三
風人社―死刑とたたかう人民連絡会議(準)は最高裁の永山裁判「差し戻し」以降の反動攻勢に対する斗いに、一貫してとりくんできた。
それは「静岡事件」をめぐる違法捜査(「声」3、4号所収、「N裁判斗争記」(2)(3)参照)を争点としない事とひきかえの高裁減刑→「結婚による人変わり」という「斗争放棄」キャンぺーン↓最高裁「減刑」破棄差し戻し、という権力側の極めて巧妙な政治対応によって、「減刑」に至る《永山裁判斗争》の存在そのものを抹殺し、「減刑」をめぐって一挙に高揚した「死刑廃止」の斗いの地平が死刑囚と獄外人民との共生をめざす具体的な斗いによって切り拓かれた事実をおおい隠して、抽象的な「死刑存廃論議」の領域におしもどそうという攻撃との斗いであった。
それが、「永山の人変わり」をマスコミに印象づける周囲や新日文関係者に迎合する反面、武田を「スパイ」にデッチ上げて敵に売ろうとする永山則夫自身の斗争破壊を伴ったため、この権力の政治を暴露すると同時にしつような「武田スパイ攻撃」でこれに加担する永山則夫の本質を暴く斗いを必要不可欠とした。このかんの最高裁をめぐる斗いこそは、この地平を守り、死刑廃止を抽象的なものでなく、「死刑」を支える具体的状況へ切りこむ斗いとして守りぬくものであった。(昨今の永山の極「左」言動は「左」からの抽象化)
権力の政治的対応の本質を公然と暴露することは、一見それが「分裂」と映ろうとも、それが真実であるかぎり必ず人民に益するものである。永山最高裁「差し戻し」とは、永山の武田「追放」=武装解除(狭山裁判でも作らなかった、法廷前廊下の厚板バリケードを高裁で最初につけ、「支援は何人いるのか」と弁護団に問うた裁判所の対応は、彼らの恐怖を如実に物語るものである)に乗じ、一気に生殺与奪権を握るとともに、永山を未決に置いて「武田つぶし」に奔走させるという内容をもつものであった。
以降の永山の対応は、かかる権力の要請を忠実に跡づけている。もし永山が「武田つぶし」に成功していれば、権力は然る後、永山に死刑を下すことで《永山裁判斗争》を跡形なく消滅させることが出来た。しかし事態は権力の意図通りにはならず、かえって「差し戻し」をめぐる権力の政治が暴きつくされ、しかも斗いの継続のなかで新たな政治状況が展開されつつある現在、この様な形で権力が永山に死刑判決を下す特別の意味はもはや失なわれているのだ。これこそがわれわれの「斗い」でもあったのである。
あとは「差し戻し」以降の反動攻勢における彼我の状況のなかでの、裁判所側の政治判断があるのみであるが、われわれは直接永山個人を「支援」する事でその反動を助長するという世紀末的愚行はやらないが、このかんの反動攻勢との斗いの一環として、「永山裁判」への死刑攻撃とも斗っていくであろう。
われわれは、個別領域だけでは決して最終的な勝利はない。しかしその領域で、決して負けない斗いを持続的に斗い抜く中から、支配の本質にせまる斗いを突出させ、そうした各所からの斗いを相乗的に結合させていくことが、勝利への第一歩であると考える。
八六年は、こうした斗いが、『天皇』を環として、斗い抜かれるであろう。 仲間達、ともに斗わん!!
(抜粋以上)