それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

『沈黙の声』第36号(その3)(90年6月20日発行)永山裁判闘争、幼女連続殺人事件裁判

2017-01-26 01:59:46 | 会報『沈黙の声』(その3)

(その2)から続く

「幼女連続殺人事件」裁判の動向は、今後の死刑をめぐる状況を決する重要な意味をもちうる。そのことにふれる前に、どうしても、4月17日に最高裁が死刑判決を行なった永山裁判について、述べておく必要がある。そして《永山裁判闘争》の本質について、あらためて総括しておかねばならない。  

《永山裁判闘争》とは、永山則夫が、自覚した人間として〈生〉きようとし、それを多くの人々が、直接・間接に支えた闘いであった。それは必然的に、一個人の命をこえた、普遍的な〈共に生きる〉闘いとなるものだった。八一年の高裁「減刑」は、時が経ってみれば誰の目にも明らかなように、〈死刑廃止の闘い〉そのものだったのだ。高裁(第一次)裁判官は当初から、一審で紛糾した「静岡事件」を争わないことを条件に「減刑」の用意がある意志を弁護団に伝えていた。これを「闘わねばよい」と理解した弁護団達が支援に情報を教えず、逆に支援を被告から遠ざけて「獄中結婚」を前面に出し、結果として「減刑」の意味を全く分かちなくさせた。

さらに永山白身が闘う部分を権力に売り渡す武装解除=「武田追放」をおこなうことによって、《氷山裁判闘争》は最高裁「差し戻し」を待たずに、〈闘う〉内実を失っていった。これに対して〈永山裁判闘争〉の成果は、83年以降の、最高裁を中心とする《すべての死刑裁判の場で、死刑を問う》闘いに、引き継がれてきたのである。現在の時点であたかも永山裁判のみで死刑存廃を問題にするかのようなマスコミ報道は、すでに反動的である。 

なぜ一審が〝紛糾〟したか。

それは、「静岡事件」糾明が、道理あるものだったからにほかならない。当時の筆者自身の調査では、 

(1)「静岡事件」は、少年が、ピストルを持ち、銀行で何人もの人に顔を目撃された事件である。当時警察庁長官が全国の警察署長の前で「類似の事件を見逃すな」と訓 示しており、「取り逃がし」た静岡県警が「連続射殺事件と無関係」と発表したとしても、全国捜査本部(警視庁)が全く動かないというのは、信じ難い。この時点で、 「連続射殺事件」の犯人は、特定できてい た筈である。

(2)然しながら、この事件を境いに、「射殺魔キャンペーン」がピタリと止り、「犯人像」も京都の被害者の証言による「17、8歳の少年」から、「23~26歳の遊び人ふう」と変更されている。「犯人隠し」がおこなわれているのである。

(3)翌年四月の逮捕を機に、「少年法改悪」 (上限を18歳に引き卞げる)キャンペーンが大々的に行なわれる。それによって、当時2年間程動きがなかった(少年事件は 減少していた)「改悪」がふたたび動き出し、法制審答申をへて国会上程への準備を整えるのである。 

疑問点は、以上にとどまらないが、以上の事実だけでも、〈権力が、事件の犯人を逮捕せず、犯罪を国家政策に利用した〉ことが充分にうかがえるのであり、裁判が本人の「責任」を問うものであるなら、権力側のこの対応への追及を裁判所は決して無下に退ける訳にはいかなかったのである。 

〈権力は犯罪を利用する。〉この命題は、私達が死刑廃止運動を続ける際に、しかと頭に置いておかなければならない。(後述の『続・死刑廃止論ノート』を参照されたい)現在無実であったことが知られている李珍宇氏(「小松川女子高生殺人」の犯人として処刑、「声」第24号参照)へのデッチ上げも、当時の在日朝鮮人帰国問題と関連したものだった。私達は、「事件の背景」という時、このような「権力側の背景」を決して見逃してはならないのだ。それには、常に、「支配権力 (秩序)側の視野」にからめ取られない主体を、守りぬくこと―そこに「罪」にたいする主体的なとらえ直しもかかわってくるのだ―が、必要なのである。 

さて、「幼女連続殺人事件」裁判は、冒頭から、弁護人(国選)側か、検察側からも出されていない被告の「異常な事実」を公表するという、「異常」な幕開けとなった。被告が四件の事件の犯人であるという事実はいっさい争わず、「精神鑑定」に持ち込む様であるが、「事件」の重大さに目を奪われて、必要な弁護もせず、実効性の疑わしい「精神鑑定路線」に走るとすれば、弁護人としての意味はない。この弁護人が、永山弁護の最後の最後に、「精神鑑定」によってかつての〈永山裁判闘争〉の内容までも精算しようとした様に、今度はさらに重大な問題を、隠蔽することとなるだろう。 

4月25日、第2回公判でまかれた「M君裁判を考える会」のビラ1500枚は、そのことを示唆している。―

 

 

「M君裁判を考える会」の調査は、まだ進行途上にあり、まだ追加や修正があるだろう。

国選弁護人との話合いもなされている様であり、6月22日第四回公判へむけてのビラでは、その話合いのなかでも「疑問はいっさい解消されていません」とある。 

この「事件」の真実を追求することは、単に「えん罪か否か」という問題以上に、死刑制度によって「上から」組織された、「犯人を殺せ!」という感情が、如何に真実をみえなくさせ、支配にからめとられていくものかを明らかにしていくことでもあるのだ。 現在の死刑廃止運動は、現実に死刑攻撃がかけられているその場で、ここまでの煮詰まりを見せている。この地平を回避し、あるいは精算する形での運動の展開は、たとえそれが運動の「巾広さ」をめざすかのように見えても、それだけでは力ある運動に結果しないことを、この十年間の闘いが示しているのである。

(抜粋以上)

 

 



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