漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

天地の間にあるべき価値は無かりけり

2010年06月18日 | ものがたり
「歴史上の人物」への評価と云うモノは、
株価のように、その時代、時代によって上がり下がりするモノのようで、

戦前まで「武神」として、
高値をつけていた「日本武尊」や「楠正成」は、
今やその名前さえ読めぬ人もあろうかと思われるほどだが、

その反対に、戦後、高騰を続けている第一は「坂本竜馬」で、
その相場は天井知らず、

今や「竜馬」と云う名前だけなら、
ケバ系ギャルや悪ガキでも知っているかと思うほど。

その竜馬、直筆の手紙が見つかったと云うニュースが先日あった。
  
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  龍馬の手紙、草案を発見
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手紙は、大政奉還が成る「前日」の、慶応三年(1867)十月十三日付で、

竜馬が案出し、土佐藩が将軍に提出した、
「大政奉還を勧める建白書」の採否を決するため、
二条城で行われる会議に出席しようとする 土佐藩の重役・後藤象二郎を激励したもの。

大政奉還が成らずば切腹する覚悟の後藤に、
竜馬もまた、
「もし、この事が成らずば、
 私も海援隊を率いて将軍を襲う覚悟、その時はあの世で会うべし。」と、

大政奉還がならなかったら命を捨てる覚悟を示した内容。

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この手紙の存在自体や内容はよく知られていたのだが、
現物は行方不明、今回見つかったのはその下書きとでも云うべきモノ。

その本文をあらまし示すと、

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「御相談 遣わせられそうろう建白の儀、(竜馬が推した大政奉還のこと)
 万一、行われざれば、
 元より、(後藤殿は) 必死の御覚悟ゆえ、(城内で切腹されるであろうから) 
 御下城これなき時は、

 海援隊一手を以って、
 将軍慶喜が皇居へ参る道路に待ち受け、
 国家のため讐(あだ)を報じ、(討ち果たし)

 事の正否が (襲撃の結果が)どうあろうと、
 先生(後藤を指す)とは、地下(あの世)にて面会つかまつりそうろう。

(中略)

 万一、先生(後藤)、
 一身御失策のために天下の大機会を失せば、その罪、天地に容(い)るべからず。

 果たして然らば、小弟(竜馬のこと)、
 また、薩長二藩の責任も免れず、
 もはや、天地の間に立つべき価値はなきものなり。

誠恐誠懼
     十月十三日 龍馬

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処で、これは、土佐藩側の史料だが、
では、建白を受けた側の思惑はどうだったのか、

それについては、
当事者の徳川慶喜にインタビューした記録が残っているので、次回にそれを。





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