2006年の文春新書だが、内容は充実しており、色街などの歴史の粉本に活用できる。知見は:(表現に問題のある個所も著作のままとしている)
・釜ヶ崎の西は西浜(渡辺村)、全国一の皮革の集散地
・悪所:色里・遊里、芝居町、被差別民の集落
・漂泊民:遊行者(僧)、遊芸民、家船(えぶね:海)、サンカ(山)、香具師、世間師
・盛り場:非日常の祝祭空間
・渡辺村:河原者芸能(歌舞伎、人形浄瑠璃、説経芝居、見世物)の道頓堀界隈の興行権、露天商を取り締まる旦那場権、火消し役、小便担桶(たごおけ)集荷権を持つ都市部落
・遊里→芝居町:遊女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎
・歌舞伎:舞台は能・狂言、物語は軍記物と説教節、踊りは女歌舞伎を基本、アクロバット的パフォーマンスは放下師のサーカス的妙技
・今日の北野神社境内から「阿国(奈良あたり声聞師の傘下の「アルキ巫女」が出自)歌舞伎」が「茶屋遊びの真似」、「かぶき踊」に発展:「ややこ踊」→「阿国歌舞伎」→模倣の諸国巡業の座→傾城屋による遊女の張見世ショーの歴史
・遊女歌舞伎の流行と白拍子との違い:群舞、アップ・テンポ(舞から踊)、庶民相手、宗教性の無さと官能美+最新楽器の三味線の伴奏
・遊女歌舞伎は(1615~24)京都 六条柳町、江戸 葭原、大阪 新町に遊里として囲い込み→遊女歌舞伎の禁止と男性による色街の成立
・若衆歌舞伎の禁止:男色・衆道
・野郎歌舞伎:1653年 京都 村山又兵衛により再開、ストーリー性を持つ
・江戸 猿若町(浅草)の悪所と新吉原
・河原での芝居:仮小屋を作れる、取締がゆるい、俗界と冥界をつなぐ立地、河原者の利権地(櫓役銭を旦那場としていた集落に支払う)、京都の四条・五条河原町が発祥
・平安時代の悪所:淀川河口の江口、神崎、蟹島、播磨の室津、近江の鏡宿、美濃の青墓、墨俣(すのまた)など、船便が多い西国は港町に、街道が多い東国では宿場に遊里が発生→遊女が朝廷に寵姫となると「局」になる、丹波局、伊賀局は江口の遊女の出
・後白河法皇(行真の法名):梁塵秘抄(遊女、傀儡子、巫女などの遊芸人の歌謡集)、今様を青墓にいた傀儡子の乙前(おとまえ)に習う、33回の熊野詣、三十三間堂建立、頼朝から「日本国第一の大天狗」、「声わざ」に注目した口伝集も
・大江匡房(まさふさ):「傀儡子記」男は狩猟が正業、剣術・人形舞わし、奇術、女は紅・白粉で化粧し「倡歌淫楽して、もて妖媚を求む」
・白拍子:磯禅師の娘、「静」が発祥(徒然草)、寺童の声明の「素声(しらごえ)」が発祥で遊女に伝わり男舞の「白拍子」に「化粧」(身を変化 シャーマン)
・遊女は「長(おさ)」に率いられた母系制集団、ウタウ、カタル、マウ、オドル、トナエル、クルウ(霊が乗り移った、エロス、よがり声)
・呪力が宿る遊里:巫女「遊行女婦(あそびめ)」→遊女「浮かれ女」に変化しても呪力が残る
・悪所は貴・賤と浄・穢の対比では:悪・賤・穢となる場所(トポス)となる
・河原者:室町期には牛馬処理の皮革、山水(せんすい)河原者の作庭、埋葬地(ケガレ)、貴族は伝染するケガレをキヨメに、制度は検非違使と河原者、犬神人(いぬじにん)、三昧聖(さんまいひじり)、室町時代に民衆にも一般化、ケガレに汚染されている河原者は同火・接触も忌避
・室町から戦国時代には死・産・血は逃れられない、河原者は現世と死者の世界の橋渡しとして、「畏怖」、芸能への進出
・1715年、19年、25年、浅草の穢多頭「弾左衛門由緒書」を幕府に差し出す。職種は28あり「舞々」、「猿楽」、「獅子舞」、「傀儡師」、最後に「傾城屋」(遊女の出身地の関係や三味線の猫皮など皮革との関連か)、加えて「湯屋」、「風呂屋」もあり、湯女が私娼だった歴史を語る
・1670年代、川村瑞賢西廻り航路の開発、瀬戸内・大坂の繁栄、輸送費の低下、大坂の門徒的気質(石山本願寺), 綿と菜種(油:油絞りの力役必要 長町の下民層)
・菜種油による「夜」の時間の利用拡大:商業・余暇、燈心の藺草の茎の髄は浅草穢多頭の弾座衛門とその配下が江戸市中の販売を認可、鑑札
・江戸の非人頭は、浅草の車善七(穢多頭の弾座衛門と抗争し、弾座衛門支配になる)、品川の松右衛門、深川の善三郎、代々木の久塀兵衛
・名古屋、大須観音の芝居町、伊勢古市(宇治山田・宮島・金刀比羅)の芝居町があり、万歳と三河万歳の本拠、万才、漫才への変化
・厳島神社の芝居興行:揚屋あり、遊里あそびは広島市中から、瀬戸内には大崎下島の御手洗港「おちょろ船」
・悪所の特徴:①身分・職業を問われない、②匿名性、③文化情報発信の「場」(歌舞伎・浄瑠璃の上演狂言が噂に広がる、④遊郭の遊女と役者の動向は出版に(メディア化)、理想型となる人倫秩序の転倒、⑤境界性・周縁性を帯びた地域のカオス、⑤漂泊する神人としての役者の呪術を表現する場
・社寺の境内での室町時代の放下・蜘舞(くもまい)の勧進興行が、のちの小屋掛けの見世物興行の発展→社寺近くに芝居町ができた歴史につながるか(要調査)
・地女(しろうと)より遊女の方が魅力→地獄という素人売春もあったが
・キリスト教:信長時代はスペインとポルトガルの戒律の厳しいカソリック、献身的行為から布教が速く支配圏になる恐れと植民地での奴隷売買の裏面も(日本人含む)、そのため自由主義かつプロテスタントのオランダに交易に転換
・男色、衆道、色子、陰間が武士階級に「かぶき物」の旗本奴
・色道:皮切りは「好色一代男」、「枕絵」が江戸初期から流行
・神聖天皇制:幕府時代の「宗門別改帳」が「戸籍法」に、和魂漢才が和魂洋才へ
中身が濃い、社寺と芝居町・色町の近接性は、人が集まるのと、お礼参りのためか、著者の他の著作も読んでみる