駐車場に着き車を留め寺に向かいました。記憶では寺につきものの山門も仁王門もなかったはず?(全景を写した画像にもそれらしいものは写っていませんでした。)道路から入ると水子地蔵尊がお出迎えです。
本堂も威容を誇る??とは言い難く質素な佇まいです。
遠くから眺めると水子地蔵に囲まれた侘び住まいの風情なのです。手前に別棟で講堂があり接待や行事に使用しているようです。
地蔵尊像の脇に由来書きがありましたが、ホームページや配布されていた印刷物によると『近年の異常な犯罪、社会問題の多くが胎児中絶、人命軽視に関係があることを思い、埼玉県秩父の山中に、水子供養のための「紫雲山地蔵寺」を橋本徹馬初代住職が建立しました。(昭和46年9月18日落慶式)』
水子供養とあって地蔵の数も14000を越えると聞いていますが、それだけ多くが水子としてこの世に生を受けることなく冥土へ旅立っているのでしょう。ちなみに水子の定義を調べてみましたが、早産流産死産によって生を受けずになくなった胎児、かっては幼い乳児も範疇に入っていたとの記載もありましたが(由来は「水子」が乳児に付ける戒名であること)現在は胎児を指すと有りました。
堕胎(胎児中絶)がもっとも心に傷を負いやすいのですが、病的生理的な流産などもその当事者本人のみならず家族をも精神的不安定な状態に陥れる・・・丁度供養日であったので現住職の橋本泰雄師の講話・説法を聞くことが出来、水子を供養することにより残された者の心の病、心の病に起因する全身の病をも治すことが出来るとする寺の本旨を知ることが出来ました。如何に悩みを持つ人が多いか寺を取り巻く水子地蔵に圧倒されました。
本堂はやや高台にありましたが道路の反対側にはさらに広大な斜面に水子地蔵が整然とまさにびっしりと祀られていました。
六地蔵に案内されて奥に入ると、(六地蔵は六道輪廻に基づき「地獄・餓鬼・畜生・人間・天上・修羅」が当てられていると有りましたがさっぱり理解出来ません)
全体を一望出来るポイントが見つかりませんでしたので、あとは説明抜きで全体の光景を想像してみて下さい。
水子の由来や水子供養をwebサイトで調べる内に、不穏な書き込みもいくつかありました。「霊感商法の亜流、不安感を煽り供養と称して石屋と結託して地蔵を売りつける」というものが代表的でした。水子を供養するのは親としては当然、境内の片隅で地蔵尊を取り囲んだり、慈母観音の下に寄り添ったり、小規模の水子地蔵の集団は各地の寺院で見かけます。紫雲山地蔵寺が始めたこの水子供養に特化する試みは、各地の寺院に広がったと聞いています。供養により救われる人が多数いる事実があるのですから、これが営業活動なのかは別なのです。神も仏も現段階では関係を持とうと思わないkoba3でも、時と事情によっては神仏にすがるようになり、寄進喜捨奉納も問わなくなるやもしれません。
この寺には宗派が書かれていないのです。水子の霊を安らがせ、その為に病む残された者の心をいやし病を除く、既成の宗教のしがらみに縛られたくない創建の意図と思われるのですが・・・定かではない・・・。これだけの地蔵に囲まれては悪心が起きることはないでしょう。
コメントありがとうございます
沢山・・莫大・・な数の地蔵さんに圧倒されました。
この世のものとも思えず。
昨年の記事なので返信を盆子さんのサイトへと思ったのですが、
URLが書き込まれていなかったので
出来ればお知らせいただけたら・・・