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旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

追手門広場は見所満載 ガリバー気取り:青森県弘前市

2010-06-08 16:16:16 | 町並み

2010年GW・北東北の旅・その18:明治の洋風建築と祭り

 弘前公園追手門前の広場には、市の施設が凝縮していた。



 この広場は東奥義塾高校跡地に建設されたもので、広場内には、市立観光館をはじめ山車展示館、市立図書館、郷土文学館、旧市立図書館、旧東奥義塾外人教師館、笹森記念体育館が整備され、観光・文化拠点としての役割を担っている、と、弘前市の広報にあった。隣接して市役所、市民ホール、博物館、裁判所、税務署など公的機関が集まり行政の中心地となっていた。追手門側の入り口には「旧東奥義塾外人教師館」が喫茶室として利用され建っていた。



 裏へ回ってみるとその先には「旧弘前市立図書館」の洋館が少し離れて並んでいた。



 前へ回って表から見上げてみた。



 5月3日まだGW2日目にしかなっていないが随分欲張って動き回っていた。、日は傾きかけたとはいえ周りはまだまだ明るく、夜桜のライトアップまではまだまだ余裕があった。藤田記念庭園でお茶の休息をしてから禅林街へ行って弘前公園前へまた戻った訳だが、写真を撮るために立ち止まってはいても腰を下ろしてはいなかった。つまり歩き続けていた訳だ。それでも弘前の全てを見るのには時間が足りない。幸いこの二棟の洋館の裏手に「歴史的ミニチュア建造物群」があり、弘前市内を歩き回ることなく主だった建造物が眺められるのだ。



 建物群の中に立つと、あたかもガリバーになった気分となる。



 それでもミニチュアではそのスケールが分からないので、すぐ近くにあった「青森銀行記念館」を見物に行ったが、案内板にはこの建物は元来母体となった「旧第五十九銀行本店」で重文指定とあった。



 明治の洋風建築、子供の頃を思い出すとふる里の町にも銀行や郵便局、学校・図書館や名士の代々続く目医者さんの洋風建築がこの銀行にそっくりだった。既にその多くは近代的なコンクリートの建物に建て替えられてしまった。建築に当たった設計家が“名のある”人であったり、多くあった建築物の大多数が破壊された後、偶然の残り物が貴重品扱いされたり・・・はないのであろうか??

 ふる里は山車を売り物にしたイベントで人を集めていたので思い出したが、追手門広場には山車展示館 があり、展示されていたので観覧した。基本的な違いは、木の細密な彫り物・垂れ幕の刺繍と“からくり(人形)”を伝統的に守って行くことを基本とした尾張三河に対し、津軽はねぶた始め“張りぼて(表現としては正しくないかもしれないが、由来が提灯にあり、現代では時事ものや歴史物の明かりを灯した巨大な張りぼてを山車に積んでいるので、こう表現しても良い??)”を、(毎年なのか一定の間隔なのかは知識外なのだが)常に作り替えていることか・・・。ねぶた程巨大ではないが、地元で楽しむ山車なのであろうか、幾組か展示されていた。からくりもあるようだった。

 

 夕食前に最後の力を振り絞り公園の反対側にあるという「仲町伝統的建造物群保存地区」に向かったが、時間が過ぎていたので既に全て扉が閉ざされていて、隙間から垣間見ることも出来なかった。保存建物での営業の忙しい酒屋さんの一軒を除いて・・・!市の管理であるならば、せめて祭り期間中は日のある内は解放して欲しかった・・・勝手な願いだが!そして行く途中にあった「日本基督教団弘前教会」が建造物の最後の画像となった。




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