それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

『沈黙の声』第38号(その5)(91年9月1日発行)「死刑廃止運動と死刑囚」

2017-01-30 20:33:54 | 会報『沈黙の声』(その3)

(その4)から

五、死刑囚と死刑廃止運動に問われるもの

死刑囚による死刑廃止運動の「拠点」であった日本死刑囚会議=麦の会で内紛が激化したのは、死刑廃止運動全体が、「死刑ラッシュ」とのたたかいをめぐって質的な転換をはじめていた'87年以降だった。その過程での会員個々の限界性はあれ、やはりそれですませるべき問題ではない。

紛争の本質は、あくまで、「死刑囚による死刑廃止運動」とは何なのか、そして獄外者はそれに対しどうあるべきか、ということにかかわっている。 

紛争の発端は、麦の会運動に、「事件のとらえ直し」の思想をはじめて系統的に持ち込んだ会員を排除しようとしたことだった。

以降、紛争を収拾しようとする代表委員の個々の問題を口実に(そのとりあげ方にも様々な問題点があるが、ここでは省略する。)、一貫して「収拾」を拒否し、麦の会の主導権をとろうという動きが続いたのだった。 現在彼等は「別組織」をつくり、『自己の生き様や、事件のとらえかえしを行ないつつ、罪の反省を深め・・・』と公言しているが、口先で「反省、とらえ直し」といいつつ実際にはそれを回避し、『事件』から目をそらし、自己を問わない「死刑囚の運動」をほしいままにしようとしたことが、紛争の主要因だった。

 この紛争は、運動の新しい段階にみあった、麦の会の転換を阻害しつづけた。そもそも麦の会のつくり方は、個々の裁判から離れたところで。死刑囚が結集し。死刑廃止を訴える、というものだった。最初の規約には「会員個人の裁判支援は行なわない」という項目さえあった。

しかし死刑廃止運動全休が、死刑囚のおかれた具体的な状況―判決、執行を直視し、それをめぐって運動が展開されている現在は、単に「死刑囚が運動をつくる」ことだけで意味があるといった時期ではもはやない。個々の裁判での闘い、それをより深めるための口先だけでない「自己のとらえ直し」を、死刑囚相互の連携と獄外の支えによって、運動としておしすすめていくことが必要となっていたのだった。 何よりも、死刑囚にかかわる獄外者の主体性が、問われている。

麦の会に「とらえ直し」の思想を持ち込んだI氏(前述の、排除されかかった会員)は、『何故殺したのか、を問い続けてください』と言っていた。(高裁で無期に減刑され、下獄中。)

我々がそれを『問う』とき、我々自身の生き方、在り方の検証をヌキにして、それはできるだろうか。

「私も殺したかも知れない」という迎合は無用だ。内心で「でも殺さなかった」と思っているその「違い」を重視し、その分岐点の背後にあるものを共に見すえていくことが、「共に生きる」第一歩につながるのだと思う。「本来共に生きるべき者同士であった」ことの自覚、分断された両者の間には被害者の死が横たわっているという現実が、「死刑囚を助けてあげる」(「死刑囚」という現実を固定したままで)という安易な同情を排して、裁判、執行という具体的な死刑攻撃にたいして 「共にたたかって生きる」ための情熱を、呼びさますのだ。死刑制度は、あくまでも廃止されねばならない。

しかし、制度としての死刑が廃止された時、そこでは何かどう、変わっているのか。いなければならないか。またそこからさらに、人と人とが〈共に生きる〉権利をより豊かに保障する社会の実現にむけて、どう進んでゆくのか。それらをより明確に視野に入れた運動が、より早く、より的確に、制度の変革をもかちとるのではないかと思う。

抜粋以上 



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