあります。

ボーイスカウトの創始者のベーデン-パウエル(B-P)は、画才もあり、いくつものイラストが残されていますが、
彼が描くスカウトはいつも杖を持っています。


『スカウト杖(すかうとじょう)…イギリスでは、正装につきものであった。ネッカチーフと同様、スカウトの特長であった。ロープを常に腰に下げるのと同様、「そなえよつねに」を表しており、救急用、ゲーム用、計測用とし、常時ナイフを下げないのと同じで、常時携行するものではなかった。現在これを常用していないのは、アメリカ流儀の影響である。長さは鼻までの高さの棒で、それには長さの目盛りを刻みつける。指導者は先が二又になっているサムスティックまたは普通のステッキを左手にもっていた。初期の日本のボーイスカウトは「団杖(だんじよう)」と呼ばれる杖をもっていた。これは長さが4尺(約120cm)の八角棒で1尺(約30cm)毎に目盛りをつけ、最上部の1尺の部分には1寸(約3cm)毎の目盛りがあった。』(出展 長八洲翁(おさ・やすお)著「スカウト用語の基礎知識」)

B-Pは、スカウトに、自分のオリジナルの杖を作る事を勧めています。
とりあえず今日拾った木は持ち帰っていますので、私もおいおいデコレーションしていきたいと思います。

これを読んでくれたスカウトも、君のオリジナルのスカウト杖を作ってみませんか?

 杖の作り方については、アメリカ連盟の情報誌などにありましたので参考に紹介します。
(もちろん英語ですが…)
http://www.boyslife.org/workshop/hiking.pdf
http://www.inquiry.net/outdoor/skills/b-p/staff.htm

 この見事なスカウト杖を見よ!!
http://www.moonstar.com/~pmicken/scout2.html

それはそうと、B-Pの著書「scouting for boys」には、
杖を使い華麗に柵を飛び越えるスカウトのイラスト(この記事のトップ掲載の画像・B-P作)が描かれていますが

誰かこのように身軽に飛べる人はいるのかしら …やはりB-Pはできたんでしょうねぇ

できる人がいたらこの記事にコメントをつけてください。
うまくいくコツとか教えてください…



      



「スカウト用語の基礎知識」は、WEBからの閲覧も可能です。
http://www.ymg.urban.ne.jp/home/bsymg/yougosyuu/index.html

 
      






かってに連載 【ひよこ隊員の気持ちぃ…その2】

「スカウト杖は、たんかを作ったり、川の深さを測ったり、バランスをとったり、簡易テントの支柱にしたりと、本当に便利なものなんだ。1本は持っているといいよ。」
「ハイ!班長」
「あれ?僕の杖どこにあるか知らないか?」
「ハイ!班長。その杖ならさっき薪が足りなかったで使いました。おかげで食事ができました。本当に杖って役に立ちますねぇ。」
   
        



【千客万来  祝・100人目  専客万来】  

2005年05月28日 | ALL

 ホームページも立ち上げて3日なりますが
たった今、28日正午カウンターが100を越えましたぁ!!

     




…それ、私、WEB管理者が踏んじゃいました。


ん~、74番は誰だったんだろう!?
69番と75番は私だったような…
(スキルがないので知るすべがありません…)


考えてみると訪問者の少なくとも3分の1は自分だなぁ


今から、名古屋まつりの沿道警備の奉仕に行ってきます。
活動リポートは各隊からUPされることでしょう。
お楽しみに 

http://members.goo.ne.jp/home/nagoya74

ブロクはじめました。

2005年05月25日 | ALL
 ボーイスカウト名古屋74団(愛称:Boyscout Troop74)のブロクをはじめました。

活動予定、レポートその他活動に+になるような情報をUPして行きたいと思います。



ということで、読んでくれる人は74メンバーが中心と思いますが…
活動に興味のある方や応援してくれる人がふえるといいなぁ

…とひそかに期待しています。


なお、タイトルの後に 特にCSとあった場合は、カブ・ビーバー隊(小学校低学年)の活動に関するものという意味です。
BSは、ボーイ隊(中学生)、VSはベンチャー隊(高校生)です。




【ボーイスカウト名古屋74団の簡単なプロファイル】

ボーイスカウト活動は、長い歴史と全世界的活動の広がりをもつ青少年育成活動です。
活動は、野外でのハイキングやキャンピングを通じ、自分で考え行動できるよう、また協調性を育むよう企画されています。
小学校低学年から成人まで男女を問わず参加できます。

私たち名古屋第74団は、名古屋市千種区の春岡、千石、千種、内山学区を中心に活動しています。
結成以来30数年となり、多くの先輩が育っていきました。
いつでも仲間になることができます。
お近くの場合は、ぜひ一度活動を見学か体験されてはいかがですか?


これからもどうぞよろしくお願いします。