漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

無人島漂流船の事 ⑦ 故郷懐かしく候

2009年11月08日 | Weblog
きのうの続き。

厳しく不自由な孤島生活ですが、
中でも、南国特有の「強烈な日差し」と、
火山島ゆえの「水の不自由」は、彼らを責め苛(さいな)みます。
  
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右に申すごとく、
暑熱強き処にてそうろう故(ゆえ)、
暑気の節は、
海へつかりて磯辺へ上りそうろえば火煙のごとく、
誠に地獄の様も斯(か)くやらんと存ずばかりにて候(そうろう)。

又、鳥の名前は存ぜねども、
掛け目、三貫目も有りそうろう大鳥、島の中に居り申し候。 (三貫→12㎏弱)

この鳥、生まれて一・二年は、その色黒く、
下腹ばかりが白くあれども、
三年も過ぎれば全体に白くなり、
その群がり居りそうろう事、碁盤一杯に石並べそうろうがごとき。

この鳥を取り、食事に仕り候。

ただ、夏の頃、五・六・七月には、
何方へ参りそうろうや、一羽も居りも申さぬ故、
その間は、魚、鮑(あわび)の類を取り食べ候。

されども、風悪しき折には、魚も取れ申さず、
総じて鳥の居らぬ夏の間の多くは餓えに及び、

ことに水無き所ゆえ、
渇きそうろう節は、天を拝し、雨を乞いそうらえば、
大方、三日ほどの間には、雨降りそうろうなれば、
日ごろ、鍋に用いそうろう大鮑の貝殻などを受けて、貯め置き、飲水に仕り候。

斯く過ごす内、
同船の者共も、五・七年の内に段々と死去いたし、残りも少なになり候。

ついには この島にて朽ち果てんものと覚悟もし、
数珠(じゅず)などを用意すべしとて、
材料にと、
磯辺の流木を拾い集めそうらえども、
日本にて見なれし木を選りて拾い集め申さば、
そぞろ、ふるさとが懐かしく思われ、共に涙し候。

されども、万に一つとて、故郷へ帰る日の来るやもしれず、
その節、切支丹かなどと御不審なきよう、
身元など申し開きの為とて、
下田御番所の御切手、
並びに金子二両、銭百文及び算用の帳面類、
これらを失いてはならずと心掛け、大切に所持いたし置き候。

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この辺り、
望郷の念と、帰国への一縷(いちる)の望みが交錯する記述は、
健気(けなげ)にも哀れで、その切ない思いがよく伝わって来ます。

尚、
「アワビの貝がらで雨水を受ける」などと読むと、
せいぜいが、径 15㎝ぐらいの鮑貝を思い浮かべ、
「そんなものでは間に合うまい」と思ってしまいますが、少し違うようです。

江戸時代の大坂に、
「浮瀬(うかむせ)」と云う名物料亭があり、
ここでは五・六升も入る大杯などで有名でしたが、
中に、鮑の貝がらの大盃があり、七合半の酒が入ったと云うことです。

店の名はその盃から来ています。

彼らが、
「鍋にも使い、雨水を受けた」と云う鮑も、そう云う類の大きな貝だったのでしょう。





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