東京では、居ながらにして日本全国、世界各国の旅が出来ます。食べ物に依ってですが・・・。札幌ラーメンから沖縄料理まで、フランス料理からエスニックまで、無いものを探す方が難しいでしょう。
つい最近50周年を迎えイベントをうっていたお店が、土曜日訪れたら年内27日で閉店すると告げられました。このお店、新橋でも繁華街をほぼ外れる辺りにある「インドネシアラヤ」文字通り、インドネシア料理の草分け的なお店です。
入り口から店内まで、インドネシアの民芸品で飾られています。
初めて知ったのは大学時代、およそ50年前ですからおそらく開店してそんなに時は経っていなかったでしょう。最初の印象は、“辛い!”の一言でした。帰宅してから翌朝まで、水をがぶがぶ飲んでいた記憶があります。その辛さと、当時としては学生にとってリーズナブルとは言い難く、足が遠のいていましたが、結婚後再び訪れてみて、辛さが和らぎ好みに合うようになっていました。妻も銀座の会社に勤務していた時期、仲間と訪れたことがあり、新宿にも同様の内装をした支店が出来行きやすくなったので、子供も連れてたびたび行っていました。
バブルがはじけ、新宿の店が閉店してからは、新橋の本店へしばしばとは言い難いのですが、気が向けば出かけていきました。壁一面に飾られたお面を見て幼かった頃の長女は“怖い!”と半べそをかきながら食事をしていたのも、“今は昔”の思い出話となってしまいました。
親しくなったバリ島出身のボーイさんも、突然閉鎖を告げられ困惑していましたが、先々週営業時間の確認のため覗いたホームページでは無かったのですが、今日見たら店内装飾の民芸品を譲るの案内があり、この磨き込まれた民芸品が散逸するのは忍びない気もします。
この椅子に座ることももう無いのでしょう。
行きつけというか親しんだお店が時の流れで消えて行く、ほんの一片思いついただけでも、渋谷お好み焼き「こけし」、渋谷宮益坂桜鍋「はち賀」、広尾にあったタイ料理店「ゴールドリーフ」、新宿の寿司店「玉川寿司」などの有名店もすでに無く、時代の流れで去る者失うものも数々ありますが、沈んだ気持ちは年のせいだけではない・・・と思いたいものです。
奥様は泣いたそうです。奥様は心労が重なり、病気がちになりまして、亡くなられました。
ここの主人は懲りずに、子供のころから知っている近所の私にまで手を付け様として来たのです。
呆れ果てた変態です。人間のクズです。
ゾっとします。
亡くなられた優しかった奥様が御気の毒でなりませんでした。
何十年も慣れ親しんだお店が無くなる、「もののあはれ」を感じ、残念を通り越して悲しくなります。値段の高い高級店は残っても、庶民派の特徴あるお店の方が、現代では生き残るのが難しいようです。我々の業界でも似たような状況に陥っていますが!
そして、家の周りはチェーンの居酒屋と、おしゃれしてよそからお客のやってくるレストラン・値段の表示のない得体の知れない料理屋さんばかりになっています。
インドネシアというか、東南アジアな感じがとっても濃くでてますね。
確かに子供さんが見たら泣くかもしれない(笑)
閉店となるようで残念ですね。行きつけのお店がなくなるというのはファンにとっては哀しいものです。
インドネシアラヤ 料理は何度も行きたくなるクラスで、気に入っていました。ナシゴレンも秀逸で、行けば必ず食べます。新橋でも繁華街の外れ、ビジネス街の中になってしまい特に夜の集客が難しくなっていたようです。50年の間に競争相手も数倍に増えています。
同じ経営者がステーキハウスに業態変更すると聞きました。料理は他でも食べられますが、インドネシアに行った気分になる内装が破棄されるのは残念です。50年前の民芸品は、本国でも今は見られないものもあるそうです。
さて、昨日30ばかり消したスパムコラム、今朝も20ばかり消さなければ!plalaの皆さん一斉攻撃されたようですが・・・ヤレヤレです。