北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

初めての五重の塔 池上本門寺&池上会館:大田区

2013-03-18 09:15:14 | 町並み

 池上本門寺の本殿ですが、今まで何度も来ているはずなのに記憶がないのです。駐車場や諸施設へ上がってくるための車道を上りきった所です。

 3月3日ひな祭りの日、池上梅園から続くもう一つの車道を登り切った所大堂うしろにありました。本門寺の本堂?大堂と呼ぶことを知りました。



 由来は本門寺のHPにありました。『旧大堂だが、第14世日詔聖人代の慶長11年(1606)、熱心な法華信者として有名な加藤清正公が、慈母の七回忌追善供養のために建立、間口25間の堂々たる大建築であった。清正公が兜をかぶったまま縁の下を通ることができたと伝える。その壮観さを江戸の人々は「池上の大堂」と称し、これに対して、上野(寛永寺)は中堂、芝(増上寺)は小堂と呼んだという。』何度か焼失したようですが、現在の建物は鉄筋コンクリート瓦葺きです。ちなみに「釈迦堂を再建したのが本殿」ともありました。大堂脇にあったのが「霊宝殿」保管されている“オタカラ”が日曜日に公開されているようですが、知らずに通り過ぎました。



 昨年秋は孫の七五三詣でだったのでお参りだけで先を急いで、石段の上り下りだけでした。今回の目的は墓地の向こうにそそり建つ五重塔でした。



 近くで見るのは初めてでしたがアングルを探してよそ様の墓所まで入り込んでしまいましたが、ベストポジションを見つけました。



 墓地を抜けた先に謎の庭園が?謎ではありません、区立池上会館の屋上でした。



 屋上上の展望台から五重塔と大堂のコラボレーションが見事に整いました。

 池上会館は大田区立ですから、館内にはホール・集会場など施設が盛り沢山です。四階建ての屋上に居いたのですからエレベーターで一階まで下りました。玄関を出て見上げると立派なものでした。



 妻は大田区旧女塚の出身、本門寺や会館(こんなに立派になる前のようですが)には沢山の思い出が詰まっており、立ち去りがたい様子でした・・・。脇の西館前にも紅梅が・・・。



 本門寺前へ戻りました。その日はこの石段の上り下りは無しでしたが、足の弱い人や車椅子でも本門寺会館のエレベーターを使えば、大堂まで苦無く行かれることも分かりました。



 第二京浜西馬込駅に向かう細い道にはお寺がいくつも並んでいました。塔頭寺院なのでしょうか?その一つの庭に紅白の梅が見事でした。記録はしていませんでしたが、弁財天の祠の幟から池上七福神の内の「厳定院」と思われます。青空があったら・・・の一日でした!!




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (yukimi)
2013-03-19 09:05:44
おはようございます。
私も池上本門寺は自転車をこいで難なく行ける場所
なので、奥様のお気持ちも解るような気がします。
最近は石段よりあのエレベータを楽なのでよく使い
ますが、運動不足解消のためには石段を昇ったった
方がいいのかもしれませんね。
返信する
Unknown (koba3)
2013-03-19 09:28:20
yukimiさん おはようございます。
妻の父親(すでに他界していますが)が
本門寺門前池上通りで店を営んでいた関係で
縁が深いのですが
五重の塔と池上会館にはとんと気がつきませんでした。
朗峰会館にはしょっちゅう食事に寄っていたのですが・・・。
花より団子!!!
返信する

コメントを投稿