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旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

茶会に惹かれて 偕楽園好文亭&千波湖:茨城県水戸市

2018-05-31 17:17:55 | 心休まる風景

2018GW その7 エピローグ

 回遊してきた梅林・千波湖を眺めた展望広場の奥、竹林や杉林を背に好文亭はあった。

 好文亭は、徳川斉昭自身により1840年(天保11年)4月に設計された詩歌の会や慰労会などの集会の会場としての役割を持っていた。数度の改築や、戦災で焼失したり落雷で火災に遭ったりしたが、その都度再建されている。

 門を入って砂利の敷かれた路地を行くと茅葺き屋根が見えてきた。???全体像がない。

 玄関を入って廊下を行くと、先ず整えられた庭に目がいった。

 先へ進むといくつもの部屋が現れる。それぞれに解説案内が置かれていたが、襖絵に目が行って暗いこともあって読んではいない。ふすま絵に従い「桜の間」「つつじの間」「萩の間」などと名付けられているようだ。

 回廊からは庭の緑がまぶしい。

 入り口の案内にあった茶会「好文亭 月釜」を妻が見逃すはずもなく好文亭に急いだのだ。部屋を巡りほぼ一番奥になるであろう広間前に行列が出来ていたので、費用を支払い列に並んだ。石州流の席主の元、地元の高校の茶道部がお手前と接待に当たっていた。

 茶席の撮影を遠慮して、席を立った時の室内を撮っておいた。

 広間の先に階段があり、2階へ上がった。途中の窓から???外がハッキリしない。

 雨戸を少し持ち上げて、渡り廊下「太鼓廊下」であろうか?

 2階からは展望広場、梅林、そして丘の下には千波湖が広がっている。好文亭についてwebで調べていたら、「楽寿楼」の記載があったが、この2階??を呼ぶのであろうか?・・2階ではない!いつの間にかここは!3階にいた!

 階段を下り案内に従い表に出ると待合があり、茶室「何陋庵」、珍しく覗くことが出来た。

 東門近くまで戻り、JRの線路をまたぐ橋を渡り千波湖の畔まで下りた。

 広場では「食のイベント“肉”」が開かれ、屋台がいくつも設営され人が群がっていた。おかげで湖畔のレストランは昼時なのに静寂の中にあり、ゆったりと食事が出来た。食事を終え、湖畔の写真を少し撮り???またしても最後の部分が保存されていない!?!渋滞前に高速に乗り、順調に帰京して今年のGWは予定を大幅に変更しながらも無事終了した。

 さて次は夏休みまで予定が立てられない。妻は6月末に会場が確保出来た社中の茶会の準備に余念が無く、それまではお出かけなどは考えられない模様!???お盆期間の観光地の宿はすでに「この検索条件に該当する空室が見つかりません」の表示ばかり。さて今年の行く先は・・・?



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