2917年 日本イエス・キリスト教団 九州教区 ユースキャンプ めぐみの落穂ひろい
(小6~高校生対象、40数名参加)
メッセンジャー 松尾 献KGK主事
8月1日(火) 熱気漂う、熊本県立あしきた青少年の家に九州全県下から小6から高校生までが集合。
3回のメッセージはヨセフ物語から。
1日夜、講師第一回目のメッセージ
聖書 創世記37:3
「イスラエルは他のどの子よりも彼を愛して、彼のために長袖の着物をつくった。」
メッセージの後、
高校女子のクラスを一緒に担当した若い牧師夫人が、
「私もまた、長袖の衣を着ていた」と分級クラスの学生の輪の中で、
涙ぐみつつ語られた。
さて、私はどうだろう、人間的な力やだれかの笠下、世の力のもとで考え、行動していなかったか?
特別に父ヤコブから偏愛され、他者の身になって考えられない(空気がよめない)ヨセフは、
やがて、お兄さんたちの憎しみの対象となり、
エジプトの商人に売られてしまう。
ヨセフはこうして、父ヤコブの着せる長袖の衣が脱がされることになる。
私たちもまた、肉の誇りとするものを手放すことができないならば、
第三者の手を通して神様は、
その人を顧みておられるゆえに、肉のたのみ、肉のほこりから切り離されることもあるのかもしれない。
2日目講師2回目のメッセージ
創世記39:2
「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプト人の家におった。」
たとえ、不幸と思われる出来事に遭遇しても、
主が共におられる幸いを、ヨセフの人生は私たちに語りかける。
講師はメッセージの端で、
「だから、イエス様を信じないことは損なのだ」とも漏らされた。
お兄さんたちに意地悪されたものの主がヨセフと共におられて、
エジプトでも彼は上司から目をかけられ、働きも祝されていた。
そのような中で、容姿の美しいヨセフは主人の妻の目にとまり、
彼女の誘惑を回避したことで、濡れ衣を着せられ、
一転して、彼は獄屋の人となる。
けれども、夢見るヨセフは、獄屋でみた夢の解き明かしを通して、
数年後、神の時が訪れ、
獄を脱出できただけでなく、
大きく飛躍して、
エジプトの宰相として活躍の場が与えられる。
「神は、神を愛する者たち、・・・と共に働いて、
万事を益にしてくださる」ロマ8:28
講師はご自分が苦しめられたこと、また、人生の転機で神が仕事を通しても、
どんなに自分に良くしてくださったかを、
赤裸々に、真実にキャンパーひとりひとりに語って下さった。
時折、天を指さし、
「しかし、これらは全て、天の神さまからきているもので、
私の力では全くない、」と、いうことを強調されたいた。
確かに、神が共におられる時、私たちの人生に、
とうてい、あり得ない、できもしない出来事は起こる。
それは、確かだ、と、神を信じた者たちは知る。
ヨセフがそうであったように。
この神様を信じてゆこう、
従っていってみようと、多くの学生が一歩神の御前に進みでた。
講師3回目メッセージ
聖書 創世記43章8節
「それゆえわたしをここにつかわされたのはあなたがたがたではなく、神です。」
「神は、神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益にしてくださる」ロマ8:28
やがて、ヨセフの夢の解き明かしの通り飢饉が訪れ、
カナンの地からヨセフの兄弟たちはエジプトに食料を求めてやってくる。
ヨセフは外国から来る人々の中に、兄さんたちを認め、劇的な再会劇が繰り広げらた末、
自分をエジプトの商人に売った兄たちをゆるす。
講師はここで、「完全に赦す」ことを強調された。
一点も惜しまず、完全に赦す、主イエスが私たちに一点もおしまず、与え尽くされたように、
主に従う私たちもまた、当然の如く、他者の自分に与えた傷に赦しを与える。
「わたしをここに遣わされたのは主です」
ゆえに、起こってくる不都合な出来事も、自分に損失を与える存在もまた、
神がされなければ起こらなかった、と理解できる、
そのような、自由の中に今私たちは生かされているだろうか。
(過去の傷に縛られてはいないか?)
お兄さんに憎まれ売られたヨセフ、
しかし、こうなったのは、飢饉のときに、
家族を救うために、神が私を一足はやくエジプトに派遣されたのだ、
と、ヨセフは言うのである。