先日、市立の図書館へ行った折、
ちょっと時間があったので、画集なんぞを見てたんですよね。
ぺらぺらとめくっていたら、
「ポン!!」、と云う感じで、目の中に飛び込んできのが、
骸骨が、大きな扇子を持って踊っている絵。
それまでは、優雅な日本画ばかりでしたからね、
おやおや、と思った。
なにしろ、その画集は、
明治日本画檀の大家、竹内栖鳳ですからね。
「へぇ~、こんな絵も描いてるんだ」と云う小さな驚き。
解説を読むと、
栖鳳三十台半ばの作で、
当時は西洋画の影響もあって、
「肉体構造を熟知した上で絵を描くべし」、と云う分けで、
画塾にも骨格見本が置かれていたそうなんですが、
栖鳳も、それを見て、画想を刺激されたらしい。
解説には、
上島鬼貫の、
「 骸骨のうへを粧て 花見哉 」という句を絵画化したもの、ともある。
上島鬼貫は、江戸時代の人で、
伊丹市のホームページには、
「松尾芭蕉と並ぶ俳人で“東の芭蕉、西の鬼貫”と言われた」とあり、伊丹出身と付け加えられてる。
芭蕉と比べるには、今じゃ知名度が足りないと思うが、
伊丹の美術館には、芭蕉の「おくのほそみち」の現物も所蔵されていることだから、
・・・・・まぁ、いいか。
先ほどの句の読みも、
「がいこつの うえをよそおて はなみかな」、と紹介されている。
ほかに一句、紹介すると、
“にょっぽりと 秋の空なる 富士の山” 鬼貫